復刻版・読響聴きどころ(26)

本シリーズも愈々最終回です。2008年2月以降の聴きどころは、当ブログにも同時にアップしてきました。

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1月の定期は、名曲シリーズとは打って変わって、内容的には厳しい音楽の2本立て。これでお正月気分は一変に吹き飛んでしまうでしょうね。

最初はバルトークのピアノ協奏曲第3番。白血病と闘いながら、最後の17小節を残して生涯を終えたバルトークの白鳥の歌です。

日本初演はこれです。

1951年1月19日 日比谷公会堂 東京交響楽団第34回定期演奏会 ピアノ独奏/井口基成 指揮/上田仁。まだ東宝交響楽団と呼ばれていた当時、その最後の定期でした。この直後、同年3月から現在の「東京交響楽団」と改名されるのですね。そんな時代でした。
作曲は1945年でしたから、当時の東響が如何に新作の紹介に熱心だったかが判ります。

なお、この同じコンビによる演奏が3月12日にNHKから放送されているそうで、あるいはお聴きになられた方もいらっしゃるかと思います。

オーケストラの楽器編成は、フルート2(2番奏者ピッコロ持替)、オーボエ2(2番奏者イングリッシュ・ホルン持替)、クラリネット2(2番奏者バス・クラリネット持替)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、打楽器2人、弦5部。打楽器は、大太鼓、シンバル、小太鼓、トライアングル、タムタム、シロフォンです。

最後の17小節は弟子のティボール・シェルリーによって完成されていますが、ごく最近になってこれを見直した改訂版も出ているそうですね。私はまだ見ておりません。もし今回の演奏が改訂版を使用するのであれば、プログラムなどにアナウンスがあるものと思われます。その辺も気を付けておきましょうか。

これまでアメリカに移住してからのバルトークは、その先鋭さが薄らぎ、ヨーロッパ時代より低く評価されてきました。耳に快い音楽に迎合したのではないか・・・。
このピアノ協奏曲は、どこかから委嘱されたものではなく、バルトーク自身の芸術的欲求から作曲されていますね。一説に、最愛の妻で、残されるであろうディッタが生活に困らないように、遺品として作曲したのであると。確かに第1・第2協奏曲がピアノをパーカッシヴ(打楽器的)に使ったのに対し、第3は演奏も比較的容易で、聴く人にも馴染み易く出来ています。

しかし私は、それだけではないと考えています。その証拠として、第2楽章を最大の聴きどころに挙げたいのですね。
ここには「アダージョ・レリジオーソ Adagio religioso」という速度記号が記されています。「宗教的な」という表現は、バルトークからはかなり遠いものです。つまり自身の死を意識したバルトークが、最後に伝えたかったメッセージ。それがここにあると思いたいのです。

この楽章は、明らかにベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品132の第3楽章を意識していますね。ベートーヴェンが長い腸疾患からの回復を神に感謝し、“快癒に際して神への聖なる感謝の歌、リディア調にて”と書き付けた音楽。
形式もベートーヴェンと同じですし、精神的な面でも強く繋がっているのではないでしょうか。

更に静謐な弦の合奏を受けるピアノのコラール。これもバッハのコラール前奏曲に通ずるものがあります。特に弦楽合奏を注意して見て頂きたいのですが、弦の中でもコントラバスは休止、そのままアタッカで第3楽章に突入する最後の2つの音だけに、コントラバスが加わるのです。バルトークが如何に静かな魂の浄化を描こうとしたか。

更に第3楽章は典型的なロンド。A-B-A-C-A-B という構造で出来ていますが、注意してお聴きになれば、BとCは第2楽章のコラールからの借用です。特にBは、またしてもバッハを連想させるフーガ。バッハとベートーヴェンこそ、バルトークが最後に拠り所にした先輩たちだったのではなかろうか。

第2楽章の中間部、ここはバルトークの昔から得意にした「夜の音楽」になっています。夜の森で聞かれる生物たちの営み。特に昆虫や蛙の声が聞かれますが、正にバルトークにとっては、自然こそ神の世界に精神的に繋がっていたのじゃないでしょうか。

こういう感じは第1楽章の最後でも聴き取れます。ピアノと木管楽器が交互に鳴らすのは、カッコウの歌声でしょう?

