新日本フィル・第466回定期演奏会
暦の上では9月になりましたが、今年の夏は一向に終わる気配が見えません。それでも音楽界は秋のシーズンがスタートしました。私が最初に選んだのが、これ。新日本フィルの2010/11シーズンの開幕を飾るサントリーホール定期です。
ブルックナー/4つの管弦楽小品
望月京/ニグレド(新日本フィルハーモニー交響楽団委嘱作品)(世界初演)
~休憩~
ツェムリンスキー/抒情交響曲
指揮/クリスティアン・アルミンク
ソプラノ/カリーネ・ババジャニアン
バリトン/トーマス・モール
コンサートマスター/崔(チェ)文洙
フォアシュピーラー/山田容子
私はこのオーケストラの会員ではありませんので、今回は1回券を購入しての参加です(1階9列30番)。新日フィルの定期はシュミットのオラトリオ以来ですが、斬新なプログラムが魅力。この回も望月作品の初演と、大好きなツェムリンスキーに惹かれて出掛けました。
個人的なことながら、同オケと積極的に活動しているハーディングもブリュッヘンも私にはノーサンキューな指揮者なので、新日フィルはアルミンクで聴きたい、というのが正直な気持ちです。
ややオタッキーなプログラムなので、客席の入りはあまり良くありません。あきらかに定期会員で埋まっている筈の席に空席がたくさん見受けられました。客足が遠のいたのは暑さの所為だけじゃないでしょう。
冒険的なプログラムは批評家筋には高く評価されても、必ずしも集客には繋がらない。クラシック音楽界の永遠の課題のように思われます。
音楽監督アルミンクは演奏前にプレトークをするのが定例のようで、今回も30分ほどの解説がありました。憚ることなくドイツ語で語ります。
メインのツェムリンスキーに簡単に触れた後、作曲者・望月京氏を迎えて今日の初演曲についての解説が中心でした。
望月京は、私が最も期待している同時代の作曲家。初めて彼女の作品に接したのは読響が委嘱したメテオリットでしたが、そのときに西洋クラシックの伝統に捉われない斬新な響きに痛く感動したものです。
彼女はパリを中心に活動している国際派で、既に様々な受賞歴があり、今年もハイデルベルク女性芸術家賞という、その方面では最も権威ある賞を受賞したばかりです(過去にはグバイドゥーリナ、ヘルツキー、ノイヴィルトなども受賞)。
また、アカデミア・ニュースの8・9月合併号にも掲載されている通り、世界最古の出版社ブライトコプフからスコアがまとめて出版されていますね。その中には私が初めて遭遇したメテオリットや、カメラ・ルシダ、クラウド・ナイン、オメガ・プロジェクトなど彼女の名を高めたオーケストラ作品が並び、ハイデルベルク女性芸術家賞の受賞セレモニーの一環としてヨーロッパ初演されたインスラ・オヤも含まれるという壮観さ。世界的に見ても現在最も注目されている作曲家と断言しても良いでしょう。
その作曲家の新作が聴けるチャンスを逃すべきではありません。(残念なことに先日演奏されたオペラ「パン屋大襲撃」はチケット完売で聴けませんでしたがね!)
ということで、この日の目玉は「ニグレド」。作品のタイトルは、ユングの名付けた魂の最大の絶望状態に因んだものだそうで、「黒」を意味する由。その黒が、白に統合されるべく再生・発展して行く過程を多層的に描いた作品ということになるのです。
(ニグレドは本来前々シーズンの定期、クララ・シューマンとブラームス/シェーンベルクと共に初演される予定でした。ために、作品には「秘密」という要素やシューマン作品からの引用なども含まれているそうです)
何やら内容は難しそうに聞こえますが、音楽そのものは斬新なオーケストラ・トーンと、望月の特質である実に日本的な静謐で微細な感性に満ちたもの。西洋的なクラシック音楽の概念を捨て、大自然に身を任せるような聴き方で接すれば、この独自のモチヅキ・ワールドが楽しめるはずです。生まれる前に母親の胎内で聴いた「音」、とでも表現したらよいでしょうか。
例えば、彼女のオーケストレーションには多数の特殊な打楽器が登場します。この日プログラムに挟まれたメンバー表によれば、ワイン・ボトル、ワイン・グラス、サンダー・マシーン、ライオンの吠え声、サンドペーパー、りん、ブラシ、レイン・スティック、ウォーター・フォン等々。
これに舞台裏のバンダとして4本のホルンとチューバーが下手に、上手にはピアノが置かれる大編成が用いられます。舞台とバックステージを仕切る扉を全て解放しての演奏は、さぞかし大音量が鳴り響くと予想されますが、実際には音楽は水面下の弱音で進行します。その音量は冒頭のブルックナー(2管編成)より小さい位。
15分ほどの作品の最後、オーケストラ全体が囁くような「ざわめき」を止めた時の無音の「快感」。これが「白」に変化したニグレドなのでしょうか。
メインのツェムリンスキーは、アルミンクの音楽性には最も適した作品でしょう。ソロの二人の歌唱も見事。バリトンのモールは実に輝かしい美声の持主で、一寸聴くとテノールと間違う程に張りのある声に圧倒されました。
一方ソプラノのババジャニアン、第4曲でおや、という個所もありましたが、第6曲のドラマティックな歌唱は息を呑むほどでしたね。
それにしても素晴らしい音楽。ツェムリンスキー独特の濃い情熱、個人的にはマーラーよりずっと好きですね。
プレトークで、この作品の初演日(1924年6月4日、プラハ)が当時の愛人ルイーゼ・サッシェル Luise Sachsel (後にツェムリンスキーと結婚して後妻となる)の誕生日だったことが紹介されましたが、私にとっては新知見で、この日の大収穫の一つです。
不思議なことに、第3曲の“Du bist mein Eigen”がベルク(抒情組曲)によって引用されたことについては、アルミンクの解説でもプログラム・ノートでも紹介されませんでした。この曲に初めて接する聴き手にとっては重要な情報だと思うんですがねぇ~。
冒頭のブルックナーは、収穫というわけには行きません。この日はプログラムに書かれた演奏順を変更し、行進曲を最後に取り上げました。この作品は本来マーチと他の3曲を別々に作曲したので、この措置は極めて妥当なものでしょう。多少ともブルックナーの片鱗が感じられるのはマーチだけですからね。初めてナマで接した、というだけ。かな?
はじめまして。時折ブログを読ませていただいております。ルイーズ・ザクセルについては、孫引きですが、少々私のブログに書いておきましたので、よかったら参考にしていただけたら幸いです。ライブドアブログの《失われたアウラを求めて》というブログです。
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