復刻版・読響聴きどころ(10)
2007年5月は、ロシアの名指揮者ユーリ・テミルカーノフの登場でした。まず定期。4回に分けて書きました。
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スクロヴァチェフスキ旋風が吹き荒れるのを見守っておりましたが、5月定期が間近に迫っています。間隔が詰まっているようで、やや慌てておりますが、5月の聴きどころを始めましょう。
出来るだけ簡潔に、と考えていますが、この月も聴きどころ満載、小まめに切って繋げて行く積りです。
さて5月はロシアの巨匠、ユーリ・テミルカーノフ氏の登場です。定期は「お国もの」プロコフィエフとラフマニノフですね。この会では作品紹介の他に、楽器についても触れるべきでしょう。普段あまり登場しない楽器、コルネットとサキソフォンが聴けますからね。
冒頭、プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」は映画音楽を組み直したもの、基本的なことはプログラムを見てください。
全部で5曲ありますが、架空の人物であるキージェ中尉に纏わる冠婚葬祭が中心です。最初が誕生、真ん中が結婚、最後が葬式。これに挟まれて「ロマンス」と「トロイカ」が置かれています。
ロマンスとトロイカには歌が入るのが本来ですが、オーケストラだけで演奏できる版があり、今回もこれによるのでしょう。
歌に替わって使われるのが主にサクソフォンですが、これは最後のラフマニノフでも登場します。言わば「サックス定期」の趣がありますね。この楽器についてはラフマニノフの項で扱うとして、ここではコルネットについて予習したいと思います。
コルネットは、この曲の冒頭と最後に登場?する他、真ん中の結婚式の音楽では主役を務めます。冒頭と最後は遠くで in distanza という指定がありますので、通常は舞台裏で演奏するようです。テミルカーノフがどのように扱うかも見どころでしょうか。
このコルネットは Cornet a pistons といって、近代フランス音楽とロシア音楽でよく使われます。
紛らわしいことにルネサンス期の管楽器にもコルネットと称するものがあり、こちらは混乱を避けるためか、Cornett と、tを重ねて綴ります。こちらは小さいホルンの意味で、16世紀が活躍の中心、モンテヴェルディが好んで使っていますね。
一方、ピストン付きコルネットは、19世紀に発明された金管楽器用のピストンをポストホルン(郵便配達人が合図用に使ったもの)に取り付けたものが起源だそうです。
音が滑らかで、自然倍音しか出せなかったトランペットの強力なライヴァルとして登場してきました。オーケストラで最初に使われたのは1829年、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」だそうです。有名どころではベルリオーズの幻想交響曲が挙げられるでしょう。
現在では、19世紀末にトランペットにもバルブが装着されるようになってトランペットに代わられますが、音のまろやかさはコルネット・ア・ピストンにも捨て難い魅力があります。
ということで、今日ではトランペット奏者がコルネットも吹くのがしきたりですね。読売日響は誰が担当するでしょうか。
プロコフィエフのキージェ中尉では、キージェの冠婚葬祭の主役のような形で扱われていますので、あるいはキージェその人を象徴するものと考えても良いかもしれません。これはあくまでも私観です。
初めて聴かれる方もおられると思いますが、音楽は美しいメロディーに溢れていて、決して難しいものではありません。鼻歌で歌えるほどです。
最初と最後は、上に紹介したコルネットが遠くから同じメロディーを吹きます。軍隊の召集ラッパのように。
もう一つ、4番目にトロイカという楽章がありますが、ここでは鈴が使われます。トナカイの橇を連想させますので、視覚的にも楽しめると思いますので、楽しみにしてください。
楽器編成を念のため書いておきますと、
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、テナー・サクソフォン、コルネット、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、打楽器3人、ハープ、チェレスタ、ピアノ、弦5部です。ティンパニは使いません。