ということで、私のバルトーク/第3ピアノ協奏曲の聴きどころとして、第2楽章を強く推薦します。

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続いてショスタコーヴィチの交響曲第11番。「1905年」というタイトルは、ロシア革命の発端になった1905年1月9日の「血の日曜日」のことです。詳しくはプログラムをご覧下さい。1月の演奏会には相応しいプログラム、なんでしょうかねぇ~。

日本初演はまたしても東京交響楽団。恐らくこれ以前には演奏されていないと思いますので、この定期が日本初演でしょう。
1958年5月30日 日比谷公会堂 東京交響楽団第92回定期演奏会 指揮/上田仁。

ショスタコーヴィチと言えば日比谷公会堂、という連想で、つい先日もショスタコ連続演奏会が開かれたのは皆さんご存知でしょう。その発想の原点になったコンサートの一つが、11番日本初演なのです。

次に楽器編成。
フルート3(3番奏者ピッコロ持替)、オーボエ3(3番奏者イングリッシュ・ホルン持替)、クラリネット3(3番奏者バス・クラリネット持替)、ファゴット3(3番奏者コントラ・ファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、打楽器5人、ハープ(2台から4台まで可。ただしパートは一つ)、チェレスタ、弦5部。打楽器は、シロフォン、小太鼓、シンバル、大太鼓、トライアングル、タムタム、鐘です。この鐘は、ド・ソ・ラ♯・シの四つの音が要求されていますが、普通のチューブラ・ベルで演奏されることが多いと思います。
以前、日本フィルがラザレフの指揮で取り上げらたときは、本物のロシアの鐘を用意し、マエストロが大感激、壮絶な名演になったのは記憶に新しいところ。今回の読響がどういう鐘を使うかにも注目が集まります。

さてこの作品は、一応4楽章で構成されていますが、全曲休み無しに続けて演奏されます。ほぼ1時間、体調管理をシッカリして臨みましょう。
各楽章にタイトルが付けられています。第1楽章「宮殿前広場」、第2楽章「1月9日」、第3楽章「永遠の記憶」、第4楽章「警鐘」。音楽としては、ゆっくり-速い-ゆっくり-速い と思えばよいでしょうか。

しかもソナタ形式とか3部形式というより、これは完全な描写音楽と言ってもよいでしょう。特に第2楽章では、真ん中から後半、小太鼓の連打は銃撃そのものですし、これに続くトロンボーンのグリッサンド(音を滑らせる奏法)はまるで血が川のように流れるおぞましい風景を連想させます。思わず手に汗を握る展開。気の弱い方は、ホールの後ろのほうに席を移動した方が良いかもしれませんね。

あまり細かい聴きどころを列挙すると煩わしくなります。私自身の身勝手なポイント。

この交響曲には革命歌、労働歌、自身や他の作曲家からの引用が多数使われ、私が知っている限りでも9曲はあるのですね。しかもそれらが楽章をまたいで、様々に引用されます。しかしこれらの一つ一つが何と言う歌であるかを知る必要はないと思っています。“あ、さっきこれ出たな”程度で・・・。

しかしどうしても重要なのは冒頭の音楽です。
突然ですが、鈍色ってご存知ですか? 「にびいろ」と読みます。最近の東京では最早見られませんが、冬の朝、一面が霜で、朝日が当たると霜が融け出して、水蒸気が上がる。それが発する濃いねずみ色。凍て付く冬の朝の描写ですね。
この「鈍色」の感じが、正に冒頭。しかもこれは「宮殿のライトモティーフ」として使われ、第1楽章全体、第2楽章で2度、最後の第4楽章のコーダの手前でも登場します。“人民の不安”を象徴するような独特なハーモニー(完全5度)をシッカリ耳に留めておくと、全体の理解が深まると思います。

続いては第3楽章。ここは銃撃に斃れた英傑を偲ぶ葬送行進曲。“同士は斃れぬ”という革命歌がヴィオラの弱音で歌われるのですが、このメロディーは、演奏会が終了しても、暫くは耳に焼き付いて離れないと思います。ラザレフ/日本フィルの演奏が語り草になっている一節です。

最後は終楽章の鐘でしょうね。これをどう解釈するか。ロシア人にとって鐘は極めて大切なものです。かの国では、人の誕生も死も、鐘がそれを伝えるのです。

その前、「宮殿のライトモティーフ」に乗って独白するイングリッシュ・ホルンのソロも大いに注目して下さいね。

ここで鳴らされる鐘は、「警鐘」の鐘なのですが、ラザレフによれば、希望も予感させるものだ、ということでした。それは指揮者個々の解釈ですから、ウルフ氏がどのように最後の轟音を締め括るか。またそれに対し、聴衆である我々がどのように演奏を受け入れるか、これこそ聴きどころだと思っています。

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