日本フィル・第618回東京定期演奏会

2月から3月にかけての日本フィルはラザレフ月間。その最終幕が、プロコフィエフ交響曲シリーズ4回目となる東京定期です。プログラムは、

《プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトVol.4》
モーツァルト/ミサ曲ハ短調K427「大ミサ曲」
     ~休憩~
プロコフィエフ/交響曲第4番作品112(改訂版)
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ソプラノⅠ/天羽明恵
 ソプラノⅡ/加納悦子
 テノール/鈴木准
 バス/成田眞
 合唱/東京音楽大学
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/江口有香

プロコフィエフの交響曲にモーツァルトを組み合わせるのは、ラザレフの二人に共通した簡潔性、明解さ、透明性を見出しているという持論から。
今回はモーツァルトの中でもあまり演奏されることのない宗教合唱曲の大作です。

もう一つ、今回のプログラムには共通項が存在すると思います。それは演奏に当って取り上げる版をどうするか、という問題があること。私の感想は、この点にも触れつつ進めて行こうと思います。

モーツァルトの所謂ハ短調ミサは未完成です。通常のミサ典礼文のうち、3番目のクレドは最初の2曲しか残されていませんし、最終章のアニュス・デイも手付かずのまま。
にもかかわらず初演はモーツァルト自身の手で行われている(従来は1783年8月25日とされていましたが、現在では同年の10月26日というのが有力な説なのだそうですが)のが不思議な所。場所はザルツブルクの聖ペーター寺院でしたが、未完の作品をどのように演奏したのか? 手付かずの個所は他の作品から転用したのか? トルソのまま演奏したのか?

そこでこのミサには様々な版が存在します。一応完成しているとされる曲でも、オーケストレーションが未完の個所が多々あるからですね。事前に下調べしたところ、

①1840年にヨハン・アントン・アンドレが試みた完成版。これは出版されていません。
②1901年にアロイス・シュミットが完成した版。これは未完の個所にモーツァルトの他の宗教作品から転用してミサ曲として完成させたもの。アニュス・デイは冒頭のキリエを回帰させる作りで、出版はブライトコブフとカーマス。
③1956年にロビンス・ランドンが校訂したもの。敢えて楽章を追加しないオリジナルを重視したもので、出版はペータース。オイレンブルクのポケット・スコアもこれで、私が使っているものと同じでしょう。
④1987年にモニカ・ホールとカール=ハインツ・ケーラーが共同で編んだもので、ヘルムート・エーダーによる新しいオーケストレーションが付けられたもの。ベーレンライター版。
⑤1990年にリヒャルト・マウダーが編纂したマウダー版。出版はオックスフォード出版とカーラス。
⑥2005年に初演されたロバート・レヴィン版。これはカンタータやスケッチから全曲を再構成したものだそうですが、出版等の情報は入手出来ませんでした。

以上、些か煩わしい話になってしまいましたが、ラザレフがどれを選択をするのかも注目なのです。

結論を言えば、ラザレフは最もオーソドックスな③ランドン版を取り上げました。古楽やオリジナル奏法などには無縁なマエストロとして、至極当然な選択だと申せましょう。

では演奏も伝統的なモーツァルト・スタイルだったか言えば、それは違います。

まずオーケストラの配置が普通とは少し異なることに気が付きます。
オーケストラは小編成ですから、合唱はP席ではなく舞台奥に整列します。後が男性、前に女性コーラス。
指揮台の前には奏者が座らず、人が通れるほどのスペースが空けられていました。これは後で意味を持ってきます。

ランドン版の指定通り、オルガンが通奏され、合唱のアルト、テノール、バスの各パートに重なる3本のトロンボーンが左右に離れて置かれているのがラザレフ流でしょうか。
4人のソリストは、最初に登場した時は合唱団の前に置かれた椅子に着席しました。あ、ソロはオーケストラの後ろで歌うのか。

ラザレフ登場、やや速目のテンポでキリエが始まります。中間部のクリステ・エレイソン、第1ソプラノの天羽明恵が立って美しソロを聴かせますが、オケの後で歌うので、声がやや遠い感じ。難所の低いラ♭もキチンと出ていました。(かつて某オケで聴いたときには、人気美人ソプラノ某が低い音を出せず、幻滅した思い出があります。)

グローリアが始まる前、テノール・ソロが立ってグレゴリアンの Gloria in excelsis Deo が朗唱されます。これはクレドに先立ってバスが Credo in unum Deum を吟ずるのも同じ。

グローリアの第2曲 Laudamus te では、何と第2ソプラノの加納悦子が自席を立つや、前奏の間につかつかと指揮者前に造られた小道を歩いて指揮台の横に立ち、華麗なコロラトゥーラを披露するのでした。

