雨のパリ大賞典

昨日は7月14日。と言えばフランスの革命記念日(バスティーユ・ディ)で、日本ではパリ祭で通っています。

ところでフランスの競馬は、2005年の改革によってクラシック体系そのものが大幅に見直されました。その最たるものがパリ大賞典(GⅠ、3歳牡牝、2400メートル)です。
かつては6月の最終日曜日に行われるフランス競馬最大の呼び物であった3000メートル(3100メートルの時代もありました)のクラシック・レースでしたが、1987年には長距離レースの不人気から距離を2000メートルに短縮。クラシックとしての意義を失います。

そして2005年、フランス競馬権威筋は、それまで「フランス・ダービー」として行われてきたジョッケ=クラブ賞の距離を2100メートルに縮めると同時に、パリ大賞典の距離を2400メートルに延長したのです。
この時にパリ大賞典の開催時期を7月14日の国民の祝日に移動。バスティーユ・ディの開催となって今年は6年目に当たります。実質的には新フランス・ダービーと言えましょうか。

今年は9頭が出走。昼から降り出した雨が終日降り続き、大賞典の行われる午後7時20分には馬場状態が不良になっていました。これがレースに大きく影響したのは間違いないでしょう。

海外からの挑戦はアイルランドのオブライエン厩舎からヤン・フェルメール Jan Vermeer 1頭だけ。重い馬場は不得手とされる同馬は11対2の3番人気に落ちていました。
そんな中イーヴン(単勝2倍)の1番人気に支持されたのは、仏ダービー2着のプランテール Planteur 。管理するエリー・ルルーシュ厩舎はペースメーカーにヴィヴル・リーヴル Vivre Libre を出走させて万全の態勢です。

レースは予定通りヴィヴル・リーヴルが逃げ、プランテールは後方に下げます。ペースメーカーは直線に入るまで先頭をキープしていましたが、直線では一気に差が詰まり、プランテールも大外から追い込み態勢。
しかし馬場の影響か、通ったコースの所為か、先行から抜け出した4番人気(44対5)のベーカバッド Behkabad を4分の3馬身捉え切れず、2着に終わりました。

最後方から進んで直線だけに勝負をかけたヤン・フェルメールが追い込むも、2着からは5馬身離されて3着。4連勝し追加登録料を支払って出走し2番人気を集めたゴールドワキ Goldwaki も後ろから追い上げてハナ差4着。
結果は1番人気から4番人気までが1着から4着を占めましたが、人気どおりの着順にはなりませんでした。

ベーカバッドは仏ダービーは4着だった馬、同2着だったプランテールに雪辱した形です。
管理するのは、ジャン=クロード・ルジェ師。師にとって1994年のミルコム Millkom 以来2度目のグランプリ制覇となりました。またまたローカル組の快挙ですね。

騎乗したのはジェラール・モッセ。モッセにとってもグランプリは1995年のヴァラヌール Valanour 以来2度目の栄冠となります。
ベーカバッドはこれまで主にルメールが騎乗していましたが、モッセとは初コンビ。日本で言う「てん乗り」でした。

オーナーはアガ・カーン。氏にとっては6度目のパリ大賞典。

この日はパリ大賞典に先立ってモーリス・ド・ニエイュ賞(GⅡ、4歳上、2800メートル)が行われました。
7頭が登録していましたが、降りしきる雨を嫌って唯一の英国挑戦馬(クマニ厩舎)パープル・ムーン Purple Moon が取り消し、6頭立てで行われました。態々観戦に出かけた英国の競馬ファンはがっかりです。

レースはドイツから挑戦したティトゥーレル Titurel が逃げてスタンドを沸かせましたが、ゴール前1ハロンで地元のブレク Blek が抜け出して快勝。3馬身差2着にはロス・クリスティアノス Los Cristianos が末脚を伸ばしています。
逃げたティトゥーレルは1馬身差3着の順。13対10で1番人気に支持されたアイザフォスキ Aizavoski は4着敗退です。

ブレクを管理するエリー・ルルーシュ師にとっては、このレース4勝目。騎乗した若手ヨハン・ブージョアはパターン・レース初勝利だそうです。

重馬場の長距離戦を得意とするブレク、秋の目標はカドラン賞(GⅠ)でしょう。
同馬のオーナー氏、“シャンゼリゼでパリ祭のパレードを見ていたら雨が降ってきた。やったぁ~、と思ったね” と上機嫌でした。

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