読売日響・第514回定期演奏会
読響の新シーズンがスタートしました。以前は定期演奏会とサントリー名曲シリーズの会員でしたが、今は定期演奏会の会員だけ。
チケットの売れ行き好調(団の発表では)な読響だけに単券で聴いても余り良い席は手に入りません。どうしても会員になっているコンサートしか聴かなくなり、年間を通して読響を聴く回数は減ってきた今日この頃です。
ということで4月定期を聴いてきました。常任指揮者カンブルラン登場、プログラムは以下のもの。
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー/バレエ音楽「おもちゃ箱」
~休憩~
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
指揮/シルヴァン・カンブルラン
コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
フォアシュピーラー/鈴木理恵子
本題に入る前に読響2012-2013シーズンの陣容を眺めます。自分が聴くことになる定期演奏会のラインナップだけですが、年間11回の内、常任カンブルランは恒例の通り3回、正指揮者下野が2回を受け持ちます。
残り6回も同オケの肩書を持つ指揮者の登場がほとんどで、桂冠名誉指揮者スクロヴァチェフスキ、桂冠指揮者アルブレヒト、名誉指揮者ブルゴス、名誉客演指揮者尾高が各1回づつで、純粋な客演はセゲルスタムと広上だけ。セゲルスタムも定期的に客演している指揮者ですから、新鮮な顔ぶれは広上だけ、ということになりますな。
読響は他のオーケストラと比べても肩書が付与された指揮者が多いように感じます。ビジネスの世界で言う「囲い込み」的な感覚かもしれませんが、4番打者をズラリと揃えるところなど、親会社が所有する野球チームを連想させるではありませんか。もう少し別の角度からの人選も期待したいと感じました。
曲目にも驚いてしまいます。特に12月から3月までの4か月間はブルックナーとマーラーの長大な交響曲のオンパレード。確かに読響が重量オケであることは認めますが、何も連続してビフテキばかり並べるのは如何なものでしょう。
読響に限らず近年は各オケともブルックナーやマーラーばかり取り上げたがる傾向があるようですが、これによって犠牲になったかつての名曲の余りに多いことを嘆かざるを得ません。何もカンブルヤンや下野までブルックナーやマーラーを振ることはなかろう、と個人的には思います。
そのカンブルランと下野、共に現在の契約は2013年3月に切れるそうですが、カンブルランは2016年3月まで3年間延長、下野は来年4月から首席客演指揮者という肩書に変わるようです。正指揮者のタイトルは誰になるか未定とのことですが、これ以上4番打者を揃える必要もなかろう、というのが私の感想。
(おっと、小林研一郎が特別客演指揮者という肩書を戴いたのも最近のことでしたね。エッ、何で! とわが目を疑ってしまう人事でした)
前置きが長くなりましたが、4月は契約を3年延長したカンブルラン常任が得意のプログラムを振ります。このあと10月には委嘱作品を含む現代プロ、来年3月はマーラーが予定されており、これまでのような3回通しテーマは設けられていないようです。
今回は≪ドビュッシー生誕150年≫という副題も付けられていますが、読響として特にドビュッシーを意識したシーズンと言うわけではなさそう。これだけでドビュッシーはお仕舞、というのも寂しい限り。
それでも今回は「おもちゃ箱」が聴けたのは大きな収穫でした。私は恐らくナマでは初体験だと思いますが、もっと頻繁に取り上げられて良い作品。これを聴き逃す手はないでしょう。しかもカンブルランですから・・・。
さて常任指揮者として3シーズン目に入ったカンブルラン、漸く彼の意図する所がオケにも浸透してきた、と感じられるコンサートでした。最近の読響定期では出色の出来だったと思います。
先ず冒頭の「牧神」からして素晴らしい演奏。読響は重戦車のようなパワーに頼って力任せに弾く、吹くという印象がありましたが、この牧神は繊細そのもの。細かなニュアンスを大切にして、響きの透明感を獲得していました。
かつて客演したチェリビダッケが求めた、“君たちにはベルリン・フィルのようなフォルテは出せない。だから彼らにも負けないようなピアノで勝負しよう”という発言に反発したオケからは想像もできない変身ぶりです。読響からこんなに美しく艶やかな pp が聴けるとは。カンブルランの功績でしょう。
