読売日響・第501回定期演奏会

昨日の首都圏には春一番が吹き、2月とは思えないほどの暖かさの中、サントリーホールで読響定期を聴いてきました。今月は先々代の首席指揮者、ゲルト・アルブレヒトの登場。アルブレヒトならではの聴き逃せないプログラムです。

シューマン/「ファウストからの情景」序曲
シュポーア/歌劇「ファウスト」序曲
シュポーア/ヴァイオリン協奏曲第8番「劇唱の形式で」
     ~休憩~
シュポーア/交響曲第3番ハ短調作品78
 指揮/ゲルト・アルブレヒト
 ヴァイオリン/神尾真由子
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/小森谷巧

これまで定期会員が見たことも聴いたこともない曲目、如何にもメリーウイロウが舌なめずりするような選曲じゃありませんか。

ステージを見て思わずニンマリするのは、弦楽器の配置が昔に戻っていること。チェロが右端に出るのは、アルブレヒト時代の配置です。何でも無いことかも知れませんが、これで読響の音がかつての安定した響きを取り戻したような気がします。
この響きを基礎として、アルブレヒトは首席時代にヤナーチェク、ツェムリンスキー、グルリット、シュレージーエンの音楽家など、様々なルネサンスを起こしてきました。そして今回はルードヴィッヒ・シュポーア。(プログラムではルイ・シュポーアとなっていましたが、ドイツ生まれのドイツ人。ベートーヴェンと同じルードヴィッヒの方が適切だと思うのですが、これに関する解説はありませんでした)

アルブレヒト登場。先ずシューマンの余り知られていないファウスト序曲が演奏されます。
ファウストと言えば先月の読響定期のメイン(リスト)、アルブレヒトが意識したか否かは知りませんが、この辺りにもシーズン・プログラムを考慮した選曲であることが窺われます。

シューマンは独特の暗い森を行くような音楽。私はナマでは初体験でした。アルブレヒトは舞台裏に下がらず、そのまま引き続いてシュポーアのファウストを披露します。
シューマンに比べて、シュポーアのファウストはより輪郭が明瞭な音楽。真ん中に美しく木管楽器のソロが歌い交わす5分ほどの作品。

二つの序曲が終わると、アルブレヒトはマイクを取り上げます。同時に通訳嬢が入場して、アルブレヒトならではの解説。今回は英語でした。

シュポーアはベートーヴェンより14歳年下で、冒頭に演奏されたシューマンより26歳年上に当たります。75才まで長生きし、亡くなったのはシューマンの死より3年後。
シューベルトよりも、ウエーバーよりも年上のシュポーアは、ヴァイオリニストとして、指揮者として、もちろん作曲家として国際的に活躍していた大家でもありました。ヴァイオリニストとしてはパガニーニのライヴァルであり、指揮者としては初めて指揮棒を用いた才人でもあります。(現在普通に使われている楽譜の練習番号はシュポーアの発明であるという話を聞いたことがありますが、確認できません)

アルブレヒトは、ベートーヴェンばかり演奏される現状を“stupid”と表現しましたが、通訳嬢は敢えてこの過激な言葉を訳しませんでしたね。
マエストロはまた音楽作品を山にも譬え、エベレストばかりが山ではない、とも語りかけました。どんな山にもそれなりの美しさがある、と。
シュポーアを演奏することは、アルブレヒトにとっては stupid な現状を少しでも打破しようという熱意の表れでもあります。

続けて演奏されたヴァイオリン協奏曲。全部で18曲あるヴァイオリン協奏曲の中でもこの8番は昔から愛奏されてきたもの。タイトルの通りヴァイオリンを徹底して謳わせた作品で、全体を通して演奏されます。
当夜のソリスト神尾真由子も終始ディーヴァに成り切って、シュポーアの美しいメロディーをしっとりと響かせて客席を魅了します。
現代ではヴァイオリンと言えば技巧を凝らしたヴィルトゥオーゾの楽器という性格にばかり目が行きますが、シュポーアのヴァイオリン作品はパガニーニとは対極。ヴァイオリン本来の「歌心」を大切にした音楽は、正に耳を洗われるような体験でした。

拍手に応えて神尾が弾いたアンコールは、聴き手の好奇心をそそる様に、パガニーニの24のカプリースから第20番。

ここで休憩に入り、メインはシュポーアの第3交響曲。

アルブレヒトは、ここでも単なる珍品紹介に止まらない堂々たる音楽でシュポーアを讃えます。恐らくこの作品がこれだけの充実感を持って響いたのは、生演奏と録音とを問わず初めてのことではないでしょうか。シュポーア当時から見れば現代のオーケストラ演奏は遥かに水準が高く、読売日響は世界でも五指に入るほどの実力オケなのですから。

第3交響曲は、当然ながらベートーヴェンのように個性的な音楽ではありません。しかし、作品の構成やメロディーの美しさなど、知らずに一生を終えるには余りにももったいないと思わせる魅力に満ちています。
簡単に触れれば、第1楽章と第2楽章は、同じ親から生まれた双子の兄妹のよう。ハ短調とヘ長調をベースに抒情的な美しさが際立つ楽章。
第3楽章はスケルツォですが、同じハ短調交響曲であるベートーヴェンの第5交響曲のスケルツォを微かに連想させる一品。
そしてフィナーレとなる第4楽章は、躍動感に富んだアレグロ。ここにもベートーヴェン(第2交響曲の同じくフィナーレ)を余韻として聴いたのは、私だけではなかったと思います。

最後に若干付け加えれば、第3交響曲のスコアを見たいと思った方、これは最近ミュンヘンのヘフリッヒ社から旧リーナウ版が復刻されました。アカデミアで取り扱ってくれますし、個人輸入すればもっと手頃な価格で入手できます。

またシュポーアは全部で10曲の交響曲を残しており、中でも「響きの力」と題された第4、「音楽史交響曲」というタイトルの第6、「四季」の表題を持つ第9などが興味をそそるでしょう。二重交響曲と副題の付いた第7もあります。
(音楽史交響曲は、第1楽章がバロック時代、第2楽章はハイドン・モーツァルトの古典派、第3楽章ベートーヴェン時代、第4楽章が現代、即ちシュポーアの時代という構成)

更に歌劇、オラトリオ、協奏曲、室内楽と多作なシュポーア、弦楽四重奏曲は何と34曲もあり、二重弦楽四重奏曲(つまり弦楽八重奏曲ということか?)なるものも4曲あるようです。
弦楽四重奏といえば、1845年の作品に「弦楽四重奏協奏曲」なる珍品もカタログに載っていましたよ。

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