読売日響・第519回定期演奏会
昨日はこういうものを聴いてきました、という報告だけです。
ツェンダー/般若心経~バリトンとオーケストラのための~(読響創立50周年記念委嘱作、世界初演)
~休憩~
細川俊夫/ヒロシマ・声なき声~独唱者、朗読、合唱、テープ、オーケストラのための~
指揮/シルヴァン・カンブルラン
バリトン(ツェンダー)/大久保光哉
アルト(細川)/藤井美雪
朗読(細川)/明野響香(あけの・きょうこ)、トーマス・クラーク、谷口優人(たにぐち・ひろと)
合唱(細川)/ひろしまオペラルネッサンス合唱団(合唱指揮/もりてつや)
コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
フォアシュピーラー/小森谷巧
読響は今年創立50年。前半のハンス・ツェンダーはその委嘱作で、作曲者と親しいカンブルランの委嘱なんでしょう。ホールに入ると何人かが白髪の紳士を囲んでサインを強請ったり、写真を撮ったりの光景。輪の中心はもちろん75歳になるツェンダー翁でした。
今回世界初演された委嘱作は、①ヴァイオリンが使われない ②使用される2台のピアノのうち片方は4分の1音低くチューニングされている ことが特徴で、なるほど2台ピアノが同時にならされる和音(?)は新鮮な響きがしました。従って、表記したコンマスとその裏は細川作品のみで、ヴィオラ主席の鈴木康浩がコンマス的役割を果たします。
題名の通り「般若心経」の経文をバリトンが歌っていくもので5部構成、全体は15分ほど。
実は般若心経そのものを先日唱えてきたばかりなので、文言は馴染のもの。しかし仏教の朗誦とは全く異なる音程には違和感も覚えました。音楽として聴けば面白いのでしょうが、どうも私にはピンと来ません。
ツェンダーは以前に「無字の経」を聴いたことがあり、スコアも手元にありますが、どうも私の感性からは最も遠い存在のようです。
先日定期で演奏されたライマンにしても、今朝訃報が届いたヘンツェにしても、人気作曲家リームにしても、どうも現代ドイツの作曲家は苦手ですね。
同様に苦手なのが、ドイツ人ではないものの細川作品。彼も何度かナマで接したり放送で聴くことも多いのですが、共感したことはありません。今回の大作も同じ。
読響は原爆から生まれた作品の紹介に熱心で、3年ほど前にシュニトケの長崎を演りましたし、去年もアダムスと団作品だけというプログラムもありましたね。
こういう企画は玄人受けするようで、客席は多数の批評家、いつもとは違う現代音楽ヲタクと思しき聴き手で溢れていました。
演奏に1時間以上を要する大作で、2階客席左右に別働隊も置かれます。朗読、合唱、アルトが何を歌っているのか、日本語なのかドイツ語なのかも聴き取れません。それは問題ではないのでしょう。
帰宅してからプログラムを改めて見ると、芭蕉の俳句が2点歌われたようです。演奏前の時間も少なく、とてもプログラム全体に目を通す余裕はありませんでした。
こういう作品の場合、アルブレヒト時代のようにプレトークを設けるなどの配慮があってもよいのではないでしょうか。
長さもあってか、私には退屈と感じられる時間も。
終演後、舞台に呼び出された細川への喝采も凄いもので、演奏者への拍手は終わりそうもありません。
でも・・・、と考えてしまうのです。この作品は極めて暗く、メッセージ性も強いもの。少なくとも私は演奏後に拍手をする気にはなりませんでした。以前にアダムスの「ドクター・アトミック」をメット・ライヴで見ましたが、あの時と同じ。盛大な喝采で迎えるニューヨークの聴衆に違和感を覚えたものです。
恐らく大好評の裡に終えた公演なのでしょうが、「声なき声」という題名とは程遠い反応に首を傾げたくなりました。
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