プレアデスQのベートーヴェン・ツィクルス最終回

昨日は晴海、第一生命ホールのSQW2009-2010ガレリアシリーズの2回目を聴いてきました。

このところ週末は聴きたいコンサートが重なってしまい、他にも後ろ髪を引かれる思いの会もあったのですが、連続して聴いている本会を聴き逃すわけには行きません。

《ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅵ》
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調作品95「セリオーソ」
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第16番へ長調作品135
 プレアデス・ストリング・クァルテット

3年がかりで取り組んできたプレアデスQのベートーヴェン全曲も愈々最終回です。

プレアデスのベートーヴェンは、もちろん良い意味で「中庸」と言うに尽きると思います。聴く人の神経を逆なでするようなベートーヴェンは決してやらないし、アッと驚くようなサプライズもありません。

しかし我々がベートーヴェンから聴きたい音楽、弦楽四重奏に期待するものは全てギッシリと詰め込まれている、そんな感じですね。
四つの弦はあくまでも柔らかく、同質の響きはあたかも一人が演奏しているように聴こえてくるのです。
作品を聴き進むに連れ、聴こえてくるのはプレアデスという団体の演奏ではなく、ベートーヴェンの音楽そのもの。

特に素晴らしかったのはセリオーソと作品135でしょう。
3年をかけてジックリ熟成してきたプレアデスのベートーヴェンは、前回の「Ⅴ」辺りから独特の光を放ち始めたような気がします。

最後のクァルテットなど、どの一音をとっても、これが聴覚を失った人の作品とは信じ難いという想い。

およそ弦楽四重奏団でベートーヴェンを演奏しない団体は存在しないでしょう。交響曲では若手などに避ける指揮者もいますし、ピアノ・ソナタも全曲までは取り上げないピアニストもいます。
しかしクァルテットはその全てが傑作であり、どの団体も一度演奏すればそれで卒業という世界ではありません。

ここまでクァルテットとして磨き込んできたプレアデス。ベートーヴェンはこれでお終いではなく、繰り返し全曲演奏へのチャレンジを続けるのではないでしょうか。また、そうして頂きたいと思います。
新たな出発の起点ともなるコンサート。そういう期待を抱かせてくれるベートーヴェンでした。

アンコールとして繰り返し演奏された作品135のレント・アッサイ。これは彼らのベートーヴェンへの感謝の表現だったに違いありません。耳を澄ませているうちに、自ずと込み上げてくるものが感じられました。

改めてメンバーを紹介しておきましょう。
第1ヴァイオリン/松原勝也、第2ヴァイオリン/鈴木理恵子、ヴィオラ/川崎和憲、チェロ/山崎伸子。

 

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