東京フィル・第812回定期演奏会
東京フィルハーモニー交響楽団の3月定期は、「日本の力」にスポットを当てた創立100周年シーズンを締め括るに相応しいプログラムです。私にとってはシーズンの白眉と期待されたコンサート、期待以上の成果を挙げた東フィルにエールを送りましょう。
もちろんこの企画は大震災以前から決まっていたものですが、「復興」という我が国の重大な目標を先取りするようなタイミングに置かれました。3月の指揮者には広上淳一と山田和樹とが招かれましたが、私が聴いたのは広上が振るサントリー定期、以下の選曲です。
黛敏郎/トーンプロレマス55
黛敏郎/饗宴
黛敏郎/BUGAKU
~休憩~
黛敏郎/涅槃交響曲
指揮/広上淳一
ミュージカル・ソー/サキタ ハヂメ
合唱/東京混声合唱団(合唱指揮/水戸博之、平林遼)
コンサートマスター/荒井英治
ズバリ、オール黛プログラムですね。プログラム誌には通常の曲目解説(担当の野本由紀夫氏は黛敏郎に管弦楽法を師事した方)の他に、作曲者の御子息で演出家・黛りんたろう氏の特別寄稿「父のこと」、日本人作曲の研究家・西耕一氏の「日本の西洋音楽史において“黛敏郎”が体現するもの」が掲載され、同じく西氏監修による年譜と作品表も纏められた永久保存版。
とても演奏会の開始前には読み切れる内容ではなく、帰宅してから改めて熟読。作曲家・黛敏郎に思いを致し、その人間について認識を新たにした次第です。
近年は黛作品が演奏される機会が少なくなっているようですが、私にとって氏の音楽は青春を共にし、一作一作を同時体験した貴重な記憶でもあります。今回東フィルが下した決定に深く感謝すべきでしょう。
更に当夜の演奏は、単なる記憶の呼び覚ましに留まらず、稀有な作曲家の現在でも尚斬新な音楽姿勢を表現したものとして、稀に見る名演奏だったことを喜ばしく思います。
手短に各作品の印象を綴っておきましょうか。
尚、この日取り上げられたのは全て作曲者20代の作品で、いわば初期の傑作たちであったことを報告しておきます。
冒頭のトーンプロレマス。私は作品名は知っていましたが、生演奏と録音とに限らず初めて体験したもの。黛26歳の1955年の作で、弦楽器を欠いた管と打楽器による編成。管楽器は3管編成を主体に5本のサクソフォンが加えられ、打楽器には鉄の鎖やサイレンまで加えられた膨大なものです。
更に特殊な楽器としてノコギリ、お化けが出現するようなヒューヒューという音を受け持つミュージック・ソーまで登場しました。
音楽は現在聴いても古さは感じさせません。黛が1年だけ留学したパリ、特にヴァレーズの影響があることは明らかな音楽。全体にエネルギーが横溢し、日本風な音色からジャズ風な乗りの良い部分も出現し、活き活きとした作曲者の青春が記録されているのでした。
コンサート1曲目からブラヴォの飛び交う熱い客席。
2曲目は「饗宴」、これは私にとって大変に懐かしい作品です。中学生の頃でしたか、当時のFM東海がニューヨーク・フィルのライヴ録音を集中的に放送していたことがあり、その中に若き小澤征爾が振った「饗宴」が含まれていました。
私はこれをオープンリールに録音して繰り返し聴いたものです。興味は高じて音楽の友社から出版されていたスコアをゲットし、読めもしない知識で譜面に没頭しながら小澤の録音に熱中していましたっけ。
因みに手元のスコアは「黛」の検定印が押され、価格は600円。もちろん当時の600円は今より遥かに価値がありましたが、今昔の感は免れません。小澤は昭和36年のニューヨーク・フィル初来日の際にもバーンスタインの合間を縫ってこの曲だけ振ったはずです。
今回のプログラムで、「饗宴」はバーンスタインの「ウエストサイド物語」のオーケストレーションに影響を与えたのかも知れない(岩城宏之説)ということを初めて知りました。
この日の演奏も、正に水を得た魚の如し。急速にレヴェルを上げている東フィルと、作品に対する愛情に溢れたダイナミックな広上のタクトは、恐らく私が昔体験した演奏レヴェルを大きく凌いでいたと思われます。
続けて演奏されたBUGAKU。これは黛作品の中でも特に好んで取り上げられてきたものでしょう。「左方の舞」と「右方の舞」からなる2楽章構成ですが、全体は通して演奏されます。
私は本来のバレエとしての上演は見たことがありませんが、演奏会形式の音楽だけは何度かナマで接した記憶があります。このスコアも神田の古書店でペータース版を見つけましたが、無名氏の書き込みがあって、カットする個所の指定も指示があるもの(今回はカットは無かったと思いますが)。同様に懐かしい一品ではあります。