ここでは当然ながら声が客席一杯に響き渡り、加納の見事なテクニックが見えるよう。
そうか、キリエの中でのソプラノ・ソロは遠くから響く声として、グロリア以降のソロはコンサート・アリアにように声を十分に聴かせる。これがラザレフの仕掛けであったことに膝を打ちます。

ハ短調ミサの独唱部は第1ソプラノだけに比重が掛かっていてアンバランスという印象を持っていましたが、ラザレフの解決案は、二人のソプラノの役割を分担させ、グローリアとクレドの開始に際してはスコアに書かれているグレゴリアンの定旋律を男性ソロに歌わせることで四人のソリストに存在感を持たせたことにあるのだと思います。

それにしてもクレドのテンポの速かったこと、Et incarnatus est でのソプラノ(天羽)、フルート、オーボエ、ファゴットによる四重奏(唱)のカデンツァの美しかったこと。

その他にも合唱団の立ち座りを素早く行わせたり、サンクトゥスとベネディクトゥスを間を開けずにアタッカで続けたりと、瞬時の弛みも許さない、緊迫感の優先したモーツァルトに徹していました。
その結果やや忙しない印象を与えはしましたが、時に退屈が襲う宗教音楽を飽きさせることなく、一気に聴かせたのは流石でしたね。
合唱もメリハリが立って見事でした。

要するにラザレフのコンセプトは、宗教合唱曲というよりは声を伴うシンフォニックな絵巻物という視点でしょう。そのようにして聴けば、真に説得力に富んだモーツァルト演奏と呼べるのではないでしょうか。

長くなりましたが、メインのプロコフィエフに進みましょうか。

私は第4交響曲をナマで聴くのは初めてです。今回は1930年にボストンで初演されたオリジナル版ではなく、第6交響曲作曲後に自ら改訂して新しい作品番号を付けた「改訂版」が取り上げられました。
事前に両者のスコアをチェックしましたが、例えば小節数を比較すると、オリジナルが全体で847小節なのに対し改訂版は1365小節。長さにして1.6倍に膨れ上がっているのです。

楽想も一変、核を成す主題は同じでも、第1楽章冒頭のメロディーはオリジナルには無いもの。これが終楽章の最後にあたかも循環形式のように回帰する構成もまた、改訂版ならでは。
特にフィナーレで金管を中心に奏でられる5連音の連続は、思わず手に汗を握ってしまうほどスリリングな体験で、初めて接した曲ながら改めてプロコフィエフの体臭にドップリと浸れる大作だと認識できました。

ラザレフの指揮は、プロコフィエフに対する情熱と愛情に満ちたもの。
第2楽章では冒頭にフルートに美しい主題が出てきますが、ここでは彼特有のパフォーマンスで客席に半身を向け、“さあ皆さん、この美しいメロディーをしっかり聴いて下さいね” と言わんばかり。
実際、このテーマはその後楽器を替えながら何度も繰り返され、あたかも自然が春夏秋冬で姿を変えて行くような感興に聴き手を誘うのでした。恐らく何の予備知識もなく第4交響曲に接した人でも、この楽章の美しさに耳を奪われたに違いないでしょう。

ラザレフの啓蒙精神、というかサービスは止まるところを知らず、定期にも拘わらずアンコールに突入。同じプロコフィエフから誰でも知っている「ロメオとジュリエット」の「踊り」(第2組曲の第4曲)。
あとで事務局に聞いたところでは、耳慣れない大曲を聴いて疲れた聴衆に最後は聴き慣れた作品で楽しんでもらいたいというマエストロの強い意向なのだとか。
ですから定期の二日目を聴かれる皆さん、シンフォニーが終わっても直ぐに席を立たないように。特にアンコールの最後の三つの和音でのラザレフの指揮振りに大注目です。ニッコリ笑って帰路に着けるでしょう。

ということで初体験のプロコフィエフ/第4交響曲でしたが、私にとってはもう一つの初体験が待っていました。

演奏会終了後、舞台裏に呼ばれてモスクワ放送?のインタヴューを受けてしまったのです。何でもロシアのラジオ局の日本向け放送なのだとか。ラザレフ/日本フィルのプロコフィエフ・チクルスに関する取材の一環だそうです。

もちろん事前に日本フィルから連絡があり、承諾した上でのインタヴュー。最初はロシア語ではと不安でしたが、インタヴュアーは同局の日本特派員という若き日本人女性でした。日本フィルを長年聴いている会員を代表して3名が指名され、その中の一人がメリーウイロウだったわけ。

いくつかの質問に答える形式でしたが、内容はモスクワで編集の上でラジオでオンエアされる由。インターネットでも聞けるそうです。放送時期などは改めて連絡をくれるそうですが、自分の声など聞きたくもありませんね。

サプライズ満載の第618回定期でした。

 

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