日本フィル・第622回東京定期演奏会

日本フィルの2009-2010シーズン、東京定期の最後を受け持つのは、毎年恒例の広上淳一。
最近は捻ったプログラムが目立つマエストロ、今回も2曲の共通点が「ハ短調」だけという変わった選曲です。

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番
     ~休憩~
スクリャービン/交響曲第2番
 指揮/広上淳一
 ピアノ/ファジル・サイ
 コンサートマスター/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也

馴染の無い大作がメイン、演奏会開始前の豪雨にも拘らず比較的客足が良かったのは、やはりこの人、ファジル・サイの力でしょうね。
評判は聞いていましたが、私は初体験の天才ピアニスト兼作曲家。これには度肝を抜かれました。いやぁ~、評判以上の人ですね、完全に脱帽です。

ラッキーにもスケジュールが開いていたサイ Fazil Say 、ベートーヴェンの3番は自身の希望で取り上げた一曲だそうです。
第1楽章のカデンツァでは、サイ自らの作曲が弾かれることも事前にアナウンスされていました。当然ながら聴きどころの一つはこれ。

登場した時は少し仏頂面のようにも見えたサイ、オケがハ短調のテーマを奏で始めると俄然表情が変わってきます。
長い序奏をつまらなそうに待つのではなく、音楽に合わせて体が動いて行く。

また広上のバックが何時になく真剣そのもの。贅肉を削ぎ落としたオケ・サウンドが、強烈にベートーヴェンを主張して行きます。ベートーヴェンはこうでなくちゃ。

この後の展開は、それこそあっという間。サイは、例えば右手だけのパッセージでは左手は宙を舞って指揮するが如く。第1楽章展開部冒頭のパッセージ(260小節辺りから)には歌詞が付いているかの如く弾きつつ歌う。
サイの唸りと広上の気合が天才ベートーヴェンを舞台に果し合いを演じているようなスリルに、思わず手に汗を握ってしまうのでした。

“うぅ~、るる~、たたぁ~” vs “シュッ、シュッ、はぁ~”

二人の音楽家による真剣勝負。巌流島の決闘ですな、こりゃ。

もしサイの演奏態度が単なるハッタリであれば、見るに堪えない猿芝居でしょう。しかし彼は本物の音楽家でした。
ピアノの音は何処までも粒が立ち、どんなパッセージも崩れずイン・テンポで弾き切る。それでいて、第2楽章のように微妙にアーティキュレーションを変化させてピアノを歌わせるカンタービレ。音色は多彩、表現は豊潤、pp から ff ま振幅幅の大きい圧倒的なダイナミズム。
そして何より、斬新でありながら、最もベートーヴェンらしいベートーヴェン。

サイは、1970年生まれのトルコ人。東洋系に区分けされるのでしょうが、彼にとって音楽は西洋でも東洋でもありません。
技術を超越したかのようなテクニックは、母親の胎内にいたときからピアノを弾いていたのではないかと勘ぐるほどのものです。月並みですが、天才と言うしかないでしょう。

サントリーホールがひっくり返るような喝采に応えて、アンコールは自作の「ブラック・アース」。あちこちで取り上げられてすっかり有名になった一品です。
左でピアノの弦を押さえて出す音は、ある人にはコーランのように聞こえ、別の人には太棹三味線のようにも響きます。中間部のスクリャービンを連想させるような抒情も耳に残りました。

いつもは楽屋に戻ってしまう広上マエストロも、楽員と共にアンコールを聴いていたのが印象的。終わった後は指揮台に座り込み、何度もサイをカーテンコールしていたのが笑いを誘います。

話題のカデンツァ。もちろん即興演奏ではなく、楽譜として出版されているのだそうです。
事前に調べたところ、ショット社の「11種類の第3協奏曲カデンツァ集」というタイトルに入っています。実見していませんが、プログラム誌に掲載されていたカデンツァ作家11人の中の一人でしょう。
即ち、ベートーヴェン自身、モシェレス、スメタナ、アルカン、クララ・シューマン、フォーレ、リスト、シュールホフ、ウルマン、ミヒャエル・リッシェ、そしてファジル・サイ。
(個人的にはスメタナ、フォーレなんか聴いてみたいなぁ)

サイのものは、ベートーヴェン特有の「刻み」を巧に取り込んだもの。ベートーヴェン時代には考えられなかったスタインウェイの機能を駆使したカデンツァです。
作品全体の演奏を含め、この日の第3協奏曲に最大のブラヴォーを掛けたのは、恐らくベートーヴェンその人だったのじゃないでしょうか。

前半に霞んでしまった感がありますが、スクリャービンも貴重な体験でした。
横浜でのトークによれば、広上がこれを選んだのは、以前に京都市響に客演したロシア人指揮者による演奏に肝銘を受けたからの由。何時かやってみたかったとのこと。

もちろん私は初めてナマ演奏に接しましたが、ロシアの大作交響曲がまた一つレパートリーに定着した、という印象です。
ハ短調から祝典的なハ長調という構図がベートーヴェン(第5)やマーラー(同じく第5)を連想させる個所もありますが、オーケストレーションはロシア独特の重くてロマンティックなもの。ラフマニノフが最も近くに感じられますが、やはりスクリャービンその人の響きでしょうね。

全体は5楽章ですが、第1楽章と第2楽章の間、第4楽章と第5楽章の間はアタッカで続けられます。
従って長大な3つの楽章で構成されているように聴こえる大作。
冒頭のクラリネット主題が循環形式の如く変容しますが、第5楽章冒頭の祝典的旋律が最終的な到達点であるようにも感じられました。

第3楽章(構造的には中間の緩徐楽章に相当)の頭と終わりにはピッコロによる鳥の声が聞こえ、ロマンティックなロシアの美しい夜を連想させます。

ダニエルズによると、楽譜はベリャエフとカーマスから出版されているようですね。またポケット・スコアはかつてオイレンブルクのカタログにありました。

この日の演奏はカーマス版。オイレンブルクと同じものだと思いますが、例えば事前に予習したネーメ・ヤルヴィ(シャンドス)盤にはシンバルが加わっています。
手元のオイレンブルク版にシンバルはありませんし、この日も打楽器はティンパニとドラだけでした。
あるいはロシアのベリャエフにはシンバルのパートが存在するのかも知れません。もう少し調べてみる必要がある作品かも。

今回のコンサートマスターは、いつも裏に座る江口有香が担当していました。
フォアシュピーラーを務めたのは、名前は判りませんがゲストの若い女性。時折振り向くサイの視線を眩しそうに、しかし楽しげに弾いていたのが目に留りました。どういうキャリアの方でしょうか。

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