読売日響・第507回定期演奏会

昨日は読響の9月定期、未だ昼間の熱気が籠る中、サントリーホールに出掛けます。
いつも出発は午後6時前、この間までこの時間は未だ明るかったように思いますが、昨日は早や薄暮。空気は相変わらず真夏のままですが、日没は確実に早くなり、季節が着実に進んでいることを実感します。

さて9月の読響は常任指揮者カンブルラン、得意のフランスものとあって、期待が高まります。以下のもの。

ベルリオーズ/劇的交響曲「ロメオとジュリエット」
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 独唱/カタリーナ・カルネウス(メゾ・ソプラノ)、ジャン=ポール・フシェクール(テノール)、ローラン・ナウリ(バス)
 合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

9月の初めに楽団から案内の葉書が舞い込み、当初予定していたメゾ・ソプラノのベアトリス・ユリア=モンゾンが健康上の理由で来日不能となり、上記メゾ・ソプラノに変更されたとのこと。私は歌手には疎いので、ベアトリスがカタリーナに替ったことについては何の感慨もありません。
また会場に着くと、当初は休憩を入れない予定だったようですが、途中で休憩を取ることに変更された由。私はこの作品に何度か接したことがありますが、休憩を入れるのが一般的じゃないでしょうか。確かなことは覚えていませんが、休憩が入っても退屈する作品、というのがこれまでの私の感想でした。

ベルリオーズの大作「ロメオとジュリエット」の日本初演は、確かロマン・ロランの生誕100年(1966年)を記念してN響が若杉弘の指揮で取り上げた時だったと記憶します。
当時私はN響の定期会員でしたが、これは定期ではなく、特別演奏会の形で上野文化会館で行われたはず。態々特別演奏会に出掛けたのですから、興味津々だったのでしょう。
しかし印象はあまり良いものではありませんでした。先ず作品が長過ぎること、シェークスピアの戯曲をそのまま音楽にしていないので何となく焦点がぼやけた感じを抱いたこと、オケはともかく声楽陣に不満があったこと、などが思い出されます。特にバスは明らかにミス・キャストだったという記憶が強烈に蘇ります。

その後も小林/日本フィルの定期、大野/東フィルの特別演奏会で聴いた経験がありますが、どちらも正直に言って面白くなかった。従って私の感想では、「ロメオとジュリエット」は一部管弦楽曲の抜粋で楽しむべし、というものでしたね。

ところが、昨夜の演奏は真に見事なものでした。こんなに素晴らしい作品だったとは・・・。
第一功労者は、何と言ってもカンブルランでしょう。これまで何度も彼の指揮を聴いてきましたが、今回はこれまでで最高の名演だったと思います。

何より素晴らしいのは、あの轟音で鳴らす読響から繊細かつ色彩的な音楽を引き出していたこと。私の好みから言えば、読響は鳴らし過ぎの感がありましたが、昨夜のベルリオーズは実に良く音量がコントロールされていました。
有名なキャプレット家の大饗宴も単なる音の洪水に陥ることなく、各楽器の細やかなニュアンスに光が当たり、音楽の構成が見事に浮き上がってくるのです。

更に言えば、これに続く愛の場面の雄弁だったこと。当夜の白眉は、この息詰まるような緊迫感で進められた第3部でした。

カンブルランは、この第3部で休憩を取らず、第4部冒頭のマブ女王のスケルツォまで演奏して前半を終えます。
このスケルツォにも唖然。正にベルリオーズが描いた「妖精の音楽」のエアリー(空気を震わせるような)な逸品を完璧に演奏して見せました。オケも見事。冒頭はアンサンブルもややガサついていましたが、尻上がりに調子を上げます。

このスケルツォにはアンティーク・シンバルという特殊楽器が使われます。最後に三度、ソロで鳴らされるのですが、ここは最初 p で、続いて pp 、ppp と減衰していくのがスコアの指示。ところが演奏によっては単に3回、無粋な音で鳴らされることが多いのですね。
ところが昨日は見事でした。古代シンバルが震わせる空気が見えるよう。

ベルリオーズと言えば、とかくコケオドシのオーケストレーションに人気があるようですが、実際はその逆。弱音を基盤にして繊細に色付けされた微妙な音量コントロールこそ命。カンブルランは、そのことを完全に理解しています。
この繊細の極みのような前半があってこそ、後半(ジュリエットの葬送以降)のクライマックスが活きてくるのです。

これまでの体験では、マブの女王まででダウン、その後は退屈を堪えるだけだった劇的交響曲でしたが、今回の演奏ではベルリオーズの意図が完璧に表現されていたと感じました。
神父役のナウリの素晴らしい歌唱。そう、今回の演奏、第二の功労者はソリスト陣にありましょう。カタリーナも、ジャン=ポールも、ローランも、夫々に適材適所。残念ながらフランス語を歌いこなせる日本人歌手はほとんどいなかったのが過去であり、現在でも大きく改善されたとは言えないでしょう。

先に記した通り、今回は第4部第1曲「マブ女王のスケルツォ」の後で休憩を入れます。メゾ・ソプラノとテノールは前半だけで、持ち役が終わる第1部の後で退席。バスは後半のみ舞台に上がります。
同様に両家を歌う大合唱は、後半のみP席に入場、ソプラノ26、アルト26、テノール24、バス24という人数構成。また主に第1部で歌う小合唱は、舞台下手に位置。更に第3部冒頭の「遠方の合唱」は、2階オルガン席右の扉を開け、舞台裏で歌われます。ハープ2台(2台目は舞踏会のシーンのみ)も前半だけで退席。
以上は日本テレビがカメラ抄録していましたから、後日日本テレビ系列で放送されるでしょう。興味ある方はそちらで確認してください。

ということで、目から鱗の「ロメオとジュリエット」でした。
カンブルランが読響でやりたいことも、この夜初めて判ったような気がします。常任指揮者に就任した時、読響に不足している「フランス的な資質」に触れていましたが、そう、パワーで圧倒するだけがオーケストラの魅力ではないのです。
私は会員になっているシリーズが違っているので聴けませんが、来週演奏予定の幻想交響曲も凡その想像が付きますね。幻想と言えば第4・5楽章の華やかなオーケストレーションに耳が行きがちですが、多分カンブルランは第3楽章を核に、繊細で多彩な響きを前面に出すでしょう。決してマッチョでない幻想。
どうぞ、お楽しみに。

会場の拍手喝采を見届けて外に出ると、空には見事な満月が顔を出していました。そうか、今日は中秋の名月だっけ。
ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」は、月の光の中でこそ聴く音楽。そう思いませんか。

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