復刻版・読響聴きどころ(7)

2007年4月の定期は、このシーズンから読響の首席指揮者に就任したスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの就任披露コンサートでもありました。
私も余程張り切ったせいか、4回に分けて聴きどころを書いています。

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今日から新年度。読売日響も人事刷新、新しい体制で創立45周年の記念シーズンがスタートします。

そこで本コミュニティの名物シリーズ(そんなわけはないか)、「聴きどころ」も人事を一新し、新しい姿勢でスタートしましょう。
と思ったのですが、どうも根回しが行き届かず、しばらくは私がトピックを立てることに致します。そもそもこういう企画が良いのか悪いのか分かりませんが、少なくとも第45シーズン一杯は続けようと思います。定期と名曲、全部で20数本になる予定、どうぞ宜しくお願いいたします。

アッ、いつでも選手交替の心構えは出来ておりますので、我こそは、とお考えの方は遠慮なさらず挙手して下さいな。

さて4月定期は、新常任指揮者スクロヴァチェフスキ氏の就任披露コンサートでもあります。
曲目は二つ。ベートーヴェンの大フーガとブルックナーの第4交響曲です。

一見して気が付くのは、どちらも「版」という問題を抱え、それが「如何に聴き手に理解してもらうか」ということに端を発している点で共通していますね。いかにもミスターSの門出に相応しい選曲だと思います。

まずベートーヴェンから始めましょう。
解説するまでもないかも知れませんが、初めてというメンバーの方もおられると思いますので、基本的なこと。

これは本来のオーケストラ作品ではありません。弦楽四重奏のために書かれた作品で、室内楽です。それをオーケストラの演奏会でも取り上げられるように、弦楽合奏曲に拡大したものなのですね。

弦楽四重奏と言いましたが、これもチョッとした経緯があります。
ベートーヴェンは第9交響曲を書いた後、更なる境地に踏み入って行きます。その結果生まれたのが、俗に「後期四重奏曲」と呼ばれる弦楽四重奏曲の第12番から16番までの5曲なのです。
交響曲は第○番が普通に使われますね。近頃は「ベト○」などと略しますが、私はこういう省略形は嫌いで使いません。

弦楽四重奏の場合は第○番と呼ばずに、作品番号で呼ぶのが日本では習慣になっています。
即ち、作品127、作品130、作品131、作品132、作品135の5曲です。いやらしい、と思うかもしれませんが、そういうことになっています。

さて今回演奏される「大フーガ」というのは、これとは別に作品133が充てられています。こちらは普通に大フーガと呼び習わしているはずです。

さてこの大フーガは、本来作品130の終楽章として作曲されたものです。この曲は全部で6楽章あって、これまでの弦楽四重奏曲の常識を大きく逸脱しているのです。これがベートーヴェンの凄い所で、交響曲しか知らない人にはとっつき難いかも知れません。しかし恐れないで下さいね。

この終楽章は当時の最先端を行っている演奏家や音楽愛好家にとっても難しく思われたので、ベートーヴェンはこれを引っ込め、もっと軽快で分かり易い終楽章を作曲しました。それが作品130です。

しかしこの大フーガをそのままゴミ箱に入れてしまうのは勿体無く、他とは独立して「大フーガ」作品133として出版されました。
最初から「版」の問題を抱えてスタートしたのですね。

最近になって漸く人々の理解も深まり、ベートーヴェン本来の終楽章である大フーガを使って作品130を演奏する事例が増えてきました。むしろその方が多い位です。
私は晴海で行われているクァルテット・ウェンズディというシリーズを毎回聴きに行きますが、最近演奏された例は皆大フーガ版での演奏でした。

ベートーヴェンの後期というのは、当時の聴衆には理解不能、演奏家には演奏不能の世界で、はるかに後の時代を先取りした音楽です。第9交響曲が最高、と思っているオーケストラ・ファンが多いと思いますが、弦楽四重奏曲の世界はそれを遥かに凌駕しているのですね。
実際問題として、第9と作品131が真剣勝負をしたら、作品131が勝つだろうと思います。

そこでオーケストラ・ファンにもベートーヴェン後期の世界を聴いてもらおうと、いくつかの試みが行われてきました。
それが弦楽合奏による「版」なのです。トスカニーニ、ミトロプーロス、近衛秀麿などの試みもあります。