対象年の作品ではないにも拘わらず(海外で初演されたため)、1967年の尾高賞を受賞した作品。私はN響によるその披露演奏で少なくとも二度はナマに接していました。
今回は、やはり広上の譜読みの深さに感銘を受けました。特に第2部の序破急の構成が聴き手に明確に伝わること、「急」に相当するアレグレット以降(練習番号41から)の決然たるリズム。ピッコロが再現するユレを含んだ旋律からコーダの「五常楽急」(ごじょうらくきゅう)が再現する下りなど、真にスリリングで聴き手を飽きさせません。
第1部、練習番号14からのホルンの妙技にも下を巻きます。
休憩を挟んで演奏された涅槃交響曲。初演者であるウィルヘルム・シュヒター指揮のN響のレコードで親しんできましたし、もちろん黛音楽の伝道者だった岩城宏之の度々の演奏でも楽しんできた大作です。数年前に読響(下野竜也)が取り上げた時には、スコアをチェックしながら演奏会に出掛けたものでした。
そのスコアには3つに分かれるオーケストラの配置方法について二つの案が示されていますが、サントリーでは第1・第3オケを客席(2階席)後方に配置するスタイルが採られていました。
同じ演目は前日に東京オペラシティコンサートホールでも演奏されていますが、ホールの形状から判断して前日は前者(左右の翼に置くスタイル)が採られたのではないかと想像します。(あくまでも憶測ですが)
私の席は1階中央ブロックのやや前方でしたから、音は前方と左右後方から恰も天空から降ってくるかの如く響き、正に作曲者が意図したように鐘の中に頭を突っ込んで聴いているような錯覚に陥ります。これは望外な体験で真にラッキーだったと言わざるを得ません。
改めて紹介するまでもなく、全6楽章が通して演奏されます。「カンパノロジー」として発表された試作に大幅に肉付けされたもので、鐘をイメージした奇数楽章と大乗仏教の経文に根差す偶数楽章が交互に出現し、最後は両者が一体となって大きなクライマックスが築かれる構造。
今回聴きながら感じたのは、鐘は作曲者の外面を示唆し、経文はその内面を暗示したものではないか、ということ。意識した、しないに拘わらず、涅槃交響曲は黛敏郎の自画像だ、というのが私の結論でした。
演奏には高度な集中力が必要とされる作品で、第2楽章「しゅうれんねんじんしゅう」は楽章毎に拍子が変化します。通常の3・4・6・8拍子に加えて5・7・9拍子から、10・11・12・14拍子などという多数拍も出現。
特に難しいと思われるのは第5楽章「カンパノロジーⅢ」で、7拍子を中心にアクセントはパート毎に複雑に絡み合います。茫然と聴いている当方は、鐘の乱打で頭が変になりそう。
しかし広上はそれらを基本に忠実、真に丁寧に指示を出して行くのが印象的でした。彼の破天荒な指揮を何かに譬えて揶揄する向きもありますが、広上ほど正確なビートで音楽の核心を表現する指揮者は他に無い、というのが私の意見。正にプロの仕事でしょう。
この日のために寄せたメッセージで、マエストロは今回の光栄ある登壇を「心を込めて努めます!」(with all my heart!) と締め括っていました。言葉に違わぬ大熱演。
合唱も見事でしたが、最後にカーテンコールで登場した合唱指揮者の一人、水戸博之くんは先日テレビで見た顔。NHKで放映された20分のドキュメント番組「マエストロの白熱教室」で東京音大の指揮科大学院生として発言していましたよね。
恐らく彼も広上教授の死刑台で絞られた一人なのでしょう。
オール黛プログラムは、8日にオペラシティーで演奏されたものが後日FMで放送される由。この日のサントリーホールにも大掛かりな収録マイクが下がっていましたから、演奏そのものは記録されたのでしょう。
貴重な機会だけに、いずれは全体をCD化して欲しいもの。完全ライヴの収録でも、繰り返しの再生に充分耐えうる堂々たる演奏レヴェルだったと断言できます。
日本の総力を結集した東フィルの創立100周年シーズンはこれで幕を下ろしますが、東フィルに限らず我が国のオーケストラにはこれを再スタートとして今後も日本のパワー、音楽力、人間力を発展し続けて行って欲しいと思います。
それをたとえ僅かでも支えていくこと、それが我々音楽ファンの使命でもありましょう。
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