エクセルシオ、フランスの薫り

昨日は久しぶりに演奏会に出掛けました。久し振りの赤坂見附。新緑が眩しい清水谷公園の前を通り、紀尾井坂を上って、今年開館15周年となる紀尾井ホールへ。
コンサートを主催するのは㈶新日鐡文化財団。エクセルシオは去年、第19回新日鉄音楽賞を受賞していますから、同ホールの第23回「紀尾井の室内楽」の主役に抜擢されたのでしょう。
プログラムは、
ドビュッシー/弦楽四重奏曲ト短調 作品10
デュティユー/弦楽四重奏曲「夜はかくの如し」
     ~休憩~
ラヴェル/弦楽四重奏曲へ長調
 クァルテット・エクセルシオ
これまで東京では古典作品と現代音楽が中心だったクァルテット・エクセルシオ、今回は季節柄、少し捻って「フランスの薫り」と題された選曲です。
フランスのクァルテットの定番というべきドビュッシーとラヴェルに、現代作品の一つであるデュティユーを合わせたのが如何にもエクセルシオらしいところ、デュティユーもまた贅沢なフランス料理の一品なのですね。
私は、エクのラヴェルは去年の蓼科で聴きましたが、他の2曲はエクでは初体験。いや、デュティユーをナマで聴くのは全く初めての経験でしょう。
意外と言っては失礼ですが、エクセルシオのフランス音楽もいけますねぇ~。正しく贅沢なフランス料理のフル・コースを味わった感じ。3曲ともメイン・ディッシュという味わいでしょうか。
冒頭のドビュッシーからして秀逸です。特にピチカートが活躍する第2楽章ではユーモラスな表情さえ湛えたリラックスした音楽が洒落ています。ドビュッシーでこんな気分を味わったのは初めての体験かも知れません。
そして見事な第3楽章。ここでは「静謐な哀しみ」とでも呼びたくなるようなシットリとした情感が漂っており、決して重くならない哀感が「ペレアスとメリザンド」の世界を思い出させます。
この中間2楽章は、このコンサートの白眉だったと思います。
続くデュティユー、実に面白い音楽です。解説(真嶋雄大)によれば、全曲は7楽章構成ながら連続して演奏されるとのこと。
ピチカート、ポンティチェロ、タスト、コルレーニョ、フラジョレット、グリッサンドなど、弦楽器の様々な技法を駆使して斬新な響きを発散。聴いていて一瞬たりとも飽きさせません。
場所によっては速いパッセージと複雑な声部の絡みが交錯し、いつもながら彼らの高度なテクニックに耳を奪われました。
全体は7楽章で、「パランテーズ」なる挿入句が有機的に締め括るのですが、譜面を捲る都合もあるのでしょう、今回の演奏では3回ほど短い休止が置かれました。
具体的には、第2楽章「空間の鏡」と第2パランテーズの間、第3楽章「連祷」と第3パランテーズの間(ここはやや長くなるのは音楽の流れからして自然なこと)、そして第6楽章「夜想曲2」と第7楽章「停止した時間」の間です。
私には、この極く短い休止が却って作品の構造を明確にしてくれたような気がします。特に第7楽章の開始は全曲の冒頭部分と同じモチーフが鳴らされるので、ここで恰も全体がアーチ形構造に作られているような印象を受けるのでした。
このことによって、スケルツォ的な部分、緩徐楽章と聴き取れる箇所、主題の提示と再現という伝統的な姿も見えるのではないか。
(解説にイチャモンをつけるわけではありませんが、曲は第1楽章「夜想曲」の前に短い8小節が序奏のように置かれています。その動機が最終楽章で回想される構造)
デュティユーは、熱心に現代作品にチャレンジしているクァルテット・エクセルシオならではの名演と言うべきでしょう。改めてプログラミングの妙にブラヴォ~ですね。
後半のラヴェル。ここでは開始の音色にややくぐもった響を持ち込み、第1楽章のクライマックスである fff で音色を解放して爆発させるなど、意識してダイナミックな演奏を目指していたように聴きました。
昨夏に聴いたラヴェルからは一段とスケールが大きくなった印象。もちろん演奏スペースの関係もあるでしょうね。
全体にダイナミック、かつシンフォニックな演奏だったことは3曲に共通していました。ドビュッシーをイザイQで初めて聴いたパリの聴衆が驚いたように、弦楽四重奏というよりは管弦楽を聴いているような多彩さこそフランスのクァルテットの魅力だと申せましょうか。
エクは見事にその醍醐味を聴かせてくれました。
豪華料理が並んだコンサート、最後のデザートは意外にもラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。これを弦楽四重奏のアレンジで聴いたのは初めてでした。
うっかりして誰の編曲か聞いてくるの、忘れちゃった。

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