強者弱者(89)

浮間の桜草

 中仙道板橋駅を出でて行くこと弱一里、志村を過ぎて、坂を下れば、視野忽に開けて荒川の河盂となり、遥かに国境の連山を望む。土俗呼んで『浮間』といふ。行くに随って道は広き蘆荻の原に入る。荒川の氾濫地域なり。春風隴上を吹いて蘆の若芽の角ぐむ日、野生の桜草紅斑々として其間を点綴す。情趣最も掬す可し。東京近郊にして桜草の野生を見る、此地を措いて他に之を求む可からず。更に道を捨て草を踏みて河辺に進めば、黄茅白葦歩に随って深く且つ高く、時に凹地の水をたゝへて沼をなす処、桜草の花繚乱として色よく鮮やかなり。草を藉いて水辺に踞し、顧望すれば、蘆荻の間纔かに秩父の残雪を見る。
 近年都人士の杖を曳くもの漸くにして多きを加へ、桜草の根を絶たんこと恐らく数年の中に在り。斯くの如くにして『自然』は年と共に、遠く東京の地を去らんとす。

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タイミング良く桜草の話題です。新聞やテレビの報道によると、昨日(4月10日)から浮間の桜草祭りが始まったそうですね。

ここは江戸時代から桜草の群生地として知られていた場所で、現在でも綿々と続いているのは地元の人々の努力があってのことでしょう。敬意を表したいと思います。

秀湖が危惧したように、都市化の波に襲われて浮間の桜草群生地も一時期は絶滅の危機に瀕したそうですが、昭和37年に地元で保存会が結成され、都立浮間公園内に浮間ケ原桜草圃場として増殖されている由。

100年前は、ここにある通り板橋から志村を経て荒川河川敷に向かうルートだったようです。一里といいますから、かなりの距離を歩いたのでしょう。
現在は埼京線の浮間舟渡駅が便利。往時のように、「道を捨て草を踏みて河辺に進む」などということは当然出来ないのでしょうがね。

「河盂」は「かう」。辞書には出ていない言葉ですが、恐らく河の鉢状になった場所のことだろうと思います。

「蘆荻」(ろてき)は以前にも出たことがありますが、文字通り蘆(あし)と荻(おぎ)。

「角ぐむ」(つのぐむ)という言い方はあまり使われませんが、角のように芽が出るという意味です。

老婆心ながら、「凹地」は「おうち」と読みます。

「顧望」は「こぼう」。辺りを見回すこと。

「杖を曳く」というのは私も大好きな言い回しで、要するに「散歩をする」ということ。

 

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