読売日響・第521回名曲シリーズ
読売日響には五つのシリーズがありますが、定期演奏会以外のシリーズの12月はベートーヴェンの第9と決まっています。今年は同じメンバーで6公演行われるようで、私は4日目、25日の名曲シリーズを聴いてきました。
(シリーズ以外の特演が2回、続いて芸劇マチネー、名曲、芸劇名曲、みなとみらいの順。7日間で6回というハード・スケジュール)
~ヴァンスカ・ベートーヴェン交響曲シリーズⅥ~
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125
指揮/オスモ・ヴァンスカ
ソプラノ/林正子
メゾ・ソプラノ/林美智子
テノール/中鉢聡
バリトン/宮本益光
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三浦洋史)
コンサートマスター/藤原浜雄
フォアシュピーラー/小森谷巧
ヴァンスカのベートーヴェン交響曲シリーズの最終回でもあるわけで、マエストロのベートーヴェンに対する姿勢が徹底して表現されていた素晴らしい演奏だったと思います。
楽譜に忠実、推進力の漲ったパワフルなベートーヴェンというに尽きるでしょうか。
使用している譜面はベーレンライター版でしょう。ただ、第4楽章525小節からのホルンのシンコペーションは旧来のブライトコブフ版の扱いを踏襲していましたから、ベーレンライターを基本としてブライトコプフの良い箇所を取り入れている、と思われます。
弦の配置は対抗配置。これによって第2楽章の冒頭を筆頭に、ベートーヴェンが意図したステレオ効果が存分に発揮されます。特に第2ヴァイオリンの演奏難度が極めて高いことが判って、私には大きな収穫でした。
合唱はよくあるP席占拠型ではなく、舞台の上、オーケストラの後ろにズラリと並べますが、プロ集団ですからアマチュアや学生のコーラスより人数は遥かに少なめです。
ソリストは合唱団の前に位置し、第1楽章の頭から舞台に登場しています。普通にやられている第2楽章と第3楽章の間ではありませんから、音楽の途中で拍手が起きることもありません。
繰り返しは第2楽章にしか登場しませんが、書かれたリピート記号は全てスコアに書かれたとおり実行。これもヴァンスカのシリーズでは徹底されてきたことで、聴く前から予想されたことでした。
テンポは早目です。というより、楽譜の指示にあくまでも忠実と言うべきでしょう。
その代表的な例は終楽章のレシタティーヴォ。ここはチェロとコントラバスが思い入れタップリに前3楽章を否定して行くのが常ですが、ヴァンスカは何処までもベートーヴェンの指定したテンポⅠ(即ち冒頭のプレスト)に拘ります。時にアンサンブルが乱れても、一切無視して突き進むのでした。
楽器の追加やアーティキュレーションなど、スコアに書かれていない変更なども一切やりません。
この例にも終楽章を挙げましょう。レシタティーヴォが終わって「歓喜の主題」が出る所、直前の ff が被るのも構わずに低弦の p を始めてしまいます。フルトヴェングラーが長いパウゼを置いたことで有名な個所ですが、ヴァンスカは一瞬のパウゼも拒否します。理由は簡単。楽譜に書いてないから。
同じことは202小節と203小節の間に付いても言えます。ここは声楽の開始を準備する場面で、普通は音量の急変に鑑みて若干呼吸を開けるのですが、ここも楽譜に書かれていないパウゼは置きません。
ヴァンスカの楽譜絶対主義が徹底されている典型的な場面でした。
マエストロの第9へのアプローチは、極めて器楽的なもの。なおかつシンフォニック。あくまでもベートーヴェン当時の楽器法を最大限に駆使した壮大な交響曲としての第9です。
その結果、オーケストラと合唱の実力も相俟って、極めて推進力に溢れた現代的ベートーヴェンの再現が実現しました。
恐らく現代のベートーヴェン演奏の最も理想とされる姿だと思われます。
ただし、第9の底に流れている精神性は一片もありません。
耳と頭に(楽譜を見ながら聴けば、多分目にも)は極めて刺激的なベートーヴェンですが、ハートに訴えるものは皆無。感動する第9、というのとは趣は大きく異なります。
以上、私はヴァンスカのベートーヴェン・シリーズを全て聴き終えましたが、最も優れていたのは第7と第3だったと思います。意外なことに第1と第2も極めて説得力に富んでいたことを思い出します。
シリーズの最初に演奏された第5は、既に相当な時間が経過しているのでハッキリとは思い出せません。同時に演奏されたニールセンの第5が凄過ぎて、印象が薄れてしまったのかも知れません。
次の来日でもう一度5番を聴きたいものだと思っています。
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