復刻版・読響聴きどころ(5)

2007年3月の名曲シリーズは、ベートーヴェンの第5とブラームスの第1の二本立て。今読むと無理やりこじつけた感のある聴きどころです。

          **********

いよいよゲルト・アルブレヒトの常任指揮者として、最後の月を迎えました。名曲シリーズ、定期演奏会ともにマエストロと読売日響の出会いに際して選ばれたプログラムの再演となっていることは、皆様既にご存知でしょう。
特に名曲シリーズは評判になっているようで、知人がチケットを手配したところ、既に完売で断念したという話でした。

名曲シリーズはベートーヴェンの第5交響曲とブラームスの第1交響曲という二本立て。「聴きどころ」という観点から見れば、9年前の演奏と比べて読響がどう変わったか、アルブレヒトの表現がどう深化したかという点に尽きると思います。これは定期も同じでしょう。

しかし前回の演奏に接している方ばかりではないと思いますので、別の視点が必要かとも思います。
CDで予習する方には、このコンビによる比較的早い時期に行われた録音がありますから、それをお持ちの方には大体の雰囲気は伝わってくると思います。

それでも、私を含めてCDもなく、わざわざ買う積りのない方のためにも「聴きどころ」を捜してみる価値はあるかな、と。
とは言え、有名過ぎて書き難いプログラムではありますが・・・。

さて、この2曲にはいくつか共通点があります。共にハ短調ですね。作品番号もよく似ていて、ベートーヴェンが67であるのに対し、ブラームスは68。まぁ、これはあまり意味がありませんね。

楽器編成も見てみましょうか。共に通常の2管編成ですが、ベートーヴェンはピッコロ1、コントラファゴット1が加わり、金管はホルン2、トランペット2の他にトロンボーン3本が追加されています。当時としてはかなり大掛かりな編成ですね。
一方ブラームスは、ベートーヴェンを基準にするとピッコロが無い代わりにホルンが4本という編成です。人数にするとブラームスの方が一人多いだけ。
弦楽器を通常の16型で演奏するとすれば、指揮者を含めてベートーヴェンが78人、ブラームスは79人で足りることになります。ほとんど同じ規模ですね。

各楽章の小節数というのも比較してみました。繰り返しを省略した数字です。
ベートーヴェンは夫々502-247-373-444、
対してブラームスは、511-128-164-467。
第1・第4楽章の小節数がよく似ています。中間の2楽章はブラームスがベートーヴェンの半分位ですが、ブラームスのテンポ指示はベートーヴェンより大分遅いですから、ほぼ同じようなバランス構成と言えるのではないでしょうか。

楽章間の調関係。
途中の転調などを無視すると、ベートーヴェンは夫々ハ短調-変イ長調(♭4つ)-ハ短調-ハ長調、ブラームスはハ短調-ホ長調(♯4つ)-変イ長調-ハ長調 です。
ブラームスはベートーヴェンをかなり意識し、多くを先輩から学んでいますから、まさか同じ構図にはしないでしょうが、ハ短調からハ長調へ、「暗黒を通して光明」というコンセプトは同じです。

スコアをお持ちの方は両者の最後のページを見比べてください。最後の締めは良く似ていると思いませんか。実際に音で聴くよりも、譜面で見ると一層そのように見えてしまいます。

更に思わず微笑んでしまうところがあります。ベートーヴェンでは第4楽章の22小節から始まるパッセージ、ブラームスでは同じく第4楽章の95小節から始まるパッセージです。
ストレッタというのでしょうか、アクセント(sf)を少し後ろにずらせて同じリズムパターンを繰り返しつつ気持ちを高めていく箇所ですね。明らかにブラームスがベートーヴェンから学んでいることが窺えるでしょう?

ということで2作品の共通点にスポットを当ててみました。一旦切って、個々については別に書きましょう。

     *****

例によって日本初演のデータを紹介しておきます。これは書物にも書いてありますから、間違いないと思います。

ベートーヴェン/交響曲第5番
1918年(大正7年)5月26日 奏楽堂 G・クローン指揮・東京音楽学校

ブラームス/交響曲第1番
1928年(昭和3年)10月14日 日本青年館 近衛秀麿指揮・新交響楽団

ブラームスは現在のN響の第35回定期演奏会です。

さてベートーヴェンの交響曲第5番は、「運命」という渾名で知られていますが、これは日本だけのことのようです。
最初の出だし、例の“じゃじゃじゃじゃ~ん”は運命が扉を叩く音、と昔は解説されていました。ツグミの啼き声がヒントになったという説もあります。

ベートーヴェンはいろいろ交響曲に新しい手法を持ち込んだ人ですね。最初に書いた楽器編成でも、ピッコロ、コントラファゴットなどは珍しいものです。
トロンボーンもそうで、これは本来は教会で使われる楽器でしたから、世俗の音楽である交響曲で使うのは禁じ手だったのでしょう。トロンボーンを使ったのはベートーヴェンが最初ではなかったようですが、彼はこの後も第6、第9で用い、ベートーヴェン以後は完全にオーケストラの楽器として定着してしまいます。

第3楽章と第4楽章がそのまま続けて演奏されるというのも新機軸ですよね。尤も、交響曲がシンフォニアとか序曲と未分化だった時代には普通に行われていましたから、全くベートーヴェンのアイディアというわけでもないでしょう。

