読売日響・第505回定期演奏会

梅雨の晴れ間、首都圏は二日連続夏日の中、読響の6月定期を聴いてきました。プログラム誌にも≪≫で明記されていたように、オール・ベートーヴェン・プログラム。以下の内容です。

≪オール・ベートーヴェン・プログラム≫
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
 指揮/パオロ・カリニャーニ
 ピアノ/辻井伸行
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/小森谷巧

読響には5つのシリーズがありますが、6月は定期にしては保守的な選曲。今年は特別にベートーヴェン・イヤーではありませんが、今シーズンの読響は3種類の≪オール・ベートーヴェン・プログラム≫が組まれていて、これに年末の第9を加えれば1年間に4種類。交響曲は半分以上の5曲を聴ける勘定になります。

ところがベートーヴェン・プログラムはシリーズを跨いでいて、全て聴きたい人は少なくとも定期と名曲の2シリーズを聴かなければなりません。そもそも各シリーズに明確なコンセプトが無いので、ファンとしては会員になる際の選択に迷うことになります。
小生は比較的珍しい作品や現代モノに興味が偏っているので定期演奏会シリーズを選択していますが、名曲シリーズの中にも聴きたい作品が見つかります。半面で今回のように名曲シリーズと見紛うプログラムも定期に登場する。
まぁ、事務局としては選曲のバランスを考量しているのだと思われますが、天邪鬼の聴き手には納得が行きません。今更定期でオール・ベートーヴェンなの?
前シーズン、今年2月定期でアルブレヒト氏が“ベートーヴェンばっかりは stupid ” と語りかけていたこととも矛盾するような気がします。

苦情はここまで。たかぁ~いチケット代を払っているので、早々とチケット完売宣言が出された6月定期を聴いてきました。完売になった要因は書くまでもないでしょう。
しかも今定期は、時代が遡ったかのような序曲・協奏曲・交響曲という配置。オールドファン諸氏は、安心して聴くことが出来る会という点に魅力を感じたのかも知れませんね。

6月のマエストロ、カリニャーニはこれまでも何度か聴いてきました。オケからの信頼も厚いのでしょう、定期的に客演しているミラノ生まれの才人です。
私の印象はバラつきがあって、ウェーベルンやベルクには感心したものの、ノン・ヴィブラート系モーツァルトには拒否反応があったのも事実です。で、ベートーヴェンには多少不安もありましたが、それは杞憂でした。中々聴き応えあるベートーヴェンだったと思います。

先ずいつもの読響と違うのは、ヴァイオリン側の山台が一切取り払われていること。ソリストのことを考えれば当然でしょう。それにオーケストラ全体が舞台奥に設置されていたこと。ピアノのスペースと舞台上の安全に配慮したのでしょうが、私の席からは少し遠くなった印象で、その分オーケストラ全体の纏まりが良く感じられたようにも思いました。
もう一つは、ヴィオラとチェロの位置が逆転していて、アルブレヒト時代の配置に変えられていたこと。これは後で触れます。

さてカリニャーニ、長身のスキン・ヘッドで、動きはキビキビ。舞台に登場するときから、指揮することが楽しくて堪らないという気持ちを隠そうとしません。
颯爽と指揮台に飛び乗って振り下ろした歌劇の序曲も、メリハリを利かせた活きの良い響き。

今回のベートーヴェンは、全てベーレンライター版のようで、協奏曲はもちろん交響曲もスコアを見ながら振っていました。

続いて1回券ファン期待の協奏曲。音楽マスコミも大注目のようで、会場には何代ものテレビカメラが入っていましたし、協奏曲には特別なソリスト用カメラが設置され、その準備に予想以上の時間が掛かります。そんなに手間取るなら最初からセッティングしておけば良いのに、と考えるのは素人の浅はかな料簡なんでしょう。

辻井伸行は読響でも何度か聴きましたし、カリニャーニとも共演した実績があります。皇帝は初めてだと思いますが、特にコメントは差し控えましょう。
一つ気付いたのは、第3楽章の後半でソロの長いトリルが続く個所。320小節からトリルが終わるまでのテンポがグッと落ちるのです。ために、トリルのクレッシェンドが必要以上に強調される。これが指揮者の解釈なのかソリストの要望なのかは知りませんが、終始イン・テンポで通された全体の中では際立って聴こえたことを報告しておきましょう。

ずっと連れ添う指揮者に促されたように弾き始めたアンコールは、テンペスト・ソナタの第3楽章。
これは実に特異なもので、辻井伸行の音楽が極めて感覚的なものであることを示していました。この楽章は8分の3拍子ですが、西洋クラシックの3拍子は、意識せずとも1拍目にアクセントがあるのが原則。2拍目はやや弱く、3拍目には軽いアクセントが来る。
ところが辻井は、三つの拍を全て同じ強度で弾くのです。表現は相応しくないかもしれませんが、小節を区切る縦線が無い音楽、とでも言いましょうか。私にはかつて聴いたことのないベートーヴェンでした。評価は避けます。

最後の田園交響曲。恐ろしいほどの快速。特に第1楽章と第3楽章の速いテンポには舌を巻きました。読響だから出来たスピードでしょう。
かつてカラヤンがベルリン・フィルと東京で初めてベートーヴェン・ツィクルスをやったとき、第6交響曲だけは賛否が分かれていました。それはカラヤンのテンポがあまりにも速かったから。
しかし今日のカリニャーニは、それ以上に速かったように聴きました。

しかも表現は冒頭から「踊り」。速いながらも表現はレガートに徹し、嵐の楽章も喜びと楽しさが前面に出てくるのでした。

第2楽章。ここはチェロが分奏され、第1プルトの二人はヴィオラと同じ動きをし、他のプルト(この日は14型でしたから、第2チェロは3プルト)はコントラバスと歩調を合わせます。
冒頭にチェロが右端に出る配置と紹介しましたが、この配置だとチェロの分奏が視覚的にもハッキリ判るし、響きの上でもヴィオラ+第1チェロと第2チェロ+コントラバスがクッキリと分離して聴こえてきます。(舞台から遠い席では十分に伝わらなかったかも知れませんが)
リヒャルト・シュトラウスも真っ青、とでも言うべきベートーヴェンの巧みなオーケストレーション。

恐らくカリニャーニの意図はここにあったのでしょう。些細なことですが、各パートを明瞭に響かせ、メロディー・ラインを十分に歌わせるあたり、如何にもオペラを得意とするイタリアのマエストロの面目が躍如としていました。

相変わらず「読響ブラヴォー隊」の大歓声、先月のマーラーも、今月の協奏曲でも交響曲でも所構わず、でした。

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