打楽器は、大太鼓、小太鼓、トライアングル、タンバリン、シンバル、鈴。
最初の曲(キージェ誕生)では大太鼓を思いっきり叩きますが、大砲の音をイメージしているように聴こえます。
2番目のロマンスでは、歌の部分をコントラバスのソロが弾きます。多分、首席の星秀樹氏が担当すると思いますが、この名手の音も大切な「聴きどころ」です。
ロマンスではチェレスタが、トロイカではピアノが活躍しますが、チェレスタを使わずにピアノで代用する場合もあるようです。
最後のキージェの埋葬では、誕生で使われた音楽、ロマンスの一節、結婚式の音楽が回想され、時に同時に鳴らされますが、走馬灯のような効果を挙げています。
某評論家は、プロコフィエフの創造力枯渇を指摘していましたが、それは筋違いの批判だと思います。皆様はどう聴かれるでしょう。
日本初演は1940年5月22日、第216回の新交響楽団(NHK交響楽団)定期演奏会で、ジョセフ・ローゼンシュトックの指揮、日比谷公会堂で行われました。
ここで一休みです。
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さて次は、同じプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番ですね。ロシア革命の混乱を逃れて母国を離れる少し前の作品です。
最初のキージェ中尉がロシア復帰後の最初の頃の作品ですから、対称的な意味合いもあるでしょう。
最初のヴァイオリン協奏曲の作曲時期は、古典交響曲と同じ頃ですから、作品はそれほど難解なものではありません。むしろ親しみ易い音楽ですから、現代作品は苦手、という方にも十分楽しめると思います。
何より庄司紗矢香さんという名手が弾きますから、ヴァイオリンの素晴らしいテクニックを楽しみましょう。それこそが「聴きどころ」ですね。でも、もう少し内容にも触れてみたいと思います。
この曲は最初に予定していた初演が1917年の10月革命の混乱で流れ、1923年の10月18日になってやっとパリで初演されました。モーリス・ダリューというソリスト、有名なセルゲイ・クーセヴィツキーの指揮です。
本来予定していたソリストが演奏困難ということで、クーセヴィツキーのオケでヴァイオリンを弾いていたダリューがピンチヒッターに立ったのでしたね、確か。
ところがこの時客席で聴いていたヨゼフ・シゲティがこの作品を大変気に入り、プロコフィエフに談判して世界中で演奏して回ったわけ。それでヴァイオリン協奏曲のレパートリーに定着したのでした。
何でもこれを使ったバレーも創作されたという記録が残っています。
ですから予習ならシゲティということになりますか。
日本初演は正にこのシゲティが行っています。1931年5月29日、東京劇場(何処にあったのかまでは知りません)にて、ニキタ・マガロフがピアノを弾き、ピアノ伴奏版での演奏です。
オーケストラ版はどうかというと、これまたシゲティのソロで、1953年(日付が判りませんが)、日比谷公会堂で上田仁指揮する東京交響楽団の演奏です。これは東京交響楽団の定期ではありません。恐らく「シゲティ・協奏曲の夕べ」というような催しだったのでしょう。聴かれた方もいると思います。
普通の協奏曲、古典派・ロマン派・近代のものは急・緩・急の3楽章で構成されています。しかしプロコフィエフの第1ヴァイオリン協奏曲は全く逆、緩・急・緩となっているのが面白いですね。
緩といってもそんなに遅いテンポではなく、中庸。第1楽章の中ほどはかなり速くなります。
この三つの楽章は全編ヴァイオリンの聴かせどころで、ほとんど休む間もなく難しいテクニックが繰り出されます。従ってカデンツァに相当する箇所はありません。
弱音器を付けたり外したり、ピチカートやグリッサンド、アルコ(弓)とピチカート(弾き)が交互に出たり、トリルの連続やスル・ポンティチェロといって鼻を摘んだような音で唖然とさせたり。正に悪魔のヴァイオリンという感じがします。
ソリストの妙技を純粋に楽しみましょう。
