読売日響・第497回定期演奏会

土曜日、久し振りに読響の定期を聴いてきました。9月をサボったので、7月以来の読響です。

10月定期は、恐らくほとんどの会員が心待ちにしていた前首席指揮者スクロヴァチェフスキの再登場。このポーランドの老人をずっと聴き続けてきた私としては、パスするわけにはいきません。曲目もマエストロの十八番。

シューベルト/交響曲第7番「未完成」
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番
 指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

東京中の、いや、ひょっとすると日本中のスクロヴァ・ファン、ブルックナーお宅が集ったこの日、ホールはほぼ満席の熱気に包まれていました。
最近では地方オケにチケット完売となるケースが多いようですが、東京のオケが満席になることは珍しくなってしまいました。今日はそのレアな一日。

スクロヴァチェフスキ/読響については、当ブログでも何度も取り上げてきましたし、それ以前には某クラシック音楽掲示板にも投稿してきました。多分その一部はミクシィの読響コミュニティに残っているかも知れません。

ブルックナーの第7交響曲も今回が二度目。前回のベートーヴェン/第1交響曲と組み合わされた時にも聴き、感想もアップした記憶がありますから、詳しくは触れません。

コンサートの開始前に場内アナウンスがあり、“拍手は指揮者がタクトを降ろしてから” との注意喚起がありましたが、これは前日も行われたコンサートでフライングがあったのか、あるいは前回の野蛮なブラヴォーの再現を懸念してのことか。
幸い今回は聴き手の反応も遙かに大人に成長し、蛮声こそやや早かったものの、十分に感動を共有できる聴衆が育っていました。

前半のシューベルト。これは滅多に聴けない名演だったと思います。スクロヴァチェフスキはシューベルトを決して咆哮させず、密やかに且つ濃密に描いて行くのです。
何処までも透明なオーケストラ。虫眼鏡で見なければ見落としてしまうようなスコアの細部を、マエストロは掬いあげて聴き手に届けていくのでした。

ここは一例だけ挙げましょう。

それは第2楽章の再現部に入る直前。ホルンと木管の掛け合いを支える弦楽器に注目して下さい。
(小節数で言えば、第134小節から第141小節までのフレーズ)
5部に分かれた弦群のほとんどが同音を pp で引き延ばす中、第2ヴァイオリンだけがド・シ・ラ・シ・ド・シ・ラと密やかに音を紡ぎ、最後にヴィオラが全体を導くが如く再現部に入って行く。

この第2ヴァイオリンの動き。ここをこれほど静かに、しかしクッキリと浮き上げらせる演奏がかつてあったでしょうか。スクロヴァチェフスキのスクロヴァチェフスキたる面目躍如ではありませんか。

後半のブルックナーも如何にもミスターSらしい、スコアを冷徹に見通す演奏スタイルは相変わらず。特に前半の2楽章は、聴いていて胸苦しくなるほどの集中力が見事。
80歳をいくつも超えたマエストロには、以前には希薄だった音楽そのものへの内的感動が深まり、現代最高のブルックナー世界が眼前に展開したのでした。

聴き手の、一音も聴き逃さじ、見落とさじとする息を詰めた緊迫感も痛いほど。
終演後の巨匠を舞台に呼び戻す拍手喝采は、ほとんど儀式になった感がありました。

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