復刻版・読響聴きどころ(1)

昨日(2月21日)、都内某所で行われた会合で「クラシカル・ウォッチ」なるブログが話題になりました。
提案を受けて即座に実行するところが管理人メリーウイロウのそそっかしいところなのですが、要するに「音楽一般」カテゴリーにかつて掲載していた読響聴きどころシリーズをブログにも再録されたし、ということ。

これは本来ミクシィの読響コミュニティーに書き散らしたものなのですが、ブログにも載せる以前のものが1年分ほどあり、折角だからより広範な読み手の存在するブログにも、という話なんですわ。

今更恥ずかしくもあり、恐ろしくもありますが、所詮は嘘八百のブログ世界のことと思い直した次第。2007年1月定期分から順次再録することにしました。
ことの序に演奏会そのものの感想も付録として付けちゃいます。

第1回の聴きどころは3回に分けました。各回は*****で区切り、演奏会の感想は*10個で境目にしてあります。ただし個人名を書いた個所は書き直しました。
テオドール・グシュルバウアーが指揮したオール・シューマン・プログラム。第1、第2交響曲と「悲劇」という珍しい作品が演奏された定期です。

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ということで、第1回は1月定期の聴きどころ。テオドール・グシュルバウアー指揮のシューマン・プログラムです。

私にとって最大の注目は、やはり「悲劇」ですね。これは日本初演になるのじゃないでしょうか。どこかで既に演奏されていますか?

まず作品について。これはロマンスとバラードという歌曲集の第4集、作品64の3の管弦楽版です。しかしピアノ伴奏曲をオーケストレーションしたものではなく、管弦楽伴奏のものがオリジナルです。後にピアノ伴奏ができているんですね。
リッツマンという人が1905年に書いたクララ伝で初めて明らかになりました。これはシューマンの管弦楽伴奏歌曲として最初の試みだったそうです。

存在は知られていたのですが、現物が発見されたのは1991年のことで、ロンドンのオークションにかかり、デュッセルドルフにあるハインリッヒ・ハイネ・インスティテュートが競り落としました。そう、これはハイネの詩につけた歌曲なのです。

初演、もちろん世界初演ですが、これは翌1992年5月19日、デュッセルドルフでユルゲン・クスマウルの指揮、ロベルト・シューマン室内管弦楽団の演奏で行われました。歌はインガ・フィッシャーとアンドレアス・フィッシャーです。

出版は1994年にオイレンブルク社からポケット・スコアが出たのが最初で、以上の解説はこれを基に書いています。校訂はベルンハルト・アッペルという人。

私はこの定期のために楽譜を探し、アカデミアで取り寄せてもらいました。CDも八方手を尽くしましたが、どうも未録音のようですね。ピアノ伴奏版しか出ていないと思います。
スコアを見比べる限り、オケ版とピアノ版では微妙に違います。ピアノ版で予習しない方がいいと思いますね。

曲は3曲というか、三つの部分に分かれています。最初がテノール・ソロで極めて速く。次がソプラノ・ソロで極めて遅く。最後が二重唱で遅く、という構成です。

オーケストラはフルート2、オーボエ2、クラリネット(A管)2、ファゴット2、ホルン2、ティンパニと弦5部です。
ただし、第1曲ではクラリネットは使いませんし、第2曲ではオーボエ、クラリネット、ホルンと弦だけです。
また第3曲になると、フルートとファゴットに弦と更に減り、しかもコントラバスはお休みです。つまり、曲が進むに連れてオーケストレーションは薄くなっていくのですね。

このトピックはここで一度切りましょう。珍しい曲なので少し詳しく紹介してみました。なに、当日になればプログラムに専門家がもっと詳しく書いてくれるでしょう。

他の曲については、思いついた所で追加します。私はCDには不案内ですし、事前に聴いて予習する習慣もありませんので、それは当コミュニティの他の方々にお願いしておきます。

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交響曲についても少し書いておきます。

第1番はトライアングルを使うのが変わっていますね。
トライアングルはトルコの軍楽隊で使われていた楽器で、音程はないんですよ。
クラシック音楽では、トルコや軍隊のイメージで使われますが、モーツァルトの歌劇「後宮からの逃走」でそれらしく、盛んに使われています。

交響曲で使われたのはハイドンの「軍隊」が最初だと思います。あとはベートーヴェンの第9ですよね。
シューマンの第1番「春」は3番目かもしれません。第1楽章だけですけど。

シューマンのあとはブラームスの4番で大活躍しますし、ブルックナーも使っていますね。ブラームスより先にハンス・ロットという人が華々しく使っていまして、ブラームスはその影響かもしれません。

あと第1番では第4楽章にあるカデンツァが聴きどころでしょう。ホルン2本とフルートが活躍します。読響のフルート首席は二人いますが、どちらが吹きますか楽しみですね。

第2交響曲は、以前はあまり演奏されませんでしたが、最近は人気が出ているようですね。
聴きどころは何と言っても第2楽章、スケルツォですね。その最後のコーダで第1・第2ヴァイオリンが速いパッセージを曲芸的に弾きまくります。終わり方もきっと格好良いと思いますよ。ここで拍手が起きてもいいのじゃないか、と思うほどです。実際にそういう演奏を聴いたことがあります。

読響ヴァイオリン群の妙技を堪能しましょう。

     *****

何点か追加しておきます。

<日本初演について>
初演(世界初演)については解説書や当日のプログラムで確認してください。日本フィルのマエストロサロンでは必ず日本初演情報を提供してくれますので、このトピック・シリーズでもそれに倣って可能な限り調べてみようと思っています。