オーケストラの編成は、フルート2(2番奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、チューバ、ティンパニ、打楽器2人(タンバリンと小太鼓)、ハープ、弦5部で、全てソリストを引き立てるために奉仕するのですね。
オーケストラだけ、という部分はほとんどありません。
クーセヴィツキーの名前が出たことで思い出したのですが、クーセヴィツキーもプロコフィエフやラフマニノフと同様、革命を逃れたロシア人です。指揮者として有名ですが、コントラバスの名手でもありましたね。
キージェ中尉にコントラバスのソロがあることを指摘しましたが、プロコフィエフの頭をクーセヴィツキーの名前が掠めたのかもしれません。
この曲の西側初演はクーセヴィツキーだつたような記憶がありますし、世界初録音はクーセヴィツキーだったはずです。
ということで、プロコフィエフは締め。次にラフマニノフを取り上げましょう。
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ものには勢い、というか潮がありますから、ラフマニノフも一気に書いてしまいます。
交響的舞曲ですね。舞曲というとブラームスのハンガリー舞曲集とかドヴォルザークのスラヴ舞曲集が挙がりますが、ラフマニノフの交響的舞曲はそれとは大いに異なります。全部で3っつ、3楽章の交響曲と看做してもよい力作ですね。ラフマニノフ最後の大作ですし、極めてメッセージ性の強いもの。大いに意気込んで聴きましょう。
忘れないうちに日本初演。といっても良く判りませんが、日本のオーケストラ定期初登場はこれ。
1966年1月20日 外山雄三指揮大阪フィルハーモニー交響楽団で、フェスティヴァル・ホールでの同団第49回定期演奏会です。
外山氏はこの作品を大変得意にしていて、再演は1968年のN響定期ですし、更に京都市交響楽団や日本フィルの定期でも取り上げてきました。
作品はユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団に捧げられ、当然に彼等が初演しました。
オーケストラ編成は、ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、バス・クラリネット、アルト・サクソフォン、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ハープ、ピアノ、ティンパニ、トライアングル、タンバリン、小太鼓、鐘(Campanelli)、シロフォン、タムタム、鐘(Campane)、シンバル、大太鼓、弦5部という大きなものです。
最初に書いた通り、サクソフォンが登場しますが、これはあとで。
全体は3楽章、というか3曲で構成されています。ラフマニノフは最初「真昼」「黄昏どき」「真夜中」というタイトルを考えていたようですが、これは出版譜(ベルウィン・ミルズ)には書かれていません。
真ん中の第2曲には“ワルツのテンポで”という指示が括弧書きになっていますが、3拍子というのではなく、8分の6拍子と8分の9拍子が交錯する音楽です。
第1曲にだけアルト・サクソフォンが登場して素晴らしいメロディーを吹きます。何ともロシア的、いかにもラフマニノフというメランコリックな音楽は、何度でも聴きたくなる独特な魅力を備えています。私にとって最高の「聴きどころ」の一つですね。の一つ、というのは他にもあるからなのですが、このサックス、心して聴いてください。
で、サクソフォンのこと。
この楽器はベルギー人の楽器製作者、アドルフ・サックスに由来します。1840年ごろに開発されたようですね。
紛らわしいのは、同じくサックスが創作したサクスフォンという楽器も存在することです。ラフマニノフで出てくるのは Saxophone、もう一つは Saxphone と言いまして、Oが入るか否かで区別されます。日本では後者をサクソルンと表記して区別しているようです。
楽器の構造から区別すれば、サクソルンは金管楽器、サクソフォンは木管楽器です。サクソフォンはクラリネット同様1枚のリードを発音源にします。管そのものは金属製ですが、構造は木管というのはそのことですね。木管と金管の中間、まるでビブラートをタップリかけた弦楽器のような柔らかい音色が魅力です。
ジャズでは王様のように使われますが、クラシックでも優れた作品があります。中でもラフマニノフの交響的舞曲は代表的なもの、この楽器でなければ味わえない独特の憂愁感を心行くまで堪能しましょう。
