日本フィル・第635回東京定期演奏会

昨日は「1」が六つ並ぶ特別な日、あの大震災から丁度8か月目に当たります。その8か月前、日本フィルは3月東京定期の初日でした。演奏会は実行されましたが、私は交通大混乱のため会場に行けず、翌日に振り替えて定期を聴いたものでした。
奇しくもその時の指揮者は、11月定期と同じアレクサンドル・ラザレフ。3月はプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」でしたが、マエストロは腰痛を悪化させており、指揮台に椅子を据えての指揮でした。いかにも辛そう。

その後ラザレフは6月定期を欠場、入院手術を経て今回の復帰となります。そう、こちらも8か月ぶりの邂逅でした。これで9月のインキネンに続き看板指揮者が揃った日本フィル、本来の体制に戻ったことを喜びましょう。
6月に予定されていたプロコフィエフ最終章は来秋リヴェンジされるということで、ラザレフ/日本フィルは今シーズンから「ラザレフが刻むロシアの魂」という新たなシリーズをスタートさせます。これから5年間、ラフマニノフ、スクリャービン、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーをシリーズとして取り上げていくようですが、11月定期は「Season Ⅰ」として以下のプログラムが演奏されました。

ショパン/ピアノ協奏曲第1番
     ~休憩~
ラフマニノフ/交響曲第1番
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ピアノ/岡田博美
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也

新シリーズのスタートがショパンということで奇妙な感じがしましたが、実は今回の2曲には隠れ共通点がありますね。チョッと思い出してみましょう。

先ずショパンもラフマニノフも作曲家であるという以上にピアニストだったこと。歴史に残るピアノの名手だったことが共通点の第一です。
第二には、二人とも故郷を離れ、祖国を深く愛しながら生涯故国に戻ることが叶わなかった音楽家であること。そして第三は、どちらも作曲家が20歳代の頭に作曲した作品であることでしょう。
また両曲には大成功(ショパン)と大失敗(ラフマニノフ)という両極端な対比があることも、プログラムにある種の味わいを加味しているようにも感じられました。

さて冒頭のショパン。ラザレフはオーケストラの編成をあまり落とさず、またカットを施したりオーケストレーションに手を加えたりもせず、真にシンフォニックな伴奏を付けていました。

そしてソロの岡田博美。この名手は飄々と登場し、サラサラと難曲を弾き切ってしまう独特な個性。この日も表情一つ変えず、クールながらも必要な情感を湛えたショパンを聴かせてくれました。
まるで演歌のように思い入れを溢れさせたショパン演奏が流行する中、岡田のショパンは芸術的な気品をシッカリ守る優れた解釈と言えましょう。
例によってニコリともせず、反対に感情で顔を歪めるようなところも一切ありません。モーツァルトですら苦しそうな表情で弾く有名女流ピアニストに比べ、私は遥かに好感を持てるタイプですね。

そしてラフマニノフ。これはもう、マエストロ・ラザレフの作品に対する愛情と自信がホールを圧倒する稀有な名演と断言できるでしょう。ラザレフのラフマニノフに対する、特に失敗作と評価されてきた第1交響曲に対する名誉挽回の思いは、演奏会に先立って行われた記者会見でも明らかでした。
是非こちらを一読して下さい↓ どんな解説書にも出てこない、内容はほとんどマエストロ・サロン状態の記者会見だったようですね。

http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#628

腰痛が完治したラザレフ、指揮台上での動きは手術以前より激しく、右に左に、上に下にオケを締め上げるようにドライヴしていきます。オケも必死の表情。弦もこれまで以上に体を揺すり、ラザレフの要求に食らい付くのでした。

演奏会開始前、首席トロンボーン・藤原が大音量でラフマニノフのパートをサラっていましたが、これだけでこの夜のラザレフの意気込みが感じられます。
予想通り、日本フィルはこれまで聴かれたことが無いほどのパワフルな響きを炸裂させ、私の席は音の空気振動で揺れるのが感じられたほど。まるでかつてのロシアのオケを聴いているような錯覚に捉われました。(ロンドンで聴いたマリインスキーよりデカい音)

特に凄かったのは、終楽章の最後で鳴らされるドラの一撃。手元のスコア(シコルスキ)では mf の指示で、実際に上品に鳴らす演奏もありますが、ラザレフのは正に fff と思える一撃。余韻を途中で止めることなく、自然に音が減衰するまで左手を揺らし続けるのでした。
例によって最後の大太鼓を加えた sfff の二発でパッと客席を向き、どうだ! と言わんばかり。これじゃ反応も熱烈にならざるを得ません。

ラザレフの振る第1交響曲は、全体的に速いテンポとメリハリを大きく付けた「歌」に特徴があります。以前にネーメ・ヤルヴィが日フィル初登場で指揮したのもこの曲でしたし、個人的にはマゼール/ベルリン・フィルやアシュケナージ/コンセルトヘボウの録音でも親しんできました。
しかし今回のラザレフ/日フィルのナマ演奏は、圧倒的に他を上回る音楽体験です。ラフマニノフの第1交響曲が作品としては決して失敗ではなかったことを、ラザレフは見事に証明してくれました。

更に、上記のドラの一撃、循環形式のように登場する主題、ディエス・イレを連想させるようなパッセージなどが最後の作品となる交響的舞曲にも再登場することを明瞭に意識させ、ラフマニノフという個性を聴き手に強く認識させることにも成功していました。

なお、第2楽章にヴァイオリン・ソロ(練習番号29から)、第3楽章にもヴァイオリンとチェロのソロ(練習番号42の24小節目から)が出てきますが、今回はいずれも第1プルトの二人(扇谷+江口、菊地+江原)で演奏させていました。
私共は日フィルの東京定期では楽員を招いて個人的に反省会を開いています。その折にインペクの新井氏にこの点を尋ねたところ、これは(音量を強化するための)ラザレフの指示ではなく、楽譜通りとのこと。帰宅して改めてスコアを確認すると、確かに第3楽章は「soli」でしたが、第2楽章は「solo」。

尤も第1交響曲の自筆スコアは存在せず、作曲家の死後に残されていたパート譜から全曲が復元されたということに思い当たりました。オリジナルはラフマニノフ自身が破棄したという説もあり、出版譜によっては細部に異同があるのも当然なのでしょう。
こういう些細な点を確認できるのも、ナマの演奏に接するから。CDで音だけ聴いていては判らない醍醐味だと思います。

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