そして当夜の白眉、おもちゃ箱。何よりメインのペトルーシュカと並べたところにカンブルランの慧眼を見る思いでした。
私も色々予習するまで気が付かなかったのですが、「おもちゃ箱」も「ペトルーシュカ」も人形を主人公にしたバレエ作品。どちらも4部構成を持ち、民謡や他の作曲家からの借用があることでも共通しています。作曲時期も近接(おもちゃ箱と春の祭典は同じ年!)していますし、ドビュッシーとストラヴィンスキーは親交もあり、互いに尊敬しあう間柄でもありました。
何故今まで両曲の共通点に思いが至らなかったのでしょう、どうして2曲を並べる試みに着目しなかったのでしょう。先ずこの点でカンブルランに感謝ですね。
残念なのはオケ側(事務局)からアピールがなかったこと。3月から演奏の前に「今日の聴き所」という催しがスタートしたようですが、参加した家内の話では解説は10分ほど、内容はペトルーシュカのことだけで、両曲の接点やプログラミングの意図についての説明は無かった由。厚手のプログラム誌もこの点は触れられていませんでした。
その「おもちゃ箱」は、子供好きなドビュッシーがその晩年に絵本に基づくバレエに作曲したものですが、1913年にピアノ版を完成。オーケストレーションに取り掛かったものの最初の7ページしか完成出来ずに死を迎えます。没後にアンドレ・カプレがドビュッシーの指示に基づいてオーケストレーションを完成させ、1919年の初演に漕ぎ着けた経緯があります。
従って「子供の領分」などと違い、作曲者自身がオーケストラ作品として構想してきたもの。準オリジナル作品として、もっと「真面目に」演奏されるべき音楽だと思慮します。スコアには細かいストーリーも書かれているのですね。
カンブルランは弦の数を減らし(数えたわけではありませんが、多分12型だったと思います)、徹底的に作品のニュアンスと透明感に拘っていたと思われます。
彼は第1部と第2部の間、第2部と第3部にあるパウゼを省略、全曲を通して演奏する形を取っていました。
その拘りは、例えば第2部の冒頭、ここはフルートとファゴットのソロに倍音を伴ったヴァイオリンと弱音器を付けたヴィオラがユニゾンでテーマを奏するのですが、カンブルランの要求したバランスは絶妙なもの。これまで何処でも聴いたことが無いような音世界を現出していたのに驚きます。
また第3部に出るメンデルスゾーンの「結婚行進曲」のパクリ。ここも無造作に弾くのではなく、スコアに書かれた pp 、ディミニュエンド、p のテヌートなどを指示通りに演奏。マエストロの拘りが良く出ていると思いました。
チェレスタやハープ、ピアノといった音量が決して大きいとは言えない楽器の音色がチャンと聴こえていたのも、カンブルランの配慮が行き届いていた証拠。
最後は誰でも知っているペトルーシュカ。今回は残念ながら1947年版による演奏でした。原典版によるか改訂版によるかは色々問題があるようで、レコード録音でも指揮者によって折衷するケースも多いようです。
細かい所は二種類のスコアを見比べながら聴かなければ判らない作品ですが、私が気が付いたのは一点。ピアノが活躍する「ロシア舞曲」の最後の7小節、カンブルランは音量を一旦 p に落とした後、三段階で音量を上げて最後の fff に至るという解釈を採っていました。
この日演奏された1947年版では、ここは最後の3小節でクレッシェンドするように書かれていますが、マエストロはもっと前から段階的なギア・アップをしていたのです。実は原典版(1911年版)は最後の7小節全体にクレッシェンドとアッチェレランドの指示があり、カンブルランはこれを取り入れたのだろうと思われます。
斯様にカンブルランは楽譜を綿密に読み込み、臨機応変且つ忠実に作曲者の意図に迫ろうとするタイプの指揮者と聴きました。3年目を迎えて、その意図は徐々にオーケストラに浸透しつつある様子。
延長された3年間、彼の得意とするジャンルに思い切ったプログラム編成を期待したいと思います。
まとめteみた.【読売日響・第514回定期演奏会】
読響の新シーズンがスタートしました。以前は定期演奏会とサントリー名曲シリーズの会員でしたが、今はどうしても会員になっているコンサートしか聴かなくなり、年間を通して読響を…