復刻版・読響聴きどころ(11)

2007年5月の名曲シリーズは、テミルカーノフの指揮するブラームス・プログラムでした。

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5月は早々と読売日響のコンサートを聴いてきました。ミューザ川崎で行われたファミリー名曲コンサート。ここで5月のプログラムを貰いましたので、中味を読んでみましたが、相変わらずの内容、聴きどころに相当するような記述はありませんでした。

ということで、ブラームス特集の名曲シリーズ「聴きどころ」をまとめましょう。東京芸術劇場名曲シリーズも同じプログラム、ブラームスの第2ピアノ協奏曲と第4交響曲です。

この2曲はよくご存知で、今更聴きどころでもない、という方も多いと思いますが、初めてのメンバーを想定して紹介しましょう。

ブラームスの音楽は、どれも完成度が高いのが特徴ですね。音楽史上、これほど駄作のほとんどない作曲家は珍しいと思います。
もちろんブラームスの個性による所が大きいのでしょうが、彼が受けた教育の影響を無視するわけにはいきません。
ブラームスの先生は、エドゥアルト・マルクスゼン(1806-1887)という人です。ブラームスと同郷、ハンブルクの人ですね。

ブラームスは大成した後も常に作品をマルクスゼンに見て貰っていました。マルクスゼンは当時のドイツ・オーストリアの作曲理論と演奏様式を完璧に継承できた優れた師だったのです。

今回演奏されるピアノ協奏曲第2番は、このマルクスゼンに捧げられました。スコアの表紙には「我が友にして師なる」という形容詞が書いてありまして、それが全てを表していると思いますね。
私はとても重要なことだと思いますが、プログラムにはマルクスゼンのマの字も載っていませんでしたので、敢えて紹介しました。

聴きどころは正にここ、ドイツ・オーストリア音楽の真髄ということではないかと思います。

かつてジョージ・セルという大指揮者が、“ブラームスの交響曲で一番好きなのは第2ピアノ協奏曲だ”と言ったそうですが、内容はほとんど交響曲ですね。
つまり、協奏曲というのは3楽章で出来ていて、ソリストの名人芸を聴かせる箇所がたくさんあるものです。ですがブラームスの特に第2ピアノ協奏曲は、カデンツァらしき箇所もありませんし(微かに出だしのやや長いソロがあるだけ)、見て楽しむようなスリリングなソロも出てきません。楽章も交響曲のように四つありまして、とても長いです。そういう意味では“面白くない”かも知れませんが、何度も聴くうちに味わいが深くなっていく種類の音楽ですね。

私的な聴きどころは、やはり第3楽章でしょうか。ピアノ協奏曲なのにチェロのソロが出てきまして、美しいメロディーが聴けます。
実はこのメロディーは、後に歌曲「私の眠りはますます浅くなり」作品105-2に転用されるのですが、ブラームスの秘めたる恋人の一人、エリザベス・フォン・ヘルツォーゲンベルクへの想いが重なっているのではないかと思います。
この歌曲を聴いておくのも予習の一つではないでしょうか。

この項はここまでにして、また何か思い付いたら加えることにします。

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今回のソリスト、フェルツマンという人は初めて聴く人です。名前すら知りませんでしたから、ピアノには全く疎いメリーウイロウであります。
私もCDを聴いてみようと思いましたが、ほとんど持っていないことに愕然としました。整理整頓が悪い所為で見つからないということもあるのでしょうが、バックハウスのものが出てきただけ、それもベームとのものではなくてシューリヒトとのモノラル盤でした。お粗末なことです。

読売日響の演奏では、昔のことになりますが、ルービンシュタインを聴きました。レコードで聴くルービンシュタインはピアノの音が大きいというイメージがありましたが、ブラームスではオーケストラに埋没してしまい、ピアノの音があまり聴こえてこなかった印象が残っています。

他では、コンサート経験の比較的初期に園田高弘さんを聴きました。N響との特別公演で、他にベートーヴェンの4番、バルトークの3番もありました。
園田さんは、その最晩年に読響定期でも聴きましたね。このときは尾高忠明さんの指揮で、さすがに衰えは隠せない感じでした。
あと記憶に残っているものでは、新進ピアニスト、バレンボイムですか。渡邉暁雄さんとの日本フィル定期です。

