強者弱者(110)

草苺

 東京近郊には草苺といふもの極めて多し。殊に近年和蘭苺の栽培と共に、里女村童も之を口にするものなく、自ら実りて朽つるに任せたり。杖を初夏の野に曳くもの、歩を小径に転じて榛莽に沿ひ、藪叢を分けて進まんか、行くに随ひて紅き草苺の実の葉蔭に點々たるを見る可じ。草苺の実は唯甘きのみにして酸味なく、到底和蘭苺の美味に比すべくも非ず。少年時代の味感、観念に残りてこそよけれ。男三十、偶機会に触れてこれを口にするもの誰か其味の索然たるに驚かざるものあらんや。噫緑盃に酒の苦きを酌み、眉を顰めて美味をいふの今日是か、蜻蛉を追うて路の遠きを知らず、緑蔭に草苺の甘きを嘗めて、我に倖ありとしたる昨日非か。

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クサイチゴは今でも都会の片隅に見ることがあります。ついこの間まで勤めていた赤坂界隈でも、街路樹の下生えに真っ赤な実を付けていました。東京はクサイチゴの多産地だったようですね。

でも流石にこれを取って食べる人はいなくなりました。オランダイチゴが廉く食べられるようになったからでしょう。

「榛莽」(しんもう)は以前にも何度か登場しています。詳しくはシリーズ(1)をご覧ください。

「藪叢」は「すうそう」とルビが振られていますが、「藪」も「叢」も読みは「そう」。「そうそう」と読むべきではないかと思いますが、現代の辞書には載っていない文言です。
「藪」は草が茂った湿地の意味で、生き物を多数育む草むらという意味を宿している文字。

一方「叢」は文字通り「くさむら」のこと。何かが集まった状態を表すので、「叢書」(そうしょ)という熟語もありますよね。

「索然」(さくぜん)は、「興醒めする」ということ。

「噫」は「ああ」という感嘆詞。「嗚呼」の方が一般的でしょうか。

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