2010菊花賞馬のプロフィール

今年は日本のクラシック馬についても血統プロフィールを紹介してきました。今回が2010年度の最終回。
御存知のように今年も本命馬が敗れ、結果は大荒れと言って良いでしょう。すんなり皐月賞馬かダービー馬が勝ってくれれば、こちらとしても面倒な血統調査などしなくても済むんですがね・・・。

冗談は扨措き、ビッグウィークは菊花賞を獲るために生まれて来た血統と言えるかも知れません。今頃そんなことを言われても困るでしょうが。

父バゴ Bago については詳しく触れません。凱旋門賞馬だということで充分でしょう。私のスタイルで、牝系を遡りながらクラシック馬の特質を考えてみることにします。

まず母はタニノジャドール(父サンデー・サイレンス Sunday Silence)。谷水家が育んできたカントリー牧場の牝系ですね。
タニノジャドール自身は1998年4月7日生まれの鹿毛馬で、栗東の森秀行厩舎に所属、2歳から6歳まで走って34戦2勝という競走成績を残しています。勝鞍は3歳の12月に中京でダート・コースの1000メートルの一般戦と、4歳時7月の小倉での同じくダート・コースの1000メートル一般戦。
特別競走にも何度か挑戦していますが、1200メートルでの3着がある程度。主にスプリントの距離を中心に使われていたようです。

繁殖に上がったタニノジャドールは、現在までのところ3頭が中央競馬に登録されているようです。
初産駒のキャロル(栗毛・牝・父タイキシャトル)は2005年生まれで、現在の時点では未勝利。2006年産については不明で、2007年生まれが菊花賞の栄冠を手にしたビッグウィークです。
今年の2歳馬はタイセイジーニアス(鹿毛・牡・父タニノギムレット)と命名され、今のところ未勝利のようですね。

2代母に行きましょう。これは重賞勝馬でもあるタニノブーケ(1982年生まれの鹿毛。父はノーザンディクテイター Northern Dictator)。
完璧な競走成績は手に入りませんが、15戦3勝。2歳の時に(当時の日本では3歳と表記していました)デイリー杯3歳ステークスに勝ち、ラジオ短波杯3歳牝馬ステークスでも2着に入りました。この成績だけから判断すれば、早熟なスプリンターという印象は免れません。

しかし母としてのタニノブーケは、単なる短距離血統馬と片付けるわけには行きません。

先ずタニノブーケの1988年の初仔はタニノボレロ(黒鹿毛・せん・父トレボロ Treboro)。28戦5勝の同馬は新潟記念(GⅢ・2000メートル)の勝馬として名を残していますが、同じ5歳時に初春賞(中山・2500メートル)、松籟ステークス(京都・2400メートル)、ブラッドストーン・ステークス(中山・3200メートル)と特別競走に3連勝したことに注目です。どれも長距離、中でも3200メートルの長丁場に勝っているのを見落としてはいけません。
更にタニノボレロは6歳時には障害レースにも転戦し、京都の3000メートルでも勝鞍を残しているのですね。

続いて1990年のテンシンランマン(黒鹿毛・せん・父クリスタルグリッターズ Crystal Glitters)は30戦4勝。4勝の中には3つの特別勝ちが含まれ、河口湖特別(東京・2300メートル)と樟葉特別(京都・2400メートル)は共に長距離戦。この馬も3200メートルのブラッドストーン・ステークスに挑戦(8着ドン尻負け)しているように、ステイヤーとしての使われ方をしました。

タニノブーケ産駒の3頭目の勝馬は、1992年のタニノクリエイト(黒鹿毛・牡・父クリエイター Creator)。12戦4勝とレース数は少なかったものの、神戸新聞杯(GⅡ、2000メートル)に勝って母の2頭目の重賞勝馬となります。
タニノクリエイトは菊花賞にも挑戦(18頭立て14着、勝馬はマヤノトップガン)し、このファミリーからの最初の菊花賞出走馬となりました。

以上がタニノブーケの産駒で目立った競走成績を残した馬たちですが、その娘で繁殖に上がっているのは5頭。菊花賞馬の母タニノジャドールの他には、歳の順にタニノルミエール、タニノティアラ、タニノフェアリー、タニノバーバラが挙げられます。
このうちタニノルミエールの仔からは、現在までにタニノトリビュート(1998年・青毛・牡・父リアルシャダイ)とタニノカプリース(1999年・鹿毛・父サンデーサイレンス Sunday Silence)が勝馬となり、タニノトリビュートは菊花賞にも挑戦(15頭立て10着、勝馬はマンハッタンカフェ)したステイヤーです。

続いて3代母、タニノヒュールパス(1966年、鹿毛・父ヒュー・ルーパス Hugh Lupus)の紹介です。
父の名がヒュー・ルーパスであることから判る通り、この馬はいわゆる持ち込み馬でした。その母イシュクーダー Ishkoodah がヒュー・ルーパスを受胎したまま1965年にイギリスから輸入されたのです。このタニノヒュールパスこそが、カントリー牧場の基礎牝馬の一頭になったわけ。

競走馬としてのタニノヒュールパスについては調べが付きません。少なくとも特別レース以上での成績はありませんし、未出走のまま引退した可能性もあります。
また母としての実績も資料が少なく、タニノブーケの他には未出走のまま登録抹消となった牝馬タニノアザヤカがいる程度。このタニノアザヤカにしても産駒の記録は見出せませんでした。

ところで6歳で日本に輸入された4代母イシュクーダーは、タニノヒュールパスを産んだ5年後、日本で供用され始めたばかりのネプチュヌス Neptunus との交配でタニノムテキ(1971年・栗毛・牡)を出します。(ネプチュヌスの日本での初年度産駒)

タニノムテキは2歳時に阪神3歳ステークスで3着し(勝馬はキタノカチドキ)、3歳で清洲特別(1800メートル)、4歳で山科特別(京都・2000メートル)とディセンバー・ハンデ(阪神・2200メートル)に、5歳時には万葉ステークス(京都・3000メートル)と4つの特別競走に勝ちます。
ネプチュヌスはスタミナよりスピードが優位の種牡馬でしたから、タニノムテキの3000メートルでの勝鞍は注目されてよいでしょう。

ビッグウィークの牝系、その極めつけは6代母に当たるインディアン・コール Indian Call ではないでしょうか。
同馬の仔バリモス Ballymoss (1954年・栗毛・牡・父モスボロー Mossborough)は、アイルランドの伝説的調教師ヴィンセント・オブライエンが育てた名馬で、3歳時にアイルランド・ダービーと英セントレジャー(セントレジャーに勝った最初のアイルランド調教馬)に勝ち、古馬となった翌年にはコロネーション・カップ、エクリプス・ステークス、キングジョージ6世クィーンエリザベス・ステークス、そして凱旋門賞と、現在のGⅠに格付けされているレースに6勝。もちろん、競走馬としても種牡馬としてもステイヤーの名を恣にした名馬です。

以上、このファミリーはダービー卿が生産したキーソー Keysoe を源流とする名血で、ファミリー・ナンバーは2-u 。

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください