読売日響・第533回定期演奏会

酷寒の中、昨日は今年最初の読響定期を聴いてきました。私としては新年最初のサントリーホール行でもあります。
去年12月に続いて首席指揮者カンブルランの指揮、プログラムはカンブルランの拘りが張り巡らされた興味深いもの。その拘りが徹底していたか、意図が聴き手に正しく伝わったかには疑問が残りましたが・・・。
その辺りを中心にレポートしておきましょう。

ジョヴァンニ・ガブリエリ=カンブルラン/カンツォーナ(サクラ・シンフォニア集から)
ベリオ/フォルマツィオーニ
     ~休憩~
ベルリオーズ/交響曲「イタリアのハロルド」
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 ヴィオラ/鈴木康浩
 コンサートマスター/小森谷巧
 フォアシュピーラー/長原幸太

最初の作品、当初の団の発表では「カンツォーナ(作品未定)」とのみ。読響の公式ホームページでも当日、即ち昨日の朝の段階でも未定のまま。ホールに入り、渡されたプログラムを見て初めて演奏曲が判るという異常事態でした。
ところがプログラムの曲目解説(片桐卓也)を読んでも、具体的にガブリエリのどの作品が取り上げられたのは判らない始末です。プログラムに書かれていたのは、ガブリエリの二集ある「サクラ・シンフォニア Sacrae Symphoniae 」をカンブルランが三つの楽器群によって演奏するように編曲した、ということだけ。

私はガブリエリについて詳しくないのであれこれ言う資格はありませんが、少なくとも両曲集(第1集は1597年、第2集は1615年、死後出版)併せて16曲以上はあると認識しています。
更に言えば当時の「シンフォニー」とは声と器楽の合唱・合奏曲を意味しますが、解説にはこの点については触れられていません。ガブリエリにはやはり1615年に出版された「カンツォーナとソナタ」という作品集があり、こちらは純粋な器楽曲のようです。
実は毎月一日に紹介している「日本の交響楽団の定期演奏会」という記事の中で、私は今回の演奏曲を「カンツォーナとソナタ」の第20曲ではないかと予想していました。この予想は見事に外れましたが、私が予想した作品は楽器を5群に分割し、個別に、交互に、そして全員で奏楽するもの。次に演奏されるベリオもオケを5群に分割することから、二つの作品の関連付けにもピタリと考えたからでした。

で、今回の演奏。カンブルランの編曲は、私の聴き間違いかもしれませんが、作品集から8曲を選んで全体を20分強に纏めたもの。楽器編成は、①オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、ファゴット3 ②トランペット3、トロンボーン3、③弦5部 の三群。配置は現代のオケと全く同じで、指揮者に近い順に弦→木管→金管の順でした。
そもそもガブリエリは、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の作曲家でもありました。これらの曲集は同寺院の左右に向き合う回廊で演奏したもので、所謂ステレオ効果を存分に発揮したものであったはずです。
それを考えれば、カンブルランの編曲と楽器配置は在り来たり過ぎるのではないでしょうか。ガブリエリ特有の4拍子と3拍子が交互に出現するスタイルは聴き取れましたが、演奏そのものも読響の重い音色には合わず、20分は長過ぎと感じたのも事実でした。皆さんはこれでガブリエリを堪能できたのでしょうか?

書いた序に言えば、左右に分かれた演奏者がそれを効果的に利用するやり方は、ガブリエリより遥かに古い中世期にグレゴリアン・チャントでも使われていた手法ですね。アンティフォナリウム(交唱)という歌い方がそれで、ルネサンス期には長い間忘れられてきた演奏スタイル、それをガブリエリに代表されるヴェネツィア楽派が復活させたのでした。
今回のプログラムを十二分に楽しむにはこれを理解することが大切で、同じことがそのまま現代のベリオにも言えるのです。

演奏のステレオ効果を別の言葉、「空間音楽」(ラウム・ムジーク)として唱えたのが、先に亡くなったドイツの前衛シュトックハウゼン。オーケストラを複数のグループに分け、それらを空間的に配置して響きの多層性を作品構造に取り入れる手法です。
シュトックハウゼン自身が、この試みの起源がヴェネツィア楽派にあるということを明言しているのです。ベリオももちろんそれに呼応したイタリアの前衛作曲家。フォルマツィオーニの下地は、正にガブリエリのカンツォーナであると言っても過言ではないでしょう。