今回スクロヴァチェフスキが演奏するのは、恐らくフェリックス・ワインガルトナーによる編曲版で、これがブライトコプフ、カーマスなどから出版されています。ヒョッとするとスクロヴァ先生が更に手を入れるかもしれません。
私は弦楽合奏版のスコアを持っていませんので、弦楽四重奏版と比べて何処がどのように変わっているか確かめることが出来ません。悪しからず・・・。

レコードでは、昔は単純に弦楽四重奏曲の四つの声部を複数の奏者が演奏するスタイルの「弦楽合奏版」もありました。
ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズやエドウィン・フィッシャー室内管弦楽団のものはこのスタイルです。最近の録音はワインガルトナー版を使っていると思いますが、私はレコードに詳しくないので分かりません。

この版でなくとも、オリジナルの弦楽四重奏曲を一度は聴いておかれることをお薦めします。
大フーガとは言いながら、全曲がフーガばかりで作曲されているのではありません。フーガは3種類で、間を間奏風の音楽が繋いで行きます。特に最初に出る跳躍の大きい主題が大切ですね。チョッと聴くととっつき難いテーマですが、馴染んでくると全体の彼方此方に聴こえてきて素晴らしい体験が出来ると思います。

特にベートーヴェンは縦線がピッタリ合わない、シンコペーション風の動きを多用しますから、弦楽合奏の厚みある響きを堪能して下さい。

ところで恒例の日本初演ですが、よく分かりません。もちろん弦楽合奏版のことです。日本のオーケストラの定期初登場は、何と1987年6月5日、京都市交響楽団で、ダヴィッド・シャロンが指揮しています。これ以前の記録があるような気もしますが、難しい曲ですから、これが初演なのかもしれません。

このままブルックナーに続けるわけには行きませんので、ここで切ります。毎度のことながら、長くなって申し訳ありません。

     *****

ブルックナーも一気にやってしまいます。来週は「名曲」をやらないと時間がありません。休みはフル回転ですわ。

ブルックナーには「版」の問題があることは皆様よくご存知でしょう。「稿」という問題もあります。
版などどうでもよいという意見もあると思いますが、実際に演奏する立場では蔑ろに出来ないことだと思いますので、整理しておきます。
特に第4交響曲は、ブルックナーの中でも最も複雑で、私もよく判らないのが正直な所です。間違いがありましたら、どうぞ指摘してください。

まず「版」のこと。

ハース版とノヴァーク版というものが存在することはご存知だと思います。
さて、国際ブルックナー協会というものがありまして、ここがブルックナーの原典版の出版を始めました。1930年代のことです。それ以前の版は、ブルックナーのオリジナルを他人が勝手に手を入れた、として現在では無視されています(一応は、ね)。

1930年代に始まった原典版の出版はロベルト・ハースという学者が中心になって進められました。
これは様々なブルックナーの書き換えを整理し、1曲に付きたった一つの決定版を作るという方針で編集されたものなのですね。これは1940年代まで出版されてきました。

これに対し1950年代になると、新しい方針で新全集が開始されます。こちらはレオポルド・ノヴァークという学者が中心です。
ノヴァークはハースを批判し、ブルックナー自身が改訂した夫々の時期の考えを全て一つの版として出版し、夫々を「稿」という形で整理していきます。従って、一つの作品にいくつもの稿が生まれることになります。

どうもこの動きにはハースがナチ時代の編集方針であったことへの批判もあるらしいのですが、そういう政治的な話はここではしません。

そこで「稿」の話が登場してきます。

第4交響曲は1874年(50歳)に一旦完成します。これが第1稿といわれるものです。しかし1878年(54歳)から1880年(56歳)にかけて大幅に改訂します。途中で考え直したりもしますが、それは別の話として、これが第2稿です。
更に1888年(64歳)になってブルックナーはまた手を入れます。出版とか演奏に絡むものですが、細かい経緯は触れません。とに角これが第3稿として残されているものですね。

