2011オークス(優駿牝馬)馬のプロフィール
プロフィール・シリーズ、もう一つ続けましょう。忘れてはいけませんね、日本のオークス馬です。
エリンコートがサプライズをもたらした時、「血統の壁」を超えたという報道が目立ちましたが、果たしてそうなのか。その辺りを検証してみたいと思います。
エリンコートは、父デュランダル、母エリン・バード Erin Bird 母の父ブルーバード Bluebird という血統。このコーナーはデュランダルのことではなく、エリンコートの牝系を遡っていくのがテーマです。
母エリン・バード(日本ではエリンバードと表記されていますが、私は敢えて単語の間に・を置きます)は、1991年生まれの鹿毛馬。母自身がクラシック・ホースでもあります。
エリン・バードは2歳から4歳まで走りましたが、厩舎を二度替っています。つまり3人の調教師が関わっていたことを最初に記しておきましょう。
彼女を最初に手掛けたのは、イタリアのジュゼッペ・ボッテイ師。2歳時は1500メートルのレースに2戦し、3着、1着の成績、共に不良馬場でのレースでした。
3歳初戦の小レース(1マイル)とミラノ競馬場のリステッド戦(1マイル)に勝った(その間に同じく1マイルで2着)あと、イタリア1000ギニーに相当するレジーナ・エレナ賞(1マイル)にも勝ってクラシックを制します。2着に3馬身半差を付ける圧勝。この時も不良馬場でした。
恐らくこの時点でエリン・バードは社台の吉田照哉氏に所有権が移り、管理もイギリスのピーター・チャップル=ハイアム厩舎に移ります。5か月の休養後に参戦したのはロンシャンのオペラ賞(GⅡ、1850メートル)。当時は未だGⅠではありませんでしたが、8頭立てを先頭でゴールします。しかし審議の結果、4着馬の進路を妨害したと判定されて5着降着(武豊騎乗)となります(繰り上り優勝はアンドロマッケ Andromaque)。
このあと大西洋を渡ってチャーチル・ダウンズ競馬場で行われたブリーダーズ・カップ・ディスタッフ(9ハロン)に挑戦。結果は9頭立ての4着でしたが、勝ったワン・ドリーマー One Dreamer とは3馬身差、ダート・コースにも順応できることを証明しました。
明けて4歳、古馬になったエリン・バードは、3歳時の成績を上回ることはありませんでした。
シーズン初戦に選んだ東京競馬場の京王杯スプリング・カップ(1400メートル)は13着(優勝はドゥマーニ Dumaani)、続いて安田記念(1600メートル)に挑戦するも9着(優勝は武豊騎乗のハート・レイク Heart Lake)に終わります。
イギリスに戻ったエリン・バードは、グッドウッドのナッソー・ステークス(10ハロン)で3着、フランスのドーヴィル競馬場に遠征したゴントー・ビロン賞(10ハロン)が5着、デビューの地イタリアに戻ってミラノ競馬場のフェデリコ・テシオ賞(2200メートル)は3着と、何れも掲示板に乗る走りを見せましたが、勝つまでには至りませんでした。
ここでチャップル=ハイアム師の元を去ったエリン・バードは、フランスのパット・バルブ夫人の元に預けられます。再度挑戦したオペラ賞は6着、フランスのローカル競馬とサン=クルー競馬場のリステッド戦にも出走しましたが、最早かつての精彩は失われていました。
以上がエリン・バードの競走馬としての成績。長く競馬を見ているファンは、恐らく東京での2戦を覚えている方もおられるでしょう。
社台の所有であるエリン・バードは、当然ながら日本で繁殖に上がります。その主な繁殖成績は以下の通り。
1997年 オメガフォーチュン(黒鹿毛、牝、父フジキセキ) 5戦未勝利
1999年 オメガグレイス(鹿毛、牝、父サンデー・サイレンス Sunday Silence) 46戦5勝
2000年 エーロドリゲス(黒鹿毛、牡、父サンデー・サイレンス) 2戦未勝利
2003年 エールスタンス(黒鹿毛、牝、父エルコンドルパサー) 21戦2勝
2008年 エリンコート
空白の年については不明。エリンコートは母が17歳の時の仔で、クラシック馬としては比較的高齢出産ということになるでしょう。