「ゲノヴェーヴァ」序曲/1939年10月18日/日比谷公会堂/ローゼンシュトック指揮日本交響楽団(現N響)
第1交響曲/1949年3月21日/日比谷公会堂/尾高尚忠指揮日本交響楽団(現N響)
第2交響曲/1963年3月29日/東京文化会館/モーリス・ル・ルー指揮日本フィルハーモニー交響楽団

ゲノヴェーヴァが一番早いというのも面白いですね。古いファンには第2交響曲の日本初演を聴いた方もおられるでしょう。

<版について>
楽譜に詳しい方は、シューマンの交響曲にはマーラー版というものが存在することをご存知でしょう。マーラーはシューマンの交響曲が好きだったとみえて、よく指揮をしています。その際に、シューマンのオーケストレーションを手直しして「より良く響く」ようにしたものがマーラー版。交響曲は4曲ともあります。

最近は原典志向が主流ですから、今回も原典で演奏されるものと思います。しかし古いCDで予習すると、指揮者の手が入ったオーケストレーションで聴いてしまう場合もありますので、ここに紹介しました。
マーラー版で録音されたものにはチェッカート指揮ベルゲン・フィルのBIS盤がありますし、新譜でシャイイー指揮ゲヴァントハウス管のものが出るようです。これらは注意。

第1交響曲について言うと、この曲の作曲当時シューマンは未だ管弦楽法に未熟だったのですね。初演はゲヴァントハウス管弦楽団が行いましたが、最初のトランペットとホルンによるファンファーレで楽員が吹き出してしまいました。
シューマンの最初のアイディアは変ロで始まるものだったのですが、ゲヴァントハウスでは古いナチュラルホルンを使っていましたので、この音は特殊奏法でしか出せなかったのです。
そこでメンデルスゾーン(指揮者)の助言を入れ、音を3度上げて、古いナチュラルホルンでも吹けるように、二から始めるように「改訂」したのです。それが現在の原典版。

マーラーはこれを知っていましたから、本来のシューマンの意図を重視して原アイディアに戻しました。現在のヴァルブ付きホルンならどんな音でも可能です。マーラーはその他、この序奏と主部の関連を重視していろいろ原典に手を入れています。

従ってマーラー版にも正当性があるのです。この辺をどう捉えるかは中々に難しいものがあって、我々一ファンとしてはあまり拘泥しないほうが良いと思っています。
コアなファンはここにも注目して聴かれるとよいでしょう。

<その他>
第1交響曲のフィナーレに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが細かいパッセージをやり取りするところが出てきます。
これはゲヴァントハウス管の当時の対抗配置を意識したものだ、と言われています。対抗配置派には心強いエピソードですが、私はこれもやや衒学的な話題だと考えます。現代のオーケストラでは、プレイヤーの演奏し易さやホールの特性などで総合的に指揮者が考えること。こういう瑣末を捉えて批判したくないものです。

もう一点、シューマンが手紙に書いたという一節を紹介しておきます。
第2交響曲のアダージォ楽章ですが、シューマンは“哀愁を帯びたファゴットの音は特別な愛情をもってこの部分を作曲した”と語っています。注意して聴きましょう。

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昨日は今年の読響聴き初めでした。テオドール・グシュルバウアー指揮によるシューマン・プログラム。詳しい曲目はコミュニティにあるので省略。コンサートマスターはデヴィッド・ノーラン、フォアシュピーラーは小森谷功でした。

大変見事なシューマンでしたね。グシュルバウアーはこれまでも聴いていました、しかもシューマンだったのですが、こんな鮮やかな印象を持っていなかったのが不思議なくらいです。

最初の序曲からして気力の漲ったもので、終結へ向けての感情の高まりには目を瞠ります。どうしちゃんだろう、この人。という意外な驚き。
次の第1も同様、決してフロックではないと確信しました。

休憩時に何人かの知人と歓談しましたが、皆さん同意見でした。私だけの撹乱ではなかったようです。

後半は珍しい「悲劇」。初めて聴くもので、しかも短い作品。印象が薄かったか、というとそういうことはありません。そのまま第2を演奏する前に、チョッとした箸休めの効果がありましたね。
これが最後の第2を更に引き立ていたことは明らかでしょう。

それにしても第2、素晴らしい演奏でした。特に第1・2楽章の推進力には圧倒されます。

冷静に振り返ってみると、この演奏は二つの点で成功していたと思います。
第1。シューマンの音楽は、情感が完全に燃え尽きず、グスグスと燻っているようなところがあります。それが実によく表出されていましたね。読響の中音域が極めて充実しているので、この感じが巧く出ていたのじゃないでしょうか。

第2。シューマン独特の色彩感が、読響の音色に物の見事に嵌っていたこと。例えば「緑色」を例にとると、一口に緑といっても、色彩は様々です。新緑の山を思い浮かべれば判るように、樹種によって緑は全て違います。
シューマンの場合、音を原色で使うのでなく、例えばヴァイオリンとフルートを重ねることによって、ヴァイオリンでもフルートでもない音色になります。その組み合わせが真に多様でしょう。

色彩が豊か、というと様々な原色が散りばめられている様子を連想しますが、ここでは単色でありながら微妙な色合いがあり、千変万化していく、という意味での色彩の豊かさ。それが実感でした。

帰り際に友人某氏も絶賛されていましたが、この日の聴衆にとって極めて満足度の高いコンサートであったのは間違いないようです。

なお、第1・第2交響曲とも、第1楽章提示部の繰り返しを実行しておりました。

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