読売日響・第495回定期演奏会
競馬カテゴリーでも触れましたが、昨日7月14日はバスティーユ・ディ。所謂パリ祭に相応しいプログラムが食欲をそそります。当然ながらシェフは常任指揮者カンブルラン。
フランス音楽と言ってもナマで日常的に聴けるのはフォーレだけ。音楽の美食家には絶対に落とせないプログラムでしょ。(私が美食家ということではありませんよ。念のため)
フォーレ/付随音楽「ペレアスとメリザンド」
メシアン/鳥たちの目覚め
~休憩~
ドビュッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
デュティユー/5つの変遷
指揮/シルヴァン・カンブルラン
ピアノ/児玉桃
コンサートマスター/小森谷巧
フォアシュピーラー/鈴木理恵子
ホールに入ると、正面に鎮座しているスタインウェイに目が行きます。あれ、最初からピアノが登場するんだっけ。
早速プログラム誌を開くと、マリアンヌのロゴがべたべたと・・・。さすがパリ祭じゃ、と妙に感心。
やっぱり最初はフォーレですね。2曲目からピアノの出し入れをするのでは時間がかかるせいでしょうか、それとも調律に困難が伴うのか、フォーレはピアノを正面に据えたまま演奏されました。
(開演直前まで調律師が掛かり切りになっていました。部品を外したりして、時間に間に合うのか心配になるくらい)
カンブルランは4月に首席指揮者就任披露をしたばかり。その時は何故かドイツ音楽プロでしたが、今回こそマエストロのお披露目には相応しい選曲だと思いましたし、そういう演奏でしたね。
そうか、パリ祭までとっておいたのか~。
最初のフォーレは「付随音楽」となっていましたが、普通に組曲として演奏される版でした。3曲目に演奏されたシシリエンヌでの美しいフルート・ソロは、倉田優。
2曲目からはレアな作品が並びます。
先ずはメシアン。「ピアノと管弦楽のための」と副題が付いていますが、全編鳥の鳴き声だけで構成されている作品(もちろん鳥の声を採譜したもの)です。最初と最後だけでなく、途中に何度もカデンツァ風のソロが挟まれており、さすがの児玉桃も譜面を見ながらの演奏(当然、譜捲り役が付きます)でした。
メシアンはスコアにびっしりと鳥の名前を記しており、事前に調べたところ38種類の鳥が登場します。大半がヨーロッパに生息する鳥で、私には名前と鳴き声が一致するものはほとんどありません。
わずかに最後に出てくるアカゲラ(Pic epeiche)とカッコウ(Coucou)だけが、それと判るだけ。前者はウッド・ブロック、後者は中国ブロックで奏されますが、カッコウを打楽器が演奏するところが如何にもメシアンなんでしょうかね。
私の興味の対象は昆虫ですから、メシアンはむしろ天敵。アイディアやソリストのテクニックに感心はしても、今一つ踏み込めない音楽ではあります。
続くドビュッシーも珍品と言えるでしょう。録音では二コール=アンリオ(ミュンシュ指揮)のものやギーゼキングのもので親しんできましたが、ナマでは初めて聴くものです。
プログラム誌によれば、この日の演奏はジャン・ピエール・マーティ校訂による改訂版の由。これは新知見でした。
この作品の初演はドビュッシーの没後のこと。ローマ賞受賞の成果として構想された作品で、作曲者には改訂の意向があったようです。初演で使用された譜面がどのようなものかは判りませんが、私が知っている限りでは2種類の楽譜が出版されています。
上記アンリオやギーゼキングの録音は、ペータースからポケット・スコアが出ている旧版(オリジナルではないようです。マックス・ポマーという人が校訂報告を書いていますから)によるのに対し、チッコリーニ(マルティノン指揮)の録音はジョーヴ A. Jouve による改訂版となっています。
今回楽譜係が譜面台に乗せたスコアは、明らかにジョーヴ校訂のジョベール社版(赤と青の鮮やかな装丁)です。このスコアの中身を見たことはないので断言は出来ませんが、児玉/カンブルランはチッコリーニ盤と同じ演奏のように聴こえました。これとマーティ校訂がどういう関係になるのか、もう少し詳しい説明が欲しい所ですね。
版による相違の詮索は別にして、これはもっと頻繁に演奏されても良い曲でしょう。冒頭の東洋的メロディー(解説によるとガムラン・モチーフだそうな)は我々には親しみ易いし、このテーマが様々に変容していくのも楽しい聴きどころ。
暗譜で弾いた児玉のソロも好ましく、貴重な体験となりました。
最後は90歳を超えてなお矍鑠たるデュティユー御大の名曲。これもナマでは初体験です。(録音では初演したセルや、ミュンシュが愛聴盤)
デュティユー作品では先日クァルテット・エクセルシオで弦楽四重奏曲を聴いたばかりですが、実に聴かせ上手な音楽であることが魅力。
しかし長所は同時に短所でもあり、先の展開が見え透いてくる、という感想を持ったのも事実です。
全体は5楽章ですが、通して演奏されます。第1楽章冒頭の透き通った和音が、第5楽章で再現する辺りは如何にも仏アカデミズムの伝統を受け継ぐ大家、という感じ。
5つの変遷(メタボール metaboles)というタイトルですが、実質は一種の「管弦楽のための協奏曲」でしょうか。
即ち第1楽章は木管の妙技、第2楽章は弦の静謐な美しさ、第3楽章はオケ全体の躍動感を。第4楽章は密やかな打楽器を中心にした夜の音楽で、第5楽章は金管の華麗なテクニックを強調しながらクライマックスに突入、という具合。明らかに委嘱されたクリーヴランド管弦楽団の優れたアンサンブルを意識したものでしょう。
読響も熱演、クリーヴランド管への挑戦状を叩きつけたかった、のかな?
この定期で退団するヴィオラの橋本顕一氏への労いも含め、客席からは大きな拍手と歓声が贈られました。
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