狂気の沙汰、ベートーヴェン・マラソン
6月4日にオープンしたサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン。初日の模様は既にレポートしました。
先週の金曜日から、恐らくプロジェクトとして最も大胆な、かつ冒険を伴うパシフィカ・クァルテットによるベートーヴェン・マラソンがスタートしました。
内容は以下の通りですが、私はⅢを除く4回を体験し、精神的にも肉体的にも疲労の極限を味わいました。未だ立ち直れない状態ですが、記録のために感想らしきものを残しておきたいと思います。
ベートーヴェン・マラソン Ⅰ
2011年6月10日(金) 19時開演
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第3番ニ長調 作品18-3
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 作品95「セリオーソ」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第6番変ロ長調 作品18-6
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 作品135
ベートーヴェン・マラソン Ⅱ
2011年6月11日(土) 11時開演
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 作品127
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番ヘ長調 作品18-1
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調 作品59-3「ラズモフスキー第3番」
ベートーヴェン・マラソン Ⅲ
2011年6月11日(土) 15時30分開演
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第5番イ長調 作品18-5
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2番」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 作品130「大フーガ付」
ベートーヴェン・マラソン Ⅳ
2011年6月12日(日) 11時開演
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第2番ト長調 作品18-2
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第7番ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
ベートーヴェン・マラソン Ⅴ
2011年6月12日(日) 15時30分開演
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第4番ハ短調 作品18-4
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 作品74「ハープ」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調 作品132
以上全てパシフィカ・クァルテット。会場はサントリーホールの「ブルーローズ」。クァルテットのメンバーは、
第1ヴァイオリン/シミン・ガナートラ
第2ヴァイオリン/シッビ・バーンハートソン
ヴィオラ/マスミ・バーロスタード
チェロ/ブランドン・ヴェイモス
サントリーホールからこの企画が発表された時、最初は驚くと同時に、参加を躊躇う気持ちが働きました。既に別の演奏会を聴く予定の日もありましたし、何より3日間でベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を体験するのは「狂気の沙汰」じゃないか、という不安。
しかし日にちが近付く中、この稀有な機会を出来るだけ多く体験しようという考えに傾斜、結局はⅢ以外を聴く羽目になった次第。Ⅲのメイン、大フーガ付の作品130は、同じパシフィカで聴いたことがあったのもスケベ根性に拍車をかけていました。
1回ごとの入場料が5000円なのに対し、5回セット券なら1回3000円という人間の弱みを巧みに衝いたプロモーションにまんまと引っ掛かった心の隙もあったでしょう。
パシフィカ・クァルテットについては、その初来日から付き合って来ましたし、当ブログを開設してからも数回取り上げたことがあります。最初の出会いで驚愕し、二度目で打ちのめされて以来の追っかけ。
そう言えば二度目(正確には三度目か)のカーター全曲は、彼らの「暴挙」によって実現した歴史があります。どうもパシフィカには「暴挙」だの「狂気」だのと、尋常ならぬ動機が絡んでいるようです。カーターの年に彼らからもらったクリスマス・カードの忍者姿が頭にチラつきます。パシフィカは忍者だ!!
今回のベートーヴェン・チクルス、前々回に作品130を聴いた時に“是非、日本でも全曲演奏をお願いします” と書きましたが、まさかこんな早く実現するとは思いませんでした。それもたった3日間、5回のコンサートで、とは。
パシフィカが世界各地でベートーヴェン全曲を披露していることは知っていましたが、彼らにとっても3日間の全曲は初体験だった由。今回も最後の作品を演奏する前にシッビが挨拶し、“一生に一度の” と皮肉を込めていましたが、彼等としても前代未聞のことだったと推察されます。