ラフマニノフはアルト・サックスですが、プログラム最初のキージェ中尉で使われるのはテナー・サックス。両者の違いを聴き別けられるのも今定期の楽しみでしょう。
さてこの第1曲は3部構成で、サックスは中間部で活躍します。これを挟んだ主部はリズミックな音楽ですが、曲の終わりに鐘(Campanelli)が聴こえてきます。ここ、注目してくださいね。
鐘の音ではなく、同時に演奏される弦楽器の合奏です。
実はこれはラフマニノフ自身の交響曲第1番の最初に出てくる主題なのです。ご存知かもしれませんが、ラフマニノフはこの交響曲の初演が大失敗に終わったことで立ち直れないほどに傷つき、やっとダール博士の治療のお陰で回復、名曲である第2ピアノ協奏曲で作曲家としての揺るぎない地位を築いたのでした。
ですから第1交響曲は、ラフマニノフにとってトラウマとして忘れられない思い出があるのです。
それを自身の最後の作品で回想すること自体、この曲に籠められたメッセージが尋常でないことを聴きとって欲しいですね。
この時点では第1交響曲は出版されておらず、世間ではその存在すら知られていませんでした。ラフマニノフにとっては決して人に見られることのない、秘めたる日記のような象徴だったと思われます。
第2曲はワルツです。ですが、いきなりホルンとトランペットが弱音器を付け、捻くれたファンファーレを吹きます。これが曲中何度も顔を出し、ヴァイオリン・ソロが弾くワルツを中断していきます。ヴァイオリン・ソロのワルツ。そうサン=サーンスやマーラーにも前例のある、死のワルツでしょうね。その不気味な味わいを聴き取ってください。
最後の第3曲もメッセージが入っていると思います。ゆっくりした中間部を速い舞曲が挟む構成が基本ですが、3っつの鐘(Campane)が使われること、最後には「怒りの日」(ディエス・イレー)が引用されることからも判る通り、「死」を意識しているのではないでしょうか。
ロシアの人々にとって鐘は生活に欠かせません。誕生も結婚も死も、儀式には全て鐘が伴います。この曲で使われる鐘は、Campanelli にせよ Campane にせよ、作曲家ラフマニノフのロシア人としての喜怒哀楽が全て籠められているのだと思いたいですね。
(この辺りは、プロコフィエフのキージェ中尉と繋がりがあるように思ってしまいます)
第3曲の速い部分ではヴィオラが主役、素晴らしいテーマを弾き上げていきますが、このメロディーも耳に残って離れなくなるはずです。“もう一度聴きたい!” そう感じたら、もう貴方はラフマニノフの虜です。
もう一つ、最後に大事な所。最後の大クライマックスでタムタムが何度も打ち鳴らされます。スコアでは2箇所に Laisser vibrer という書き込みがあります。つまり鳴らしっ放しにせよ。
これを指揮者はどう解釈するでしょう。私の手元にはアシュケナージやマゼールの録音がありますが、どちらも不満です。
実はかつて日本フィルが広上淳一の指揮で演奏したことがありました。これこそが、謎多き交響的舞曲の見事な解決例だったと確信しているのです。その圧倒的名演にテミルカーノフと読売日響がどこまで迫れるか。
マエストロ広上の解決策は秘しておきます。
私にとっては最後の最後こそ、最大の聴きどころ。
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落穂拾いでいくつか追加しておきます。
プロコフィエフについて、読響にも度々客演されるアレクサンドル・ラザレフ氏から面白い話を聞いたことがあります。日本フィルに客演してオール・プロコフィエフ・プログラムを指揮されたときのマエストロサロンの一こまです。
プロコフィエフは、若い頃は極めて前衛的な音楽を書いていました。ディアギレフ・バレエ団の委嘱を受けてアラとロリーなどの作品を書いているのですが、この分野では既にストラヴィンスキーが大成功しており、プロコフィエフは二番手に甘んじざるを得ず、あまり評価されませんでした。
そこで目標を変え、アメリカでピアニストとしての成功を目論んだのです。彼はピアノの名手でしたからね。
ところが、この分野ではラフマニノフが先を越しておりまして、プロコフィエフは又しても二番手にならざるを得なかったのです。
