日本フィル・第639回東京定期演奏会

昨日は東京で桜の満開宣言。漸く訪れた春の一日、桜の名所でもある赤坂のサントリーホールで日本フィルの4月定期を聴いてきました。以下のプログラム。

シベリウス/付随音楽「死(クオレマ)」
     ~休憩~
マーラー/交響曲第5番
 指揮/ピエタリ・インキネン
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口有香

そう、昨今の私には全曲通して聴くのが辛くなりつつあるマーラー。しかも第5交響曲はこの1年でも確か3度目、若い時ならいざ知らず、聊か出掛けるのも躊躇われる選曲です。
それならパスすりゃいいじゃないか、という声も聞かれそうですが、音楽好きは子供の頃から。定期会員としては見届ける、最後まで聴き続ける使命と言うものもあるでしょ。

ということでマーラーの場合は組み合わせが大切と思慮します。今回首席客演指揮者インキネンが「マーラー撰集」として選んでいるのはシベリウス。今回が3回目にして最終回ですが、このカップリングは願ってもないこと。マーラー以上の期待を抱いて定席に着きました。

シベリウスとマーラーという組み合わせ、改めて考えると実に興味をそそられるテーマじゃないでしょうか。
この二人は会ったことがありますね。マーラーが未だウィーン宮廷歌劇場の監督だった時代、1907年にヘルシンキを訪問した際にシベリウスと会話したことがあるそうです。
話題は「交響曲」に及び、二人の見解は全く対立、シベリウスが様式と形式の重要さを指摘したのに対し、マーラーは全てを包括する宇宙性を強調した由。この対比にもこの夜の大きな聴き所が潜んでいると覚悟すべきでしょう。

プログラムを開くと短いお知らせ。前半の演奏曲順が指揮者の意向により変更されるとのこと。事前に印刷されていたのは、1.「悲しきワルツ」 2.「鶴のいる風景」 3.「カンツォネッタ」 4.「ロマンティックなワルツ」でしたが、カンツォネッタ→ロマンティックなワルツ→鶴のいる風景→悲しきワルツ の順に変わります。
ま、これは自然な流れでしょう。そもそも「クオレマ」は初稿と改訂稿があるそうで、カンツォネッタとロマンティックなワルツは改訂稿で追加された経緯があります。また「クオレマ」のために書かれた全ての音楽がセットとして組まれているものでもなさそうですし、「鶴」と「悲しき」は作品44、追加の2曲は作品62という番号が付与されていますしね。
曲順に意味が無い以上、最も有名な「悲しき」を最後に演奏するのは自然の理に適ったものと言えましょう。

それにしても何と美しい音楽であることか。日本フィルは以前に「鶴」をオッコ・カムと演奏したことがありますが、これはそれ以来。4曲を通して聴く機会は私には初めてでしたし、この定期はこれを聴くだけでも大きな価値があったと考えます。
折角なので簡単に触れると、最初の2曲のスコアは市販されていません。ブライトコプフの貸譜ですから見たことはありませんが、カンツォネッタは弦楽合奏曲。弱音器をつけた合奏で始まる物悲しいワルツは、まるで夢の世界。一遍にシベリウス・ワールドに惹き込まれます。
続くロマンティックなワルツは、弦にフルート、クラリネット、ホルンが2本づつ加わり、シベリウスのトレードマークのようにティンパニが弱音トレモロで短く参加する編成。4曲の中では唯一明るい印象の一品で、曇天に僅かに射す陽の光という淡い趣が添えられます。

余談ですが、事前にいろいろ調べていたら、カンツォネッタ作品62-a にはストラヴィンスキーが1963年に編曲した版もあるそうです。クラリネット2本(1本はバス・クラ持ち替え)、ホルン4、ハープ、コントラバスという風変わりな編成。もちろん今回はシベリウスのオリジナルが演奏されましたが、ストラヴィンスキー編曲も一度聴いてみたいもの。

閑話休題。さて聴きモノは「鶴のいる風景」でしょう。これはフェイザーからスコアが出ていて、私も前出のカムとのコンサートに際してゲットした記憶があります。密やかな弦合奏に微かなティンパニとクラリネットが2本加わるもの。そのクラリネットが鶴の鳴き声を模倣、3度鳴きを二度繰り返します。直後、弦の fp によるトレモロは鶴の飛翔でしょうか。再び静けさが戻り、ヴァイオリンとチェロのソロが風景の寂しさを現出するのでした。
最後はアンコールでも度々聴かれる悲しきワルツ。インキネンは、この佳曲を透明に、且つ不思議な暖かさを湛えながら音にして行きます。日フィルの美しい弦楽合奏に涙。

もうこれで帰っていいほど満足しましたが、後半もどんな演奏になるのか確認しておきましょう。

冒頭のトランペット・ソロ。今や日フィルの看板にもなったオットー君(オッタビアーノ・クリストーフォリ)の見事なソロに降参します。最近では日本人奏者にも達者なプレイヤーが増えてきましたが、トランペットという楽器、日本人には超えられない一線があるように思います。
この一年、他のオケでも名人芸に接してきましたが、オットーはやはり抜けた存在でしょう。マーラーは煩くて・・・などと文句を言っている私でも、このソロには鳥肌が立ちました。これで私は「負け」です。
オットーの張りのある、暗い諧調の中にも明るさを秘めた音色を聴いていて、このファンファーレは全曲最後の勝利のクライマックスを暗示しているのでは、と思い付いたほど。

インキネンのマーラーは、かつての同フィルの音楽監督のそれとは対極にあるもの。シツコさや情念の塊のような音楽とは無縁で、真にスタイリッシュ。それでいて聴き手を熱くして行く独特なパッションにも事欠きません。
第4楽章のコーダへ向けてのテンポの落とし具合と、最後の pppp の消え入り方の絶妙な呼吸。フィナーレの快速と、一気呵成の追い上げ。
これだけの豪快なマーラーを繰り広げながら、オーケストラは清澄感を維持し、音楽的に寸分も崩れない。インキネンが弦楽器出身ということも大きく作用しているのではないでしょうか。

私はインキネンを未だ「巨匠」とまでは言いません。しかし彼が順調にキャリアを積み、苦労を重ねていけば、真の巨匠と呼ばれる存在に駆け上がっていくことは間違いないと思われます。月並みですが、「持っている」指揮者ということでしょうか。
私がこの世からおさらばした頃には、“エッ、インキネンが日本フィルを振っていたの!” と羨ましがられる時代になるでしょう。今のインキネンをナマで聴ける機会を大事にしようではありませんか。特に来シーズンのシベリウス交響曲全曲ツィクルスを聴き逃すべきじゃありませんネ。

ところで今回のマーラーはCD化を目的に録音されていました。優れた指揮者は、録音された演奏のバランスにも細かく配慮しているもの。どんな演奏に仕上がっているかも楽しみです。

で、最後にシベリウスかマーラーか。言うまでもなく、私はシベリウスに軍配を上げましょう。それが結論。

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1件の返信

  1. まとめteみた.【日本フィル・第639回東京定期演奏会】

    昨日は東京で桜の満開宣言。漸く訪れた春の一日、桜の名所でもある赤坂のサントリーホールで日本フィルトマスター/扇谷泰朋フォアシュピーラー/江口有香そう、昨今の私には全曲通…

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