他にもいろいろあるようですが、私の手には負えません。

こんがらがってきましたが、今回読響定期で演奏されるのは、1878年/80年稿、即ち第2稿と称するものです。普通、第4と言えばこれのことです。

尚、最近になってフアン・カヒスという学者が、ブルックナーのいくつもある交響曲の版に、作曲と改訂が行われた順番に番号を振ることを提案しています。カヒス番号と言われていますが、まだ一般的には使われていません。
そのカヒス番号によると、今回演奏されるのはカヒス第10番に当たります。
まぁ、これは余談ですから聞かなかったことにしてください。

さても第4交響曲の第2稿は、ハース版とノヴァーク版が残りました。実はこの二つはほとんど同じです。聴いて判る箇所は一番最後、ここで第1楽章の第1主題であるホルンのテーマが回帰するか否かだけの差です。スコアを見ると他にもいくつかあるのですが、聴いて判る内容ではありません。

ノヴァークはハースを批判していながら、実際にやったことは、ハース版をそのまま使って、変更する箇所にハサミを入れ、後は手書きで書き込んだだけなんですな。

音楽の友社から出ているノヴァーク版(第2稿)を虫眼鏡で良く見て御覧なさい。活字が他とチョッと違っている所がいくつかあります。それがノヴァークがハース版を改竄した全てなんです。
私はこういうやり方、嫌いですね。ページを捲る所は全部一緒、小節数も全く同じ。他の交響曲も全てこのスタイルです。嘘だと思ったら両版を見比べて下さい。唖然としますから。
まぁ、他の稿については新たに版を起こしています。それはそれで立派な仕事と評価しなければいけませんが・・・。

どうも「聴きどころ」とはズレた話になって恐縮です。

さて本題。
一般に「ノヴァーク版」(又はハース版)による演奏と言っても、この版通りに演奏していない指揮者もいます。スクロヴァチェフスキは正にその一人ですね。カラヤンもそうです。

スクロヴァチェフスキはCDがありますから、それを聴いた結果で示すと、まず第1楽章の展開部の終わり、トランペットがファンファーレ風に残る所。上記スコアでは30ページ、325小節からですね。ここに楽譜には無いティンパニが打ち込まれます。

第4楽章。第1主題の最も盛り上がる箇所、108ページ、76小節ですね。ここでティンパニと同時にシンバルが鳴らされます。
同じ第4楽章134ページ、329小節。ここにもティンパニが追加されています。

実はこれらはハースでもノヴァークでもなく、それ以前の様々な版に書かれていることで、ブルックナー以外の手が勝手に書き換えたと言われている変更なのです。カラヤンもスクロヴァチェフスキも、ここはこの方が効果的と考え、敢えて昔の版を復活させているのでしょう。

しかし話が更に複雑になっているのは、ごく最近になってベンヤミン・コルストヴットという人が、これらの変更をブルックナー自身も認めていたという見解を取って、3年前、2004年になって出版したんですよ。これは未だ見ていませんから確認は出来ませんが、正式に復権してしまった楽譜(処置)なんですね。

それだけじゃない。
スクロヴァチェフスキは飛んでもない隠し業を持っているらしいのです。ドラを使うというのですがね。
この話は、立風書房「オーケストラこだわりの聴き方」(金子建志編)の153ページに書いてありますから、書店で立ち読みでもしてください。面白いです。今回もこれを実行するかどうかは分かりませんが・・・。

とにかく演奏会場に着いたら、打楽器を見て、シンバルとドラがあるかどうか確認して見てください。この二つの楽器は、ハースにしてもノヴァークにしても使わないはずのものですから。

ということで聊かマニアックな話になってしまいました。大切なのは他にある、という方のために、稿を、じゃなくて項を変えてもう一度書き込む予定です。

ブルックナー第4の聴きどころは切がなくて困ります。やれやれ。

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もう一頑張りして終わりまでやっちゃいましょう。

今度は軽い話。
ブルックナーの第4交響曲には「ロマンティック」というタイトルが付いています。これはブルックナー自身が付けたタイトルだったはずで、スコアの1ページ目に“Romantische”と書いてありますね。

ブルックナーは中々皆に理解されませんでした。自分で指揮しましたが、指揮者としては落第だったようで、益々混乱に陥ったようですね。

第4は50歳のときの作品です(第1稿)。ですから焦りもあったと思いますね。それで何とか作品の内容を理解してもらおうと、ロマンティックというタイトルを考えたんじゃないでしょうか。