夢破れてロシアに帰国、作曲に本腰を入れて交響曲作曲家としてトップになろうとしたのですが、ここでは既にショスタコーヴィチが名声を得ており、又してもプロコフィエフは遅れを取ります。
そして最後に亡くなったとき、新聞のトップニュースになるはずだつたのですが、何と不幸なことに、同じ日にスターリンが死んだ。
プロコフィエフはいつでも二番手にされる人だったと。
まぁ、これは偶然であって、プロコフィエフの評価を落とすものではありません。しかし、ロシアの作曲家の世代を把握する意味で、これはとても面白い話です。
1873-1943 ラフマニノフ
1882-1971 ストラヴィンスキー
1891-1953 プロコフィエフ
1906-1975 ショスタコーヴィチ
特に最初の3人は丁度9つ違いで並んでいるのですね。覚えておいて損はないと思います。
そのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。緩・急・緩と書きましたが、第1楽章と第3楽章の最後は全くと言っていい程同じ終わり方をします。
例えばクラシック音楽クイズがあったとして、この部分を聴かせて、“これは何という曲の何処の箇所でしょうか”という質問。音楽の専門家でも外す人がいるのじゃないでしょうか。
もう一つはラフマニノフ。交響的舞曲にはいくつか引用があって、第1交響曲と怒りの日については紹介しました。
第3曲には、ラフマニノフのロシア時代の作品、晩祷(作品37)からの引用があるそうです。これは西洋カトリックの宗教合唱曲ではなく、ロシア正教の儀式でも使える宗教作品で、ラフマニノフ自身が非常に気に入っていたもののようです。生涯を締め括るに際して、ロシア時代の傑作を引用した、とも考えられますね。
そこでこの作品の楽譜を捜してみたのですが、どうも現在では入手が難しいようです。ほんの一部の曲しか出版されておりません。
全体は15曲からなり、CDも聴いてみたのですが、どの箇所か特定できませんでした。具体的にどの曲のどの部分かお分かりの方がおられましたら、是非ご教示願いたいものです。
おじゃまします。交響的舞曲のサックスの使われ方について調べていてこちらのブログにたどりつきました。
> 第1曲にだけアルト・サクソフォンが登場して素晴らしいメロディーを吹きます。
とありますが、サクソフォンは第2曲・第3曲でまったく使われませんか。
また、第1曲の中でも、
> さてこの第1曲は3部構成で、サックスは中間部で活躍します。
となると、中間部以外ではその場で楽器を置いて休んでいるような状態ですか。
初めての投稿で恐縮ですが、以上について教えていただけたら幸いです。急ぎではありませんので、よろしくお願いいたします。
RINTA 様
先ず、拙ブログを訪問いただき、ありがとうございます。
早速、お尋ねの件ですが、改めてスコアにあたりましたところ、サクソフォンが登場するのは、第1曲の中間部だけです。
従って、サクソフォン奏者はその他はお休み状態となります。サクソフォンはオーケストラに常設される楽器ではありませんから、多くの場合はエキストラ奏者が受け持つようです。
交響的舞曲の最大の聴かせどころは正にサックスのソロですから、たとえ一か所でも、演奏が終われば指揮者はサクソフォン奏者を立たせて喝采に応えるのが常。奏者にとっては「美味しいソロ」ということになりましょうか。
このような例は他にもいくつかあって、ドヴォルザークの「新世界」交響曲でもイングリッシュホルンが第2楽章だけに登場して有名なメロディーを吹きます。この場合は第2オーボエ奏者が楽器を持ち替えて吹く場合もありますが、本来は第3のオーボエ奏者としてイングリッシュホルンが担当するのが常道でしょう。
この曲でも、イングリッシュホルン奏者は他は全てお休みです。
メリーウイロウ
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メリーウイロウ様、ご親切にありがとうございます。こんなにすぐお返事をいただけるとは思いませんでした。また、他の曲の例まで教えていただき、大変勉強になりました。ステージで固まった奏者を見るたびに抱いていた疑問が晴れて嬉しいです。
これからもブログ楽しみにしております。