どうも古い記憶と昔のレコードばかりで参考にはなりません。今回はチャンと聴く積りです。

改めてスコアを眺めていましたら、ピッコロが出る所が1箇所ありますね。どこだか判りますか?気が付かないことがいろいろあるものです。

ブラームスの第2ピアノ協奏曲の日本初演は、1933年6月7日、日本青年館でベンノ・モイセイヴィッチのピアノ、近衛秀麿指揮の新交響楽団だったそうです。新響の定期ではありません。
定期演奏会初登場はやはり新響(現NHK交響楽団)で、指揮は同じく近衛氏でしたが、ソロはアルトゥール・ルービンシュタインなのですね。1935年4月22日、新響第153回定期です。このときはサン=サーンスの第2協奏曲も演奏されています。正に、おぉぉっ、という感じですな。

もう一つ感想風な話をしますと、この曲のオーケストラでは第3楽章と第4楽章が比較的軽いオーケストレーションになっていますね。トランペットとティンパニは前半の2楽章だけで後は出てきません。ですから、どうしても頭でっかちの印象がありまして、私は何となく物足りなく感じていたものです。

しかし最近は歳の所為か、後半の2楽章に特に惹かれます。ブラームスのイタリア旅行を反映したと言われるように、重い音楽ではなく、しっとりとした情感を湛えた第3楽章と、軽やかにピアノが転がる第4楽章。何と素晴らしい音楽だ、と思いますね。

フェルツマンや如何に。

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第4交響曲もやってしまいます。

日本初演は、
1929年6月8日 奏楽堂、シャルル・ラウトルップ指揮の東京音楽学校のオーケストラ(現在の芸大)です。

今回初めて聴かれる方が、“良く判らない”という感想を持たれたとしても、悲観することはありません。そもそも判り易い音楽では決してないと思います。

ブラームス自身がこの曲が理解されないことを懸念して、“この果物は甘くないから食べられないでしょう”と予防線を張っているほどです。マイニンゲンでの初演は成功しましたが、ウィーンでは不評で、認められるのに10年かかったそうですね。
ウィーンは「音楽の都」などと呼ばれますが、それは嘘で、ほとんどの大作曲家をウィーンという街は無視してきました。ですからブラームスの第4交響曲を1度聴いただけで気に入らなくても、何の心配もありません。

ということで、この曲にはメロディーらしいメロディーがありません。現在でこそ、出だしの憂いに満ちた主題が美しいと感じられていますが、これはメロディーと呼べるようなものではなく、単に音階を3度づつ下降してくるだけの動機に過ぎません。いつまでも下降したのでは行き詰まってしまいますから、途中で元に戻す、即ち6度上行させます。
その結果、ミ→ド→ラ→ファ→レ→シ→ソ→ミ という動きが生まれますね。これが第1楽章の第1主題です。

ブラームスはこれを第4楽章でも使っています。聴いただけでは判り難いと思いますが、楽譜を見るとブラームスの仕掛けがいろいろ見えてきます。

実は3度下降、という単純な音の動きはブラームスにとって特別な意味があるようで、「死」と関連させる学者もいます。我々は聴いて楽しむ立場ですから、あまり拘らなくても良いのですが、そういうものだと思ってください。

解説を読むと、第4楽章はパッサカリアで書かれている、とあります。出だしは管楽器だけが演奏しますが、これがパッサカリアという8小節のテーマです。これがいろいろなパートに律儀に繰り返されて、30回変奏されます。最後にやや長いコーダがあって全体が終結。

このパッサカリアのテーマは、実は第1楽章にも出ていたのですね。始まって直ぐ、第1楽章の第10小節目からコントラバスに出てきます。

ブラームスは前半の2楽章を1884年に書き、後半は翌1885年に書きあげます。
パッサカリアの主題はバッハのカンタータ第150番の終曲に出てくるバスのテーマですが、本格的に作曲する前年の第1楽章の時点で既に偲びこませています。確信犯ですよね。

