読売日響・第488回定期演奏会

12月の読響は、ここ数年恒例となっているフィンランドの名指揮者オスモ・ヴァンスカによるベートーヴェン交響曲シリーズがメインです。
ヴァンスカは、ベートーヴェンとのカップリングに同国を代表する作曲家カレヴィ・アホを組み合わせることに情熱を捧げ、今回は二人の第7交響曲という魅力あるプログラム。今シーズンの読響でも注目すべき定期の一つです。

その割には空席があったのは、やはりアホ故でしょうか。ウルトラ保守・東京の聴衆のアホさ加減に苦笑せざるを得ませんな。

《ヴァンスカ・ベートーヴェン交響曲シリーズⅤ》
アホ/交響曲第7番(日本初演)
     ~休憩
ベートーヴェン/交響曲第7番
 指揮/オスモ・ヴァンスカ
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

サントリーホールに到着、ホワイエからホールに入る所で意外な人物とすれ違いました。そう、写真でしか見たことの無い、カレヴィ・アホその人です。
“おっ、日本初演に立ち会うのかぁ~” と興奮頻りのメリーウイロウ、コンサートが始まる前から些か焦れ込み気味です。

ホールに入ると、弦楽器が対抗配置にセッティングされているのに気が付きます。これはもちろんベートーヴェン仕様。事前に予習してきたCD(ヴァンスカ指揮のBIS盤)で聴くアホ作品は、通常のアメリカ式配置で録音されていますから。

更にホール内を見回すと、2階左右に譜面台が各2台づつ置かれています。早速プログラムを開いて曲目解説に目を通しますが、この事に関しては何も書かれていません。いつもの読響プログラムのことで別に驚きませんが。

さて日本初演された第7交響曲には「昆虫交響曲 Insect Symphony」という副題が付けられています。無類の虫好きの私にとっては嬉しくなるようなタイトルじゃござんせんか。
6つある楽章の夫々にもタイトルがあります。プログラムに掲載された訳語では、

第1楽章 放浪者、寄生バチとその幼虫 The Tramp, the Parasitic Hymenopter and its Larva
第2楽章 チョウ(チョウのフォックストロットとタンゴ) The Butterflies (The Foxtrot and Tango of the Butterflies)
第3楽章 フンコロガシ(盗んだ糞の球の上の悲しみ) The Dung Beetles (Grief over the Stolen Ball of Dung)
第4楽章 バッタ The Grasshoppers
第5楽章 アリ(アリの労働音楽と戦争のマーチ) The Ants (The Working Music of the Ants and War Marches Ⅰ and Ⅱ)
第6楽章 カゲロウ、そして死んだカゲロウたちのための子守歌 The Dayflies and Lullaby for the Dead Dayflies

となっていました。

オーケストラは大編成ですが、プログラムには使用楽器に付いても記載がありません。出版社のホームページで確認すると、

フルート3、オーボエ3、アルト・サックス、クラリネット3、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン7、チューバ、バリトン・ホルン、ティンパ二、打楽器3人、ハープ2、弦5部というもの。
トロンボーンが7本もありますが、このうち4本が2階左右に置かれていることが判明。アホが好んで使うバリトン・ホルンはチューバの右隣に確認できます。

打楽器に付いては詳細は不明ですが、実に多彩。特殊楽器がズラリと並び、それらの特殊奏法も見どころ聴きどころではありました。
いつぞやの定期で聴いたヴァレーズの「アメリカ」にも使われていた「ライオンの吠え声 Lionroar」があるのにも思わずにんまり。

実は、以前にミクシィの読響コミュニティでアホの作品を解説していた時に、第7交響曲のサンプル音源を紹介したことがあります。アホは難しくない、という事例だったのですが、まさかこの曲をナマ演奏で聴けるとは思いませんでした。先ずそのことに対してヴァンスカに感謝しなければなりません。

そのヴァンスカ、この難曲を真に見事に再現してくれました。

第1楽章は如何にも複雑なリズムで書かれている様子。バリトン・ホルンとチューバのデュエットが面白く、他の金管楽器のグリッサンドが、あたかも寄生蜂の羽音を描写しているよう。

第2楽章は唖然とするほどの楽しさ。例のサンプル音源にも使われていた楽章で、乗りの良いフォックストロットに心も浮き立ちます。後半のタンゴでは哀愁を帯びた音調が魅力的。

