日本フィル・第645回東京定期演奏会

日本フィルの11月東京定期は、この9月に始まった新シーズンから同団の正指揮者に就任した山田和樹の指揮。正指揮者就任披露演奏会と銘打たれたコンサートをサントリーホールで聴いてきました。
プログラムはそれに相応しく実に興味深いもの。山田和樹ファンでなくても聴いてみたい衝動に駆られる以下のものでした。

日本フィルが「正指揮者」を置くのは今回が初めてではなく、私が知っている限りでは大友直人、広上淳一、沼尻竜典に続く4代目ではないでしょうか。
前任者たちは皆、現在は他のオーケストラ重要なポストに就いていますが、日本フィルが育てたマエストロたち。オーケストラには次代を担う指揮者を育てるという使命がありますが、日本のオケでこれを最も誠実に実行しているのが日本フィルでしょう。
その意味でも、山田の3年契約には大いに期待が寄せられているのです。

野平一郎/グリーティング・プレリュード
ガーシュウィン/ピアノ協奏曲ヘ調
     ~休憩~
ヴァレーズ/チューニング・アップ
ムソルグスキー(ストコフスキー編曲)/組曲「展覧会の絵」
 指揮/山田和樹
 ピアノ/パスカル・ロジェ
 コンサートマスター/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也

ホールに入ると、先ずロビーに大きなフラワー・スタンドが置かれています。見ると山田の師匠筋に当たる小林研一郎からの祝福の挨拶。華やかさと同時に、山田にとってはプレッシャーにもなりそうなプレゼントでしょう。
いつもは土曜定期でのみ開催されるプレトーク、今回は金曜日にも行われる由で、山田自身がマイクを持って登場しました。最初に挨拶の向上を述べたところで客席から声が掛かります。歌舞伎なら“なりたやぁ~!”とでもいった趣でしょうか。彼に対する期待と人気の高さが窺われます。
実際、今回は金曜日にも拘らず客席もかなり埋まっており、私などが想像する以上にこの若手に対する応援度が高いことが見てとれましたね。

プレトークは二日間同じことを喋るのではないそうで、土曜日は別の内容、と自信が語っていました。聞きたい方は二日間とも通うように、とのことでしょう。若いに似合わず営業センスもなかなかのもの。
金曜日のテーマは、主に今回のプログラミングについてでした。

それによれば、先ず決まっていたのはガーシュウィン。それはそうでしょう、ロジェの希望での演目ですから。山田はこの作品から思考をスタートさせ、全体をアメリカに纏めます。
もちろん日フィルは首席ラザレフ、首席客演インキネン、桂冠に小林という布陣ですから、彼らのレパートリーを避けてのプログラミングというのも選考条件ではありますが。

エドガー・ヴァレーズはフランスの作曲家ですが、活躍の舞台はアメリカ。彼の地で実験的な活動を行い、死後にその評価が高まった作曲家です。そのヴァレーズを積極的に紹介し、言わばヴァレーズのチャンピオン的存在だったのがレオポルド・ストコフスキー。山田はストコフスキーの音楽感に共感しているそうな。そのストコフスキー、初来日は日本フィルとの共演でした。
冒頭の野平はアメリカと特別な関係があるわけではありませんが、作品の中に仕掛けが施されているという点でヴァレーズと共通する要素があります。前半と後半が相似形を成しているところなど、山田の熟慮とセンスが光る選曲と言えるでしょう。

その野平作品は、既に山田がセントラル愛知響の定期で取り上げています(2011年9月2日)。弦楽器だけの11分ほどの作品で、隠れテーマが誰でも知っている「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」(聴く前に読む人にはネタばれになりますが、構わないでしょう)。
これが最初から出るのではなく、普通とは逆に分解された要素からスタートして、最後に主題に辿り着く仕掛け。これは野平がベリオの「オー・キング」に倣ったとか。ベリオ以前にも、日フィルとは縁の深いシベリウスが、第4交響曲の第3楽章でも使っていましたっけ。
一番最後にコンサートマスターが堂々と主題を奏でますが、その直前、ヴィオラの第4プルト(この曲はヴィオラは4プルト使用)の表(新井豊治)が微かなトレモロで、裏(菊田秋一)が主題を縁取るようにピチカートを添えるのを聴き落とさないように。全体に主題の断片はピチカートで出ることが多く、ここに気を付けていれば作品のユーモアに笑えるはずです。

続くガーシュウィンはロジェのピアニズムに聴き惚れました。その音色の多彩なこと、正直名な話、こんなピアノを聴かせる人は日本人にはいないでしょう。正にDNAが違うという感じ。
それにしてもガーシュウィンは天才だ、と改めて感服します。イディオムはもちろんジャッジ―ですが、三つの楽章の全てが管弦楽だけによる大きな前奏を経て、際立つ様なソロが登場する。これ、クラシックの協奏曲の王道でしょう。ジャズ風でありながら、中身は堂々たるクラシック。そのバランス感覚こそ、天才の仕事でなくて何でしょうか。

第2楽章のトランペット・ソロ、私の席からは奏者の姿が見えず確認は出来ませんでしたが、楽譜には「with felt crown」と書かれていて、帽子を弱音器として使います。実際に他の機会に見たことがありますが、今回はどうだったのでしょう。見られた方に聞いたところでは、帽子を使ったり、袋をか被せたりと、場面によって使い分けていたようです。これから聴かれる方はオットーの妙技に注目。

ところで後で気が付いたことですが、ガーシュウィンのピアノ協奏曲は日本フィルの第1回定期演奏会(1957年4月4日、日比谷公会堂)でも演奏されたもの。
山田はプレトークではこのことに触れていませんでしたから、恐らく意識していなかったと思われます。それでも偶然がこのような奇遇を招くあたり、この指揮者が本質的に何かを「持っている」と感ずるのは私だけではないでしょう。

ロジェのアンコールはサティのグノシェンヌ第2番。余り聴く機会のない作品ですが、夢のような時間が静かにサントリーホールに漂いました。
私の予想では、土曜日二日目は別の曲をアンコールするのじゃないでしょうか。出来れば二日目も聴きたい!

後半の開始はヴァレーズのチューニング・アップ。タイトルの通り、オケのチューニングの様子をそのまま音楽に創り上げた5分ほどの短いエッセイです。ですから楽員と一緒に指揮者も登場し、オーボエが立ち上がってAの音を発して開