しかしこれは聴いて判るものではありません。スコアを目で追ってみて気が付く種類の隠し業なのです。実際にこの論文が発表されたのはほんの10年ほど前のことでした。

ということで、ブラームスの第4交響曲には耳だけでは気が付かない仕掛けが秘められているということです。「聴きどころ」ではなく目で捜す楽しみ。ブラームスにはそういう面もありますから、興味を持たれたら、スコア・リーディングにチャレンジしてみては如何でしょうか。

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こちらも少し訂正と追加をしておきます。

書き込み2にピッコロが出てくると書きましたが、正確には第1楽章で1箇所、第4楽章にも1箇所ですね。

第1楽章は、再現部の終わりというか、コーダに入る直前。小節数で指摘すると、334小節から335小節の1フレーズと、339小節から340小節の二つの音です。
ここは前後の関係から見て、第1フルート奏者がピッコロに持ち替えるように読めます。オイレンブルク版ではどちらの担当か指定がありません。

一方、第4楽章はもう少し長いフレーズです。軽やかな主題、チョッとキャロルの「赤鼻のトナカイ」を連想させるメロディーが再現する所、333小節から341小節までと、359小節と360小節の3連音。どちらもオーボエとのデュオです。
これは第1でも第2でも演奏できると思いますが、第1楽章の絡みから1番奏者かもしれません。

些細なことですが、今回改めてスコアを眺めていて気になりました。1階席ではピアノの蓋に遮られてフルート奏者は見えません。もし関心がある方で、オーケストラを眺望できる席に座られる方はチェックしてみては如何でしょう。オーケストラの現場では大事な問題ですからね。

読売日響のフルート首席は二人、男性が一戸敦さん、女性は倉田優さんです。この日はどちらが吹かれるか分かりませんが、いずれにせよ1番奏者がピッコロも吹くのは珍しいことです。もし私の予想が当たれば、チョッとレアな光景を見ることができますよ。

第4交響曲では普通の2管編成の他に、やはりピッコロとコントラファゴット、トライアングルが出てきます。
ピッコロとトライアングルは第3楽章だけ、ここのピッコロは明らかに2番奏者で、2番はフルートに持ち替えることはありません。全曲を通してピッコロが鳴り響きます。
コントラファゴットは第3・第4楽章に出てきまして、これは2本のファゴットとは別に必要、即ち第3の奏者が担当します。
3本のトロンボーンは第4楽章だけに使われます。

第4交響曲では、第2楽章についても少し触れておきます。
今回のプログラムにも書かれていますが、ここでは教会旋法が使われます。どんな解説にも出てくる話ですね。そのこと。

バロック期以降の音楽、現在でもポピュラー音楽では長調と短調が使われますね。いわゆる平均律と呼ばれるもの。これが人間の音感覚に最も自然、というかそれで慣らされてしまっていますので、現代では何の違和感もありません。

しかし中世やルネサンスの頃はそうではありませんでした。音楽の中心は教会にあって、音階の構造は現代とは違ったものでした。これが教会旋法と呼ばれるものです。

現在は長調と短調しかありませんが、教会旋法は実質4種類です。(夫々に表裏があって8種なのですが)
長調は「ド」を、短調は「ラ」を主音にしますね。これと同じ意味で、「レ」を主音にするのがドリア調、「ミ」を主音にするのがフリジア調、「ファ」が主音のリディア調、「ソ」が主音のミクソリディア調というわけです。中世の感覚では、ドリア調が最も安定して落ち着いた感じに聴こえたようです。

さてブラームスが第4交響曲の第2楽章の冒頭でホルンに吹かせたのは、「ミ」から始まる音楽。即ちフリジア調なのです。
楽章全体はホ長調なのですが、冒頭はドでなくミで始まるので、いかにも教会旋法のように聴こえるのではないでしょうか。
私はそのように理解しています。もっと専門知識をお持ちの方に解説していただきたい所ですが、叩き台として紹介しました。

この楽章は旋法の話は別にしても、ホルンやクラリネットの鄙びた響きに弦のピチカートが加わり、いかにも古城に掛かる月、というイメージがあります。私の体験でも、この交響曲で最初に心惹かれた箇所ではありますね。

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