読売日響・第529回定期演奏会
9月に入って各オーケストラも秋のシーズンを始動させましたが、いきなりの3日、読響定期にカンブルランが登場しました。それにしても3日はかなり早いと思われます。ということはリハーサルは8月末に始まったということでしょう。
今回のカンブルランは3種類のプログラムを持ってきましたが、定期は最もマエストロらしい凝りに凝った曲目を並べてきました。
≪ブリテン生誕100年≫
ブリテン/「ラクリメ」~弦楽とヴィオラのための
ブリテン/シンフォニア・ダ・レクイエム
~休憩~
ウストヴォーリスカヤ/コンポジション第2番「怒りの日」
ストラヴィンスキー/詩編交響曲
指揮/シルヴァン・カンブルラン
ヴィオラ/鈴木康浩
合唱/新国立劇場合唱団
コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン(ゲスト)
フォアシュピーラー/鈴木理恵子
現代音楽、と言っても少し前のゲンダイモノですが、このジャンルが好きな人は直ぐにピンと来たと思います。全て宗教繋がりだ、って? いやいや違いますよ、特殊な楽器編成という共通項ですね。
実は私もウストヴォ―リスカヤのスコアを取り寄せるまでは判らなかったのですが、そのページを開いてみて唖然。何だコリャ!!
その前に、今回は4月で退任したノーランがゲスト・コンマスとして登場。懐かしい、と思う間もない姿にチョッと面食らいました。今回はカンブルランの春繋がりプログラムも担当するそうで、これからもこういうシーンが度々見られるのでしょうか。
しかしまてよ、今回のプロでコンマスの仕事はシンフォニア・ダ・レクイエムだけじゃん。それにしてもファーストにとっては有難いプログラムだな、と思っていると、最初のラクリメからノーランが登場してきました。
これ、どういうことかと言うと、冒頭の作品は、本来はヴィオラとピアノ伴奏のために書かれた作品で、今回演奏されたのは、晩年に作曲者自身が弦楽合奏版に編曲したもの。
プログラム誌にも書かれていましたが、ブリテンは、オケのヴァイオリン・パートは第2ヴァイオリンが弾くことが望ましいと記しています。これを真に受けた小生は、てっきりセカンドのメンバーが出てくると思っていたのでした。
実際にはノーラン・理恵子さん以下、ファーストのメンバーが演奏。恐らくカンブルランの指示なのでしょう。その辺の事情は楽団からの発表は一切ありませんでした。
ラクリメで素晴らしいソロを聴かせてくれた康浩氏、2曲目への舞台転換の間に衣裳を着替え、シンフォニア・ダ・レクイエムではいつもの席に涼しい顔で座っていました。
ブリテンを代表する名曲、私も何度もナマで聴いてきましたが、カンブルランの演奏は第1楽章のテンポの遅さに驚かされます。彼の指揮振りは身を攀じるように悶えるので、この曲の性格を体で表現していると感じた次第。
オケを鳴らし切った第2楽章に続く第3楽章も比較的ゆったりしたテンポで進められましたが、最後にハープとピアノのユニゾンが音階を上がって降るパッセージから若干アップ・テンポにしていたのは何故でしょうか。チョッと意味深な終わり方のようにも聴こえましたね。
後半。ショスタコーヴィチの愛人でもあったウストヴォーリスカヤの作品をナマで聴くのは、私にとっては初体験です。
そもそも作曲家の名前、プログラムでは「ウストヴォーリスカヤ」となっていたのでそのまま使いますが、「ウストヴォリスカヤ」との表記も生きていると思います。未だ仮名表記も定着していないほど、日本では知られていないのではないでしょうか。
今回演奏された「怒りの日」は、管弦楽作品というより室内楽に分類されるべきもの。ま、指揮者がいなければ演奏は難しいと思われますので、今回のようなコンサートで取り上げられるのは自然な流れでもありましょう。
編成はコントラバス8本、木製の立方体(キューブ)、ピアノ、というもの。スコアには楽器配置の見取り図が描かれていますが、ピアノは蓋を開けるように指示。しかし今回は蓋を外していたように記憶します。
またキューブには43センチ×43センチと大きさの指示もあり、2種類のマレットで叩くとも。今回は見た所3種類のマレットが用意されていたようです。打楽器奏者には衝撃が伴うのでしょうか、奏者は衝撃を和らげるように手袋をはめて演奏に臨んでいましたっけ。
いずれにしても譜面だけではどんな音がするのか見当が付きませんでしたが(CDも発注しましたが、こちらは入手不能との回答)、聴いてみて納得。作曲者には申し訳ないけれど、結構笑えました。
全体は10部に分割されていますが、休みを開けずに演奏するので、聴いているだけでは何処が区切りなのか判らないでしょう。
音楽は、いきなりピアノの単音の fff で開始されますが、コントラバスも音をぶつけるばかり。第2部から登場するキューブは、最初は弱く鈍い音で参加しますが、第3部からは目一杯の ff を叩き付けます。旋律は無く、ピアノも、特に左手が音の塊を叩き続けるという具合。
ほぼ20分間、フォルテは5つまでが要求され、最後は pp の和音(のようなもの)が4回静かに奏されて終了。
今回の演奏では、第3部と第5部に出てくる繰り返しは省略していました。この繰り返し、作曲者は2度目には更なる緊張と音量を要求していますから、カットしてしまうのは如何なものでしょうか。尤も、この単調な「怒り」を延々と聴かされる側にとっては適切な処置だったのかも。
ということで「怒りの日」は無事に終了。客席からはブラヴォ~の声もありましたが、本当でしょうか?
最後は、これまたストラヴィンスキーの名曲。ナマ演奏でも何度か聴いてきたお馴染みの合唱曲です。ご存知の通り、弦楽器はチェロとコントラバスしか出ませんから、ヴィオラより高い音の奏者諸君は前半が終わったところで帰れるわけ。本当に帰ったかどうかは知りませんが、中にはラッキー~、と思った人がいたかも。
詩編交響曲も、ストラヴィンスキーは子供の合唱が望ましく、無理なら大人の女性合唱でも可と記しています。私の経験では、ナマでも録音でも子供の合唱で演奏した例は知らず、今回も堂々たる新国立の紳士淑女が歌いました。
楽章間に休みを入れないように、という指示はカンブルランによって正しく守られます。
如何にもカンブルランの面目躍如たるプログラム、会場の反応を見る限りでは大成功でした。が、私としてはもう少し緻密なアプローチが欲しかったかも。特にフランス音楽では極めて繊細で色彩的なアプローチを聴かせるマエストロだけに、今回の鳴らしっ放し的な演奏はやや残念、かな。
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