読売日響・第541回定期演奏会

台風の合間を縫うように、読響の10月定期がサントリーホールで行われました。去る3日に91歳を迎えたばかりの桂冠名誉指揮者で巨匠スクロヴァチェフスキ登場。

ブルックナー/交響曲第0番
~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第7番
指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
コンサートマスター/長原幸太
フォアシュピーラー/小森谷巧

会場に入ると、先ずホワイエのフラワー・スタンドが目に飛び込んできます。何事かと思いきや、新たに長原幸太が同団のコンサートマスターに就任した由。これで読響コンマス陣は5人体制。4番バッターばかり並べる所は某野球チームとそっくりですが、未だ定期演奏会に登場していないコンマスもいるはず。この辺りのローテーションはどうなっているのでしょうか。
今回は入団したばかりの長原の担当でしたが、彼は元大阪フィルのコンマス。実は読響にもこれまでゲストとして何度も登場しており、決して新しい顔ではありません。その実力もご存知の通り。

さてミスターS、今回の客演は当プログラム1種類だけで、8日から12日まで。定期だけではなく池袋、横浜のシリーズに加え、岐阜県の下呂市でも振ることになっています。
最早振りたい作品だけを指揮する立場のマエストロ、今回はブルックナーとベートーヴェンの交響曲2本立てという、正にスクロヴァチェフスキの芸術を味わう一夜でした。

多少指揮台までの歩みは遅くなったものの、ボディウムに立つ姿は矍鑠たるもの。今回は2曲とも譜面台にスコアが置かれましたが(前半はブルックナー協会版、後半はベーレンライター版)、どちらも1ページも開くことはありませんでした。万が一のことを考えての処置だったのでしょう。

演奏に付いては繰り返すことも無いでしょう。90歳を過ぎてもキリリと引き締まった音楽、強いアタックと停滞しないテンポ、何処までも透き通って見えるような作品構造、ミスターS独自の視点に立つ楽器のバランスと隠れ声部への光の当て方。これぞ指揮芸術でしょう。
客席の反応も敏感にして熱烈なもの。最後は恒例となった儀式で締め括られましたが、もう少し高齢に配慮してあげても良いのでは、とも感じた次第。

感想はこれで十分ですが、少し気が付いたことを蛇足に。

ブルックナーの「0番」は演奏される機会が少ないものですが、私はマエストロの他にもいくつかナマで接したことがあります。プログラムにも書かれていましたが、本来は2番にするはずだったものをオットー・デッソフが余計なことを言ったために自信が揺らぎ、2番を消して「annulliert」と書いたとか。
ゼロではなく「無効」交響曲と呼んだ方がベターだという研究者もいる位です。私もその方が、この作品の運命を適切に表していると思いますね。

第1楽章はリズムに乗って弦のトレモロ、というスタイルは第3交響曲そっくりだし、第2楽章の宗教的とも言える深々としたコラールは後期の作品を先取り。このアンダンテ楽章が弦と木管の対話で進められて行くところなど、大先輩ベートーヴェン(特に第9の第3楽章)の影響は明らか。
反面、終楽章の第2主題(序奏を第1主題とすれば、第3主題という見方も可能でしょう)などはまるでウェーバーのよう。この辺りの混成感が0番の聴き所で、独特の魅力を備えた交響曲だと、改めて思いました。
スクロヴァチェフスキは、第2楽章最後の弦合奏 ppp を息を潜めるように閉じると、間髪を入れずスケルツォに突入したのが印象的。この対照的な楽章をセットにして聴かせる当たり、氏の深読みを見事に表していました。

後半のベートーヴェン、こちらは楽章間のパウゼを一切入れず、全体を一筆書きの様に演奏し切って仕舞ったのには唖然。こういうことはCDでは聴きとることが出来ません。
また反復記号も、第3楽章第2トリオ1か所を除いて全て実行。これはCDと全く同じアプローチでした。

ベートーヴェンとブルックナーは、スクロヴァチェフスキのレパートリーの中核。古典から現代まで幅広く指揮する巨匠ですが、中心はベートーヴェン、シューマン、ブルックナー、ブラームス。
ブルックナーは0番や00番も指揮するものの、マーラーはほとんど振りません。(唯一ハレ管との第4を聴いたことがありますが、最高の4番でした)
ストラヴィンスキーやプロコフィエフは得意とするものの、ラフマニノフを振ることはないでしょう。レパートリーを眺めているだけで、指揮者スクロヴァチェフスキの特質が見えてくるではありませんか。

 

 

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