エリンコートの兄弟姉妹では、オメガグレイスが1200~1600までに勝鞍があり、若鮎賞(東京1400メートル良馬場)の勝馬。またエールスタンスが1800~2000メートルに勝鞍があり、飯盛山特別(福島1800メートル良馬場)の勝馬です。
エリンコートの姉オメガフォーチュンは、かささぎ賞(小倉1200メートル)と橘賞(京都1200メートル)に勝った短距離馬オメガエクスプレス(父サクラバクシンオー)と、両国特別(中山1800メートル)、松戸特別(中山ダート1800メートル)、招福ステークス(中山ダート1800メートル)に勝ったオメガファルコン(父サクラバクシンオー)を出し、
オメガグレイスも、今年の黄梅賞(中山1600メートル)に勝ったオメガブレイン(父キングカメハメハ)を出しています。
次にエリン・バードの2代母メイド・オブ・エリン Maid of Erin (1982年、鹿毛、父アイリッシュ・リヴァー Irish River)。この馬はフランスで1戦しただけの馬で、主な産駒には障害競走に実績のある長距離馬ミズヤン Mizyan (父メリノ Melyno)、2勝した短距離馬ファイティング・テメレール Fighting Temeraire (父テート・ギャラリー Tate Gellery)、障害戦だけで7勝したタフなパガン Bagan (父レインボウ・クエスト Rainbow Quest)などがあります。
またメイド・オブ・エリンの娘スリー・ミステリーズ Three Mysteries (父リナミックス Linamix)は、一昨年のギョーム・ドラーノ賞(GⅡ、2000メートル)で2着したスリー・ボディーズ Three Bodies の母でもあります。
エリン・バードは、メイド・オブ・エリンの4番仔。
3代母ダンシング・シャドウ Dancing Shadow はナッソー・ステークス(10ハロン)で3着に入った馬で、オークスを圧勝し、セントレジャーも古馬を子供扱いして快勝したサン・プリンセス Sun Princess の姉に当たります。サン・プリンセスは他にもヨークシャー・オークスを制し、凱旋門賞2着、キング・ジョージ3着のスタミナ馬。
またダンシング・シャドウの弟サドラーズ・ホール Sadler’s Hall もコロネーション・カップ(12ハロン)に勝ったGⅠホースで、セントレジャーは2着、キング・ジョージも2着という長距離馬なのですね。
更にダンシング・シャドウの娘たちも凄い。
仏1000ギニーは3着だったリヴァー・ダンサー River Dancer (父アイリッシュ・リヴァー)は、愛2000ギニーとチャンピオン・ステークスに勝ったスペクトラム Spectrum (父レインボウ・クエスト)の母であり、愛オークス馬ペトルーシュカ Petrushka (父アンフウェイン Unfuwain)の2代母でもあります。
別の娘バレリーナ Ballerina は、セントレジャーに勝って長距離チャンピオンに選ばれたミリナリー Millenary (父レインボウ・クエスト)を産むという具合。
その他にもこのファミリーからクラシックで活躍した馬の名前を探すのは容易で、多くが2400メートル以上の距離で本領を発揮するタイプであることを忘れてはなりません。
配合によっては短距離馬が出ているのも確かですが、最近のこの牝系を一言で表せば、長距離クラシックに強いファミリー、ということになるでしょうか。
エリンコートは父デュランダルが短距離(と言っても1マイルのGⅠにも二度勝っています)系ということだけで「距離の壁」云々という見方をされてきたと思いますが、牝系を少しでも遡れば、むしろオークスに勝つべくして生まれてきた馬と見ることも可能でしょう。
デュランダルにしても、初年度産駒から11ハロンまでに実績のあるカリバーンのような馬も出しています。血統を論ずるには、先ず牝系を詳細に検討してからにしたいもの。
ファミリー・ナンバーは、1-L 。
最近のコメント