読売日響・第503回定期演奏会

二ヶ月振りにサントリーホールで読響の定期を聴いてきました。前にも触れましたが、3月定期は地震直後の公演で様々な理由から中止。この日会場で受け付けていたチケット代金払い戻しにも列ができていました。私も早目に行って並びましたがね。

読響の新シーズンは4月から。今月予定の指揮者は首席のカンブルランで、マエストロの首席指揮者としての2シーズン目に突入します。
原発事故の影響で演奏家の来日が次々とキャンセルされる中、カンブルランは来るのか、ムラロはどう? という心配もありましたが、無事に二人とも姿を見せてくれました。

今回の事故については各国で対応が区々のようで、最も厳しいのはドイツ、スイスと北欧。例えば今月4日に聴く予定だったドイツのクス弦楽四重奏団は、名古屋までの公演は実施されましたが、東京への立ち入りは厳禁されたとかで中止になりました。
日フィルのインキネンも来日不能になりましたし、スウェーデンに至っては自国演奏家の広島への渡航も許可しなかったとか。ついこの間は、これも聴く予定だったスイスのクァルテットの7月公演もキャンセルされてしまいました。
対してフランスは比較的鷹揚なようで、事故後に大統領自ら訪日されましたし、カンブルランにしてもムラロにしても涼しい顔をして演奏会に臨んでいました。

一方自粛ムードの聴衆。オケによって反応はバラつきがあるようで、ガラガラのオケもあれば、この日の読響のように満席に近い所もあります。どうも年内は福島原発は安定しないようですから、今年一年はスケジュール変更を覚悟しなければならないでしょうね。
さて新シーズンのスタートを切るプログラムは、

プロコフィエフ/バレエ音楽「ロミオとジュリエット」抜粋
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
     ~休憩~
ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲
ラヴェル/ボレロ
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 ピアノ/ロジェ・ムラロ
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

つい最近も別のところで聴いたような選曲ですが、指揮者にしてもソリストにしても得意中の得意、しかも名曲が並びますからハズレはありません。期待通りの満腹感を味わえる一夜でした。

冒頭、被災者を悼んでメシアンが演奏されました。場内アナウンスで、“終了後の拍手はお控えください”。
弦楽奏者たちと同時に入場したカンブルランが捧げたのは、メシアンの「忘れられた捧げもの」から、終結部の「極端に遅く」という個所。ヴァイオリンとヴィオラだけによる祈りの音楽です。

本来のプログラムの最初はプロコフィエフ。カンブルランは今年のテーマを「ロメオとジュリエット」に定め、プロコフィエフの他にベルリオーズとチャイコフスキーを取り上げます。(去年は「ペレアスとメリザンド」でした)
抜粋で取り上げたのは、
①モンタギュー家とキャプュレット家(第2組曲第1曲)
②少女ジュリエット(第2組曲第2曲)
③修道士ローレンス(第2組曲第3曲)
④朝の踊り(第3組曲第2曲)
⑤仮面(第1組曲第5曲)
⑥タイボルトの死(第1組曲第7曲)
⑦ジュリエットの墓の前でのロミオ(第2組曲第7曲)
というもの。よく演奏される抜粋版ですが、④が珍しいでしょうね。第3組曲から取り上げられる機会は少ないと思います。

相変わらずパワフルな演奏で、⑥などスリリングそのもの。改めて読響の底力に仰け反ります。しかし反面で⑦はやや単調。好みもありましょうが、個人的にはカンブルランの限界を感じてしまいました。

休憩を挟んで一気に弾かれたラヴェルのコンチェルト。これはもうムラロの独壇場。特に左手協奏曲はテクニックといい、縁取りのハッキリした音楽と言い、ラヴェルのスペシャリストの感がありました。
後半に左手を持ってきたのも頷けます。小太鼓の執拗なリズムはボレロに通ずるものがありますし、どちらもエクスタシーの音楽という点も共通しているからです。

鳴り止みそうもない拍手に、ムラロのアンコール。“マエストロはメシアンをやりましたし、右手が使えなくてウズウズしてましたから、メシアンの短いもの”を弾きましたが、何という作品かは判りません。そもそもメシアンのピアノ曲を聴いて直ぐに曲名が判るほどヲタクじゃありませんから。
帰るときに案内板を見たら、メシアンのプレリュードとだけ。尚更判りません。メシアンにはドビュッシーそっくりなタイトルの前奏曲集がありますが、その中の一つなんでしょうか。
(終演後ムラロのサイン会があったようです。前日に行われた同曲目の会はチケット完売だったそうで、ムラロ人気の高さが窺われます)

最後のボレロは言うことないでしょう。読響の正に世界的なレヴェルのアンサンブルに、サントリーホールは興奮の坩堝。
それにしても喝采に応えるカンブルランの動きの素早いこと。オケの間を恰もネズミが駆け抜けるように出入りします。これで63才だから驚くじゃありませんか。

ムラロもそうですが、フランス人は何とも軽いですね。プロコフィエフにしてもラヴェルにしても、チョッと見ると重厚な音楽をやっているようですが、本質は軽い軽い。
読売日響のマッチョな重厚さと、カンブルランの軽さのミスマッチが一種の魅力になっているようです。
(それにしてもカンブルラン人気も凄い。この日の歓声も尋常なものではなく、私には付いて行けない感じ)

さてセカンド・シーズンに突入したカンブルラン/読響体制。私には不満があります。

それはプログラムが如何にも保守的になっていること。敢えて言わせて貰えれば、陳腐ですらあります。プログラム誌にも紹介がありましたが、SWR響の首席指揮者を務めるカンブルランなら、もっと意欲的な曲目で勝負して欲しかった。現代音楽アレルギーのある聴き手は、何も読響に来る必要はないでしょう。
今日は偶々メシアンをやりましたが、あれはほんの触りですからね。モーツァルト、スメタナ、ヤナーチェク、ベートーヴェン、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、ショーソン、ドビュッシー、ウェーバー、シューベルト、ワーグナー、シュトラウスだけ、ってカンブルランのプログラムじゃありません。
もちろん大曲もありますが、少なくとも毎回一曲は同時代の作品を取り上げて欲しかった。

カンブルラン/読響には、もっと意欲的に独自性を出したプログラムを期待したいと思います。

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