読売日響・第520回名曲シリーズ

11月の読売日響は、同団名誉指揮者のロジェストヴェンスキー月間です。2種類のプログラムを2度づつ演奏して計4回。方やチャイコフスキー、此方シュニトケという、東京がロシアの冬景色に覆われる一ヶ月です。覚悟はよろしいか。

てな訳で、前半のチャイコフスキーを聴いてきました。既に20日に池袋でも演奏したプログラム、私が聴いたのは未だ暖かいサントリーでの名曲シリーズでした。

開場前に長蛇の列ができています。ロジェヴェン人気も大したものだな、と思ったのは間違い。小ホールで行われるコンサートが自由席らしく、良い席を求めた人の列でした。
一方の大ホールは空席もかなり目立ちました。会員席に空きがあったということは、チャイコフスキーに人気が無いのか指揮者故か。ま、チャイコフスキーと言っても普通のクラシック・ファンは聴いたことのないものばっかりですからね。

読響の重厚名演路線に聴き疲れしたファンの皆さん、もったいないことをしましたね。チャイコフスキーの知られざる名曲に触れられる絶好のチャンスだったのに。

~オール・チャイコフスキー・プログラム~
チャイコフスキー/交響的バラード「地方長官」
チャイコフスキー/幻想序曲「テンペスト」
     ~休憩~
チャイコフスキー/組曲第1番
チャイコフスキー/戴冠式祝典行進曲
 指揮/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/小森谷巧

メンバーが登場して直ぐに気が付くのが、チェロが右端に出ていること。アルブレヒト時代の読響はこの配置でしたが、スクロヴァチェフスキに替ってからはヴィオラが右端に出ていました。
今回は元のシフトに。もちろんロジェストヴェンスキーの指示だと思われます。

プログラムを眺めているだけでは判らないのですが、実際に聴いて確認できたのは、前半と後半がチャイコフスキーの「哀楽」に分かれていること。「鬱」と「躁」、と言い換えてもよろしい。

前半の2曲は、チャイコフスキーの得意としたドラマをベースにした作品です。地方長官はポーランドの詩人ミツキエヴィチのバラードがインスピレーションの源泉。私はナマで聴くのは初めてです。
劇的な展開ですが、ハープとチェレスタに先導される中間部のメロディーの美しさは特筆ものです。毎度のことですが、メロディー・メーカーとしてのチャイコフスキーの才能に改めて舌を巻きました。

テンペストは、去年の定期でラザレフも取り上げた作品。これも滅多に演奏されない曲ながら、2年連続でナマに接することが出来るのは読響ならでは。
記憶ではラザレフは熱いチャイコフスキーを響かせましたが、ロジェストヴェンスキーのスタイルは何処か覚めたところがあります。
これまた美しいミランダの主題がチェロで登場するところも、クールでラザレフほどにはのめり込みません。

ところでこの日マエストロはカーマス版で指揮していましたが、私が使っているベリャエフ版とは少し違うところがありました。件のチェロによるミランダのテーマの冒頭も、チェロの斉奏ではなく毛利伯郎のソロに委ねられています。

後半最初の組曲は文句なく楽しめる一品で、チャイコフスキー節が素敵です。これまたナマで聴くのは初めて。いっぺんに作品の魅力の虜になりますよ。

全体は6曲からなりますが、プログラムに書かれていたのは各楽章のタイトルだけ。これじゃぁ鑑賞の助けにはなりません。ここまで素っ気ない解説に徹しているのは流石に読響。

第2曲「ディヴェルティメント」は実質的にロシアのワルツ。藤井洋子の巧みなリードでワルツが始まります。
第3曲「間奏曲」は演歌そのもの。そう、ロシア風演歌。中間部を二度挟む5部形式ですが、3度も繰り返される演歌が耳に付いて離れません。

第4曲「小行進曲」は昔ライナーの録音で聴いていた短いマーチ。ヴィオラ以下の低弦はお休みで、弾いていないメンバーの楽しそうな表情が印象的。
第5曲「スケルツォ」もチャイコフスキーならではの弦と管の対比が楽しい作品。

以上4曲を挟む第1曲「序奏とフーガ」と第6曲「ガヴォット」だけが所謂バロック期の組曲に使われている楽曲。フーガは何処となくバッハを思わせるし、ガヴォットの最後でフーガ主題が回帰することで組曲全体を統一しています。
このガヴォット、ロジェストヴェンスキーはかなり速いテンポで進めることによって、楽しさよりは寧ろ皮肉や風刺を籠めているようにも聴こえるところがミソだと思いました。

最後の行進曲は機会音楽。今年のお正月にラザレフが日本フィルでプログラムの冒頭でドッカーンとぶちあげて度肝を抜きましたが、ロジェストヴェンスキーはプログラムの最後でドッカーンと締め括りました。

それまでは反応の鈍かったサントリーホールの客席でしたが、最後の大爆発で漸くいつもの拍手喝采を思い出したようです。

読売日響は相変わらず重厚で堂々としたアンサンブルを聴かせてくれました。

ロジェストヴェンスキーは、「テンペスト」でも触れましたが、泰然としたアプローチで冷静な印象を与えます。これがショスタコーヴィチやシュニトケでは絶大な効果をもたらしますが、チャイコフスキーでは一歩引いたような印象を与えるのも事実。
客席の反応がどことなく恐る恐るに感じられたのは、その所為かも知れませんね。

 

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