ということで感想ですが、一曲一曲の細かいことには触れません。そんな能力も持ち合わせていませんし、ね。
私は1回抜けていますから100%の体験者ではありませんが、それでも最後はヘトヘト、肩はバリバリに凝り、脳味噌はメルトダウン状態に陥りましたから、筋道を立ててパシフィカ/ベートーヴェンを語るのは不可能なことです。
思い付いたこと、会場で出会った何人もの優れた聴き手やプロの演奏家の皆様と話したことなどを箇条書き風に書き出すことで拙なる感想としておきましょう。
パシフィカQが来日の度に進化の度を深めていることが実感できました。これまで「完璧なテクニック」、「繊細な音楽表現」、「どこまでも柔らかい音色」などと讃えてきましたが、今回は「徹底した均質性」、「クァルテットとしての歌の深さ」を追加しておきましょうか。
例えば、ある速いパッセージがファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロと受け継がれるとき、楽器の継ぎ目がほとんど認識できないほどに、4本の弦の「音」が均一なのです。まるで1本の弦だけで演奏しているような感じ。それはユニゾンでも同じで、例えば第1番の冒頭など、恰も一人で鳴らしているように聴こえるのでした。何も知らない人に“何人で演奏しているか?” というクイズを出したら、“一人” という答えが返ってくるに違いありません。
そして歌。私のようなロートルは、ベートーヴェンはメロディーを書くのが苦手で、などという講釈を散々聞かされて育ってきました。しかし、パシフィカのベートーヴェンを聴いてごらんなさい。そこには溢れるばかりの歌が満ちているではありませんか。
カヴァティーナでもいい、1番の第2楽章でもいい、最後のレント・アッサイでもいい、シミンの足が揚がるとき、ホールはベートーヴェンの魂の歌で満たされるのでした。
私の世代は、流石にカペーやレナーは知りません。開発されたばかりのLPのバリリやカンパー親父のウィーン・コンツェルトハウスでベートーヴェンの四重奏を識りました。
それからより新しいもの、と言ってもジュリアードやスメタナ、せいぜいアルバン・ベルクを大切にして来た世代です。
そうした音楽親父にとって、パシフィカを聴くと今まで聴いてきたベートーヴェンは一体何だったのか、という感慨すら沸いてきます。
しかしそれは、過去のベートーヴェンを否定するという意味ではありません。古今東西これだけ演奏されてきても、ベートーヴェンはなお、いや一層新しく、ベートーヴェンの新たな素顔が発見できるということ。月並みな言い方ですが、それだけベートーヴェンは奥が深いということでしょう。
今回のように短期集中型で全曲を突き付けられると、ベートーヴェンそのものに考えを巡らされずにはいられません。
人類は遥かな過去に誕生しました。生まれた以上は、何時か絶滅を迎えます。個人では認識出来ない人類の長い歴史を考えた時、私はどうしてもベートーヴェンが、その歴史の中点に存在するように思えてならないのです。ベートーヴェンと正面から対峙するときには、いつもそう思います。
物事には「形」があるでしょ。自然界が生んだ最高の形は、私は富士山の形だと思うのですね。なだらかに上昇し、頂点が暫く続いた後、上昇と同じ長さで下降していく。人間の歴史を富士山に譬えれば、ベートーヴェンが生きて創作していた時期こそ、頂上にあたるのではないか。
今回のパシフィカ・ツィクルスを聴きながら思い至ったのは、やはりそのことでした。
人間を大きく二つに大別すれば、一つはベートーヴェン以前の人、もう一つがベートーヴェン以後の人。あるいはベートーヴェンを知っている人と知らない人に分けても宜しい。もっと極端な言い方なら、ベートーヴェン本人とそれ以外の人。
2011年の日本は、極めて厳しい環境下にあります。シッビが挨拶の中でも触れていたように、正にこの時こそベートーヴェンなのです。単に癒しを与えてくれる音楽なら他にもあります。希望を与えてくれる音楽もあるでしょう。
だがベートーヴェンは、それだけじゃない。
パシフィカの全曲、例えばラズモフスキー、例えばハープの第3楽章、例えば大フーガ、例えば作品131のフィナーレを聴いて、心の何処かに「なにくそッ」という勇気を抱かなかった人はほとんどいないのじゃないでしょうか。あれを聴いて冷静でいられる人は超人です。
圧巻とも言える全曲演奏を聴いてもなお、「負けるもんか」という気持ちを人間に起こさせる力、それこそベートーヴェンなのです。
これからもベートーヴェンは繰り返し演奏され続けるでしょう。人類が絶滅する直前まで、ベートーヴェンは人に勇気を与え続けると思います。弦楽四重奏を使命とする皆さん、志す皆さん、そして聴き手の皆さん、チェンバーミュージック・ガーデンの試みが、その胎動の場として少しでも長く続けられますように祈念せずにはいられません。
こんばんは。
クラシックおじさんの私にとってベートーヴェンは神様です。
辛い時、苦しい時、どれほどベートーヴェンの存在とその音楽に勇気付けられてきたでしょうか。
米TIME誌で『現代のベートーヴェン』と讃えられた現代作曲家:佐村河内守(もちろん全聾)の大シンフォニー、交響曲第一番《HIROSHIMA》(81分)のCD発売がいよいよ来月となりました。
そっこうAmazonで予約しました。
佐村河内守・・・・本当に現代の奇跡ですよね。
さてさておやすみ前の今夜のメニューは。
穏やかに田園とまいります。
失礼しました。