強者弱者(16)

機動演習

 陰晴定まらず。郊外の旗亭柹の紅葉美はしきに、紺の暖簾の鮮やかに映えたるもよく、十二三ばかりの少年の甲斐甲斐しく軽装して弁当の菜など求むるさまも悪からず。
 二十六日、伊藤公の忌日。大森谷垂の墓前、参詣者跡を絶たず。東京の各連隊皆観兵式の予行演習に余念なし。分列は教練の最も難とする所。青山の原頭、反復尽日、兵卒の苦心察す可し。
 十一月に入りて挙行せらるゝ特別大演習の幹部、毎年此頃に至りて発表せらるるを常とす。東京の各連隊も天長節の観兵式を俟ちて皆機動演習に出づ。戦線は御殿場街道に沿ひ、二子の渡しより、遠く相模高原の秦野に及ぶ。鶴間、厚木、伊勢原など毎年演習の中心地たり。

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「陰晴」は曇りと晴れのことで、定まらないのですから晴れたり曇ったりということでしょう。現代風の表現なら、女心と秋の空ということ。

「柹」は樹木の「かき」。現在は「柿」と書きますが、これは略字。「柿」に良く似た「杮」は木片や「こっぱ」のことで、読みは「はい」。「杮落し」(こけらおとし)に使われますが、字は別です。

伊藤博文がハルピンで暗殺されたのが1909年(明治42年)の10月26日。今年が丁度没後100年になります。この文章は多分明治43年の筆と思われますので、一周忌の情景でしょう。

伊藤公の墓所は現在の横須賀線西大井駅の近くにあって、この辺りは当時は谷垂(たにだれ)という地名でした。現在は西大井。
毎年の伊藤公の命日には墓所が公開される、と聞いていますから、一度見学してみましょう。
伊藤公の墓所から100メートルほど西に向かった所に現在でも谷垂公園があります。

青山の原頭(げんとう)という言い方も面白いですね。原頭とは原っぱの端という意味で、当時の青山界隈は一面の原だったようです。ここで陸軍の演習か行われていました。

天長節はいずれ出てきますが、11月3日。明治天皇の誕生日です。

二子の渡し云々は今の二子玉川。今の厚木大山街道には軍靴の音が響いていたのでしょう。

 

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