第3楽章はフンコロガシ。ここではアルト・サックスが活躍します。プログラムの訳(遠山菜穂美)では盗んだ糞の球となっていますが、フンコロガシ(日本ならマグソコガネでしょうが)は牛馬などの糞を転がして球にして運ぶ習性があります。中にはずる賢い個体もいて、人の糞球を横取りする奴も。
私には、「奪われた糞球への嘆き」 とでもした方が良いような嘆き節が籠められているようにも聴こえてきました。

第4楽章は軽やかな響きの一品。特に弦楽器各パートのソロが、バッタの長い脚や繊細な翅を表しているよう。バッタと訳すよりはキリギリスとした方が次の楽章への繋がりが良いように思われます。

第5楽章で初めて客席に置かれた4本のトロンボーンが活躍します。日本にいる小型の蟻というより、南米辺りの軍隊蟻がイメージされているのではないでしょうか。
冒頭の金管による刻みは、オネゲルの「パシフィック231」の出だしを連想させます。行進曲は2種類あって、二つ目のものはアメリカのマーチング・バンドみたい。ここはチャールズ・アイヴスの世界か。
最後はドラの一撃、これが消え入るまで指揮者もオケも聴衆もジッと待機するのですが、この趣向はラフマニノフ(交響舞曲集)やレスピーギ(教会のステンドグラス)も使いましたね。

第6楽章は、成虫の寿命が一日だけという蜉蝣がテーマ。儚くも繊細なワルツは、ヤナーチェクの「利口な女狐」を連想させずにはおきません。
最後はチェロ・ソロ(毛利伯郎)が奏でる、全体を回想するような子守歌。

演奏は45分強。これだけの長さの現代音楽ながら、美しい旋律も豊富で、聴いていて飽きるということはありません。
ヴァンスカに呼び上げられた作曲者にも盛大な拍手が送られていました。

望阿呆続編。

後半のベートーヴェンがまた素晴らしい演奏でしたね。

ヴァンスカのアグレッシヴなスタイルによるベートーヴェンは、時に荒っぽさを感じたこともありましたが(第4交響曲など)、第7には正にピッタリの表現と言えましょう。
豪快なアプローチながら、根底に「喜びの爆発」というコンセプトがあるので、作品の持つブリオがストレートに伝わってくるのです。

冒頭の序奏部から、対抗配置に置かれたヴァイオリンの遣り取りが絶大な効果を生みます。
ベートーヴェンは当時からステレオ効果を意識していましたから、特に第4、第5、第7、第9には対抗配置が必須だ、と感じさせるほどの説得力を生み出します。

第2楽章のテーマの歌わせ方も独特。頭のアクセントを強調することによって、2小節単位の大きな歌を導き出したのは秀逸でした。
それは第3楽章のトリオにも言え、かなり速目のテンポを設定したことで4小節単位の大きな音楽に変身する様も見事の一言。

凄まじい推進力が爆発する第4楽章も、全体を一筆で描いたような一気呵成が全体として大音楽として響いてくるのは、ヴァンスカがスコアを完璧に読み込んでいるから。

ヴァンスカは第7に書かれた繰り返し記号を全て実行しましたが、長いとか不必要だとかを全く感じさせません。
身体全体を激しく使い、何度も指揮台で飛び上がるほどの熱演でも、スコアをシッカリ見て振っているのが好感を持てますね。
暗譜にはいつか事故が起きます。ほとんど暗譜状態のベートーヴェンでもスコアを置いて指揮するヴァンスカは、作品に誠実な、本物のマエストロでしょう。

そして読響のアンサンブルの見事だったこと!!

私はかつてカラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェン・ツィクルスで第7を上野で聴いたことがあり、その時も第4楽章の速さに愕然としましたが、流石のシュヴァルべ率いるベルリンの弦楽アンサンブルも乱れに乱れていました。

この日の第4楽章は、その時以上に速かったのではないか。それでも読響は一糸乱れず、ホールを興奮の坩堝に叩き込みました。

私は断言しますが、ことアンサンブルに関しては1966年のベルリン・フィルより、2009年の読売日響の方が遥かに勝っています。

いやぁ~、凄かったなぁ~。

 

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