日本フィル・第266回横浜定期

気温が一気に上昇する午後、桜木町にある横浜みなとみらいホールに出掛けました。懸念が一つ。

昨日の日記にも書きましたが、クラシック音楽の演奏会には自粛ムードが横溢しているのではないか…。
偶々会場で出会った知人の話では、前日(4月15日)の都響のコンサートも演奏は素晴らしかったのに客席はガラガラだったとか。上野もサントリーも、折角のコンサートに足を運ぶことを躊躇う人たちがいる。
横浜はどうだろう? 事前に案内があったように、予定されていた指揮者が来日せず、日本人が代わりに振ることで客足に響くのではないか。

しかしこれは、横浜では杞憂に終わったようです。N響にカリスマ指揮者が登場し、クラシックおたく共はそちらに殺到するという噂もあったのですが、日フィルは大健闘だったと思います。さてその曲目は、

ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
     ~休憩~
ドビュッシー/交響詩「海」
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
 指揮/広上淳一
 ピアノ/小菅優
 コンサートマスター/江口由香

これは当初、フィンランドのピエタリ・インキネンが振る予定でした。ところが海外は過剰な反応。某国のニュースでは、“東京壊滅、日本全土放射能汚染” が実しやかに流されているのです。
演奏会前に平井専務理事が挨拶されたところでは、ドイツやフィンランドは特に過敏で、東京のフィンランド大使館は広島に疎開してしまった由。当然ながらフィンランド外務省からは東京への渡航回避勧告が出され、インキネンの来日は中止になりました。
もちろん勧告ですから最終決断は本人に委ねられるのでしょうが、本人と雖も「周囲」があります。自身の希望や熱意が通らない事態だってあるでしょう。

ということで代役を快諾してくれたのが、広上淳一氏。今回のプログラムは名曲尽しとは言え、技術(指揮そのものの)的にも音楽的にも極めて難しい作品が並びます。本番まで何週間という時点で曲目を変更せずに引き受けることが可能なのは、恐らく広上しかいないでしょうね。第一に感謝すべきはマエストロに対して。
(広上追っかけのメリーウイロウとしては、不適切ながら“しめた”という気持ちが働いたのも事実ではありますがね)

演奏は、当然ながら見事なものでした。
冒頭の牧神は、確か「ちかしオーケストラ」のアンコールで広上が取り上げのを聴きました。近代音楽の幕開けとなったとされるだけに、テクニックとしても指揮者にとっては難曲。コンクールの課題になるほどの音楽ですが、さすがマエストロの棒捌きは超一流、冒頭からフランスの香が横浜一帯に漂うのでした。
フルートの真鍋恵子が客席を魅了します。

続いてはラヴェルの協奏曲。ソロを弾く小菅優をこの前聴いたのはシュトゥットガルト響の日本公演のソリストとしてでしたが、あの時はノリントン親父の指揮で可哀想なことをしました。
それに比べて今回は、伸び伸びと演奏させてくれる指揮者。ノリントンの時とは別人の、生き生きとしたピアノで彼女自身も楽しそうなラヴェルでした。札幌で広上と共演したベートーヴェンを思い出します。

感興が乗ったのか、極く極く短い作品をアンコール。コロコロと左手が珠のようなショパンの24の前奏曲から、第3番。

休憩後もドビュッシーとラヴェルという組み合わせで、フランス音楽としては大曲が並びます。広上と日本フィルは、かつて「海」は東京定期で、「ダフニスとクロエ」は横浜定期で取り上げたことがあって、私はどちらも良く覚えています。
今回久し振りにマエストロの両曲に接し、改めてこの指揮者の素晴らしい才能に感動しました。

ドビュッシーは堂々たるシンフォニックなアプローチ。フランス印象派の音楽と雖も、細部を些かも疎かにはしません。それでいて緩急自在な表現は、改めてドビュッシーの素晴らしさを実感させるものでした。
「ヒロカミ」の音楽ではなく、「ドビュッシー」の音楽。ここが大事なんですよ。
因みに、第3楽章の最後では例の金管によるファンファーレを復活した版で演奏していました。変に音楽考古学者みたいな態度を取らないところが、広上の素晴らしい所でもあります。

最後のラヴェル。これはもう広上マジックとしか言いようがありません。5拍子の踊りが天に舞い、地を這い、煌びやかなフレンチ・サウンドに圧倒されるばかり。参りました。
繰り返しますが、あくまでもラヴェル。必要なものは全て在り、余計なものは一切無い。

この状況です。コンサートはこれで終わりません。団を代表して中根幹太氏から挨拶があり、震災に対する日本フィルの対応が語られます。日本フィルは、実際に被災地に入り、音楽を通して被災者に接していること。もちろんオーケストラとしては活動できませんが、室内楽やソロによる演奏で。そのための援助のお願い。

これを受けて広上マエストロも一言。前日の尾高マエストロと想いは同じです。
音楽は音楽を演奏することで、人々の支えになるべき。音楽家が音楽を止めてしまったら、全てが終わります。元気なところは元気に音楽を奏で続けることが、支援になるのではないか、と。
氏の言葉を借りれば、自粛を自粛して欲しい、のです。

その意味で、この日は明るい作品がアンコールされました。ドビュッシーの「子供の領分」をアンドレ・カプレがオーケストレーションした中から、「ゴリウォーグのケークウォーク」。
活動の足しとして、細やかな援助をしたことは申すまでもありません。

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