強者弱者(131)

行々子

 蘆のしげみによしきり鳴くこと頻りなり。角組む若芽の風情はやゝ後れたれども東郊の散策は今に尽きたり。一夕、柴又のほとりより、江戸川に沿ひて市川に下るとせんか、天遠く地遥かにして夕陽赭く、一帯の青蘆、白帆の影をとどめて、涼風自ら袂に満つるの処、声あり行々として蘆荻の中に鳴く。試に礫をとって投ずれば物あり、倉皇として蘆萩を出でまた蘆荻の中に隠る。形鶯に似て腹白く尾長し。剖葦、行々子、吉原雀などいふもの之なり。
 更に路を転じて東武一望の水田に入れば、白蘋紅蓼、藻青く水清き処、魚躍り水馬走る。

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「行々子」は、「ぎょうぎょうし」。鳥の「葦切」(ヨシキリ)の別称です。鳴き声が“ぎょぎょし”と聞こえることから、行々子を当てたわけ。主に俳人が好んで使う呼称で、季語は夏。

「剖葦」(よしきり)も「吉原雀」(よしわらすずめ)もヨシキリの別称で、江戸時代の吉原には行々子が多かったことが偲ばれます。

「角組む」(つのぐむ)というのは、角のように芽が出ること。

「青蘆」(せいろ)は、蘆の青々とした様子を描いています。秀湖の色彩に関する感覚は芥川龍之介も一目置いていたほどですから、得意な言い回しと申せましょう。

「倉皇」(そうこう)は、慌ただしい様子のこと。

「白蘋紅蓼」(はくひんこうりょう)というのも難しい言い回しですが、これも秀湖独特の色彩表現。要するに白い蘋と紅い蓼。「蘋」は「かたばみも」(又は、デンジソウ)という水草で、「蓼」は文字通り「タデ」です。

「水馬」(すいば)、何だと思いますか。水棲生物の名称ですが・・・。
そう、「アメンボ」のことですね。

いずれにしても、現代では失われてしまった明治時代の東京市の風物詩です。

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