コンセルトヘボウに委嘱を受けたベリオ作品は、オーケストラを大きく5群に分ける構図。即ち①フルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、サクソフォン、ファゴットの木管チーム ②トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバの金管チーム、③クラリネット属(ピッコロ・クラとバス・クラを含む)とコントラファゴット ④弦5部 ⑤ティンパニなどの打楽器とチェレスタ(電子キーボードも同時に演奏)にハープ2台 から成ります。
更に木管チームと金管チームは同じ編成を更に二つに分け、ステージ上でも別々に配置。特に金管は舞台の右端と左端に分離し、ステレオ効果を最大限に発揮させる意図があります。ハープも左右対処に配置されますが、その並べ方はスコアに指定され、今回はほぼこれに倣って楽員が座っていました。通常ならコンサートマスターが座る位置には、フルート主席の倉田優が座るという具合。

演奏時間はスコアには18分と規定されていますが、随所に同じことを何回か繰り返すような指示もあり、演奏は困難を極めると思われます。録音だけで聴いていると何をやっているのか判らない曲ですが、ナマ演奏に接すると、ヤッパリ何をやっているのか判らないという印象でした。
実際、演奏途中で席を立つ人もいましたが、今回の極めて簡略な曲目解説では作品の理解には繋がらないでしょう。
改めて個人的な感想を記せば、大まかに三つの部分に分けて聴けば全体を掴めるのではないか。即ち、最初は点描的なフレーズが舞台のあちこちから聴こえてくる。次は両翼に分かれた金管楽器の応酬で、ここは音価の長い音符がクレッシェンドとディミニュエンドを繰り返す。最後はソリスティックな場面で、特にフルートとヴァイオリン・ソロが極めて技巧的なパッセージで掛け合う。

演奏の見所の一つは、3人のティンパニ(ティンパニは4組が使われる)奏者がスライドホイッスルを一斉に吹く所。この楽器はスコアでは flauto a coulisse (スライド管付の笛)と書かれていますが、短い縦笛のようなもので、何故か打楽器に分類されています。これを練習番号で言えば「34」の中程、オケ全員の ff を強調するように鳴らすのでした。
また曲の最後、総奏による sffz の強打の後、低いノイズのような音が尾を引いているのが聴き取れたと思います。これはチューバ、コントラファゴット、コントラバスだけが音を伸ばし、この順に音を止めていくのですね。これが余韻の様に、車のエンジンを切るが如くにホールを震わせていました。

繰り返しになりますが、プログラムには「聴きどころ・見どころ」のような指摘は全く無く、これでは何を聴いているのか、何処に注目すればよいのかが判らないでしょう。ましてやガブリエリとベリオの関係、カンブルランの意図した空間音楽の考え方についても不問では、お粗末な解説と言わざるを得ません。

カンツォーナとフォルマツィオーニの間には370年もの時空の開きがありますが、その間に位置するベルリオーズも、当時としては空間音楽を最も意識していた作曲家でしょう。レクイエムはもちろん、演奏会の定番である幻想交響曲でもオーボエや鐘が空間を隔てて演奏されるのは良く知られているところ。
これはイタリアのハロルドでも同じで、最大の聴きどころ・見どころは終楽章の最後に出てきます。今回カンブルランが仕掛けた演出は、明らかにプログラム前半との関連を聴き手に理解させるためのものだったと思います。

第4楽章冒頭、オケの激しいパッセージを縫うように、ヴィオラのソロが前の楽章を回顧して行きます。即ち、①第1楽章の序奏 ②巡礼者の行進(第2楽章) ③セレナード(第3楽章) ④第1楽章のアレグロ主題 ⑤アダージョ=ハロルドを表す固定楽想(イデー・フィクス) と。
このあと音楽は長い主題の反復再現に入り、通常なら出番の無いヴィオラ・ソロは手持無沙汰で指揮者の横に棒立ちになっているものです。ところが今回は、回想を終えた鈴木は舞台裏に退場。
最後をどう締めるのかと思っていると、P席後方に3人の弦楽器奏者(ヴァイオリン2、チェロ1)が入り、指揮者の指図を待ちます。と、そこへ鈴木も闖入、P席最前列の横でヴィオラを構えました。

そう、ベルリオーズが曲最後に指示しているのは、3つの弦楽器を遠くから(Lontano)弾くこと。スコアではソリストも遠くで弾くという指定はありませんが、カンブルランは拡大解釈し、ハロルドも恰もあの世から弾いているが如く、空間音楽的な解釈を施したものだと思慮します。
こうした演奏は初めて接したもので、真に面白いアイディアだと思いました。

そう言えば思い出してくださいヨ。前回の定期でマエストロは、冒頭にリゲティの「ロンターノ Lontano」を取り上げ、態々アンコールでベルリオーズを演奏したことを。ロンターノ、ベルリオーズ、ガブリエリ、ベリオというキーワードは、2か月と言う時空を超えて完結したのです。
やはりカンブルランは只者ではない!!

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