強者弱者(35)

 霜ふかき日は午に入て鳶色の靄深し。靄の日遠く、芝、牛込、本郷、上野の岡を望めば淡墨一抹、宛として春霞の揺曳するが如きを見る。霜を見ざるの日は又靄を見ることなし。靄は午前十一時頃より始まりて午後二時頃に終る。郊外より市を望むもの、地平線をこむる鳶色の靄を見て、工場の煤煙と合点するもの多し。
 市内ところどころに『山くじら』の看板を見る。
 最終の酉、浅草の雑踏最も甚し。市内電車の便開けてより、人足は毎年頓に多きを加ふれども、日本橋、京橋辺の大店より常例として主人の出向ひたるもの、漸く少からんとすと、之を土地の古老に聴く。

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鳶色(とびいろ)とは、今風にいえば茶褐色のことです。鳶の羽の色。
100年前の東京は、朝方冷え込んで霜が降り、陽が射して霜が解けると鳶色の霞が立ち込めたようです。

芥川龍之介が秀湖のファンで、確か「秀湖のこと」ていうような題でエッセイを書いていました。その中で龍之介は秀湖の文章の色彩感覚を褒め、その例として「鳶色」を挙げていたはず。手元に龍之介の一文が無いので確認できませんが・・・。

『山くじら』は、言うまでもなく猪の肉のこと。落語などでも猪鍋が題材になりますが、最近は人気が無くなってしまったようですね。

「最終の酉」とありますが、この年は三の酉まであったようです。一の酉については11月4日にアップしましたので、計算は合います。
私も先日二の酉に行ってきましたが、なるほど浅草の雑踏は甚だしいものがありました。昔はもっと凄かったようです。

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