東京フィル・第833回定期演奏会
昨日は東フィルの「6月」定期。つい1週間前にもサントリー定期を聴いた東フィルですが、2週連続で定期というのはオペラ・オケでもある東フィルならではでしょう。メンバーも重なる人が多かったように思います。
6月は前回とは替って大植英次登場。確か2月に二期会の「こうもり」を振っていましたが、あれは都響でしたっけ。東フィルとは一昨年7月のブラームス以来で、このところ東京でもその姿を見る機会が増えた人気者ではあります。今回はオケの定番とも言える2曲で勝負。
R.シュトラウス/「ばらの騎士」組曲
~休憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番
指揮/大植英次
コンサートマスター/三浦章宏
東京にも大植ファンは多いと思われますが、率直に言って今回は私には感心したものではありませんでした。彼の高い評価を期待して読まれる方は、ここで戻るボタンをクリックしてください。
前回のブラームスでは然程違和感は感じませんでしたが、「こうもり」ではあの判り難い指揮や腰振りダンスが気になっていた小欄。今回の前半シュトラウスでは余りにも癖のある「個性」に反発せざるを得ません。
「バラ」組曲ではテンポの動かし方が極端、猛烈なスピードで爆走したかと思うと、思わずつんのめる程の急ブレーキ。こんな勝手気儘な解釈は、シュトラウスも望んでいなかったでしょう。
具体的に一か所指摘すれば、始まって直ぐのシンコペーションで音階を下がる場面(練習番号5から)。そもそもここに至るまでがアクセルとブレーキの急激な交替でしたが、大植はこのシンコペーションを一々強調するような動作でノロノロと進めていくのでした。
組曲版(恐らくロジンスキ編)では単に a tempo と書かれていますが、歌劇全曲のスコアにはシュトラウス自身が態々カッコ書きで in tempo と書かれている個所。作曲者の指示に敢えて逆らう様な演奏は、解釈という域を超えた行為ではないでしょうか。
録音で残されているシュトラウス自身の指揮は常にイン・テンポで、むしろ素っ気ないくらい。歌劇と組曲は別の作品、作曲家の手を離れれば解釈は演奏家の自由、という意見もありましょうが、私はこの立場は採れません。
後半のチャイコフスキーはいくらか大人しくなりましたが、それでもテンポは激しく揺れ、何処でギアが変わるのか予測が付きません。最後の盛り上げ方は如何にもショーマンシップ全開で、会場の拍手喝采も大変なものでした。
ここまでやるなら、一層のことメンゲルベルクがやったように最後でシンバルの一撃を加えたり、ストコフスキーがやったように第2楽章にハープを加えた方が良かった。派手な改作なら、居直り感も手伝ったでしょうに。
ときに指揮棒をポケットに突っ込んだり、それを手品のように取り出して見せたりする大植の指揮スタイル。演奏会に出掛ける直前にNHKが放送していた大阪の大衆演劇そっくりじゃありませんか。
彼のシュトラウスにしてもチャイコフスキーにしても、それは大作曲家の作品を聴くのではなく、大植の指揮を聴くための演奏会になっていました。
大阪のポストを離れた大植英次、果たして東京で新しいポストに就くことがあるのでしょうか。恐らく彼のスタイルは、例えばN響や読響では総スカンを喰らう恐れがありましょう。
兎にも角にも彼を受け入れた東フィルは、素晴らしいオーケストラ。彼の煽りにも正面から対峙し、金管ソロを初め見事なアンサンブルで盛り立てていました。オーケストラには大絶賛を贈りたい気持ちですが、指揮者にはもう少し長い目で見守る忍耐力が必要なようです。
それでも応援したくなるのが、大植の独特なキャラクターと言えましょう。
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