具体的に第3楽章は「狩の情景」と言っています。第4楽章は、楽しい一日を終えた後の嵐だそうです。

第4楽章はバスの刻みで始まりますが、ここは狩から帰る様子を描いています。ここに管楽器が入ってきますが、黒雲が立ち籠めてくる情景でしょう。だんだん回転が速くなって、雨が迫ってくる様子が感じられます。
狩の様子を思い出すように金管に第3楽章の回想が出てきます。遂に大音量が轟いて雨が降り始めます。

続いて弦楽器が、風に追われるように雲が流れる様子を露骨に描きますね。最後にはシンバルが鳴り渡って雷が落ちます。

まぁ、こんな具合にストーリーを付けて聴くと、長い長いブルックナーの交響曲も退屈しないで聴けるのじゃないでしょうか。ブルックナーもそういう積りで標題的な解説をしています。

そう、これはブルックナーが書いた長調による最初の交響曲で、自然そのものからの霊感を感じさせます。そのように聴いて良いと思いますね。

傑作なのは第1楽章の第2テーマで、弦の弾むような音型は、シジュウカラの“ツツピー”という囀りだと言っています。
日本でもシジュウカラが縄張り主張の“ツツピー”を始めましたね。季節柄、微笑ましい音楽です。

この説明は少し苦しいような気がしますが、ブルックナーとしては必死だったと思います。

こういう話を参考にして、ブルックナー初体験される皆様も連想を豊かにして交響曲を聴いてみてください。僅かでも心に響く場面があれば、もうブルックナーは恐くないと思います。

慣れてくれば、一番美しいのは第2楽章でしょうか。

CDでの予習なら、やはりスクロヴァチェフスキが良いと思います。ミスターS自身の指揮で演奏されるからというのではなく、これほどブルックナーが書いた音が全て聴き取れる演奏はザラにあるものではありません。
さっきも版を確認するために聴いていたのですが、そういうことを忘れて聴き惚れてしまいました。凄いことになっています。

ザールブリュッケンというオーケストラでさえこれですから、読響ではどんなに凄いことになるか、今からワクワクします。
絶対に聴き逃せないブルックナーになるでしょう。

     *****

ブルックナーの第4交響曲について、追加と訂正を致します。

日本初演を忘れていました。これは次のものです。
1931年4月24日 宝塚大劇場 J.ラスカ指揮/宝塚交響楽協会

これが日本初のブルックナー演奏だったそうです。
定期演奏会での初登場は、
1931年5月27日 日本青年館 近衛秀麿指揮/新交響楽団(現NHK交響楽団)

僅か1ヶ月違いですね。
共に1931年ですから、シャルクなどの改訂版による演奏だったことは間違いありません。ハース版が世に出たのは1936年ですし、ノヴァーク版は1953年の出版です。

上記2例に続くものとしては、1942年の尾高尚忠とN響がありますが、これはハース版だったかもしれません。

また、ノヴァーク版については、1954年の朝比奈隆と関西交響楽団、1957年のロイブナーとN響などが可能性としてあげられます。
これらの演奏がどういう版を使って行われたかの記載がないので、推測の域を出ません。当時のプログラムなどの一次資料を見る必要がありますね。

さて、訂正。
カヒス番号について、第4は10番と書きましたが、正しくは第11番です。ここで訂正いたします。
10番は同時期、即ち1878年に改訂していた第4楽章だけについて付与された番号で、第2稿全体は11番になります。

カヒス番号については、デーヴィッド・ダニエルズ著「Orchestral Music, A Handbook」の第3版を参照しました。
この書物は、オーケストラのライブラリアンにとっては必携の書で、楽器編成、演奏時間、出版社などを総覧できる一種のオーケストラ・レパートリー事典です。第3版には付録としてブルックナー作品の出版経緯が特に説明されておりまして、この個所から抜粋したものです。
尚、現在この書物は第4版が発行されたばかりで、この新版にはブルックナーに関する付録は掲載されておりません。これに伴って第3版は絶版になりましたから、入手は難しくなっていると思います。

以上、追加と訂正でした。

 

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