更に第1楽章にオーボエのソロが出てきます。カデンツァのような感じですが、楽譜にはカデンツァという指定は無く、アダージョとだけあって、音譜が小さく書かれています。
これもベートーヴェンの発明かどうかは判りませんが、当時の交響曲では斬新に聴こえたと思います。

この曲はクラシック音楽の代名詞になっているくらい有名で、当たり前のように聴いてしまいますが、ここは初心に戻って、いかにベートーヴェンが革新的な音楽を書いたかを味わいたいと思います。

それでもいくつかチェックポイントを。
第1楽章のホルン信号。これが再現部ではファゴットに代わります。当時のホルンは制約があったために止むを得ずファゴットにしたという考えから、現在ではホルンに「戻して」吹くという習慣がありました。往年の名指揮者たちの演奏はほとんどがホルン代奏です。古い指揮者で楽譜通りファゴットのままなのは、クレンペラーとモントゥーがそうだったと思います。
最近は楽譜通りが当たり前で、ホルン組は反って珍しいでしょう。
アルブレヒトはどうしますか。皆様お持ちのCDではどうでしょうか。

次は繰り返し。これまで普通に演奏されてきたブライトコプフ版などでは、第1楽章主部と第4楽章主部に繰り返し記号が書かれています。特に第4楽章は繰り返さなければ聴けない小節がありますから、結構新鮮に聴こえますよね。

従来、第1楽章繰り返しは実行、第4楽章繰り返しは省略、というのが最も多いパターンでした。最近は第4楽章も実行する演奏が増えてきたと思います。
第1楽章を省略したものでは、私が知っているものではミュンシュ・ボストン響のスタジオ録音があります。ミュンシュは第4楽章も当然のように省略、信号はホルンです。

さてアルブレヒトや如何に。

これとは別に、根拠は何だったか忘れましたが、第3楽章のスケルツォ+トリオ部を繰り返す演奏もあります。
楽譜ではスケルツォ-トリオ-スケルツォ(そのままフィナーレへ)となっていますが、繰り返すと、スケルツォ-トリオ-スケルツォ-トリオ-スケルツォ、となるのです。第4や第7もこういうパターンですから、違和感もほとんどありません。

このタイプではマズア、ブーレーズがあったと思いますが、CDが手元に無いので確認できません。
最近聴いたものでは、渡邉暁雄=日本フィルのライヴ(1982年)がこれですね。この演奏では他の繰り返しも全部実行していますが、テンポが速いため、演奏時間は37分ほどに収まっています。

以上、皆様のCDでチェックされてみるのも一興ではないでしょうか。

ブラームスはのちほど。

     *****

続いてブラームスに行きましょうか。第1交響曲は構想から完成まで長い歳月を要した、ということは有名ですね。
最近の研究では、ブラームスが様々な作品から影響を受けたことが判ってきたようです。最初に書いたベートーヴェンでは第5の他にも第7のリズムが第1楽章に影響しているそうですし、シューベルトの「ザ・グレイト」との関係を指摘する学者もいます。

はるかぜさんには種明かしになってしまいますが、第4楽章の主題とベートーヴェンの第9「歓喜の主題」の類似性は昔から言われてきました。

しかし最近では別の解釈もあります。この主題はブラームス自身が「大学祝典序曲」でも引用している学生歌「われらは立派な校舎を建てた」と関連がある、というものです。

これは単なる学生の愛唱歌という以上の意味を持っているのですね。やや政治的な話になりますから、感心の無い方は飛ばしてください。

当時ドイツはビスマルク政権の下で普仏戦争に勝ち、ドイツ人の悲願であった統一ドイツ帝国が成立します。北ドイツ出身のブラームスはこれに感激し、義勇軍に志願することさえ考えたほどのゲルマン民族主義者でした。

このゲルマン民族主義者の団体に「ドイツ人読書連盟」というものがあったそうで、反ユダヤ的な政治活動に走ったため、1878年に官憲の圧力で解散させられます。その解散の際に学生たちが合唱したのが「われらは立派な校舎を建てた」です。

ブラームスの主題が実はベートーヴェンではなく、この学生歌に由来するという説もあるのですね。
更にブラームスは第1楽章展開部でも、第4楽章の序奏部とコーダでもドイツ・プロテスタントのコラールを引用しています。
その対位法もカトリック系音楽の手法ではなく、北ドイツ・ポリフォニー楽派に由来する対位法です。

以上を考え合わせると、ブラームスの第1交響曲は極めてドイツ民族主義的なメッセージの発露、と言えなくもないのですね。

しかし21世紀の日本では、あまりそういうことを意識しなくてもブラームスを楽しめる環境にあると思います。
上記のことは参考に止めておいて、大いに音楽そのものを楽しみましょう。

ベートーヴェンに倣って繰り返しについて言うと、この曲の場合、第1楽章主部にのみ繰り返し記号が書かれています。昔はこれを実行する演奏はほとんどありませんでしたが、最近は僅かづつ増えているようです。
レコードではケルテス/ウィーン・フィルがそうですね。ベートーヴェンでも紹介した渡邉暁雄も繰り返し実行組です。

楽器編成については最初に記しました。
ナマで聴くとコントラファゴットの音が印象的に響きます。これを聴くといかにもブラームスという重厚な印象を持ってしまいますが、皆様は如何ですか。

ところでブラームスは交響曲を4曲書きましたね。この4曲でチューバを使う曲が1曲だけあります。さてそれは第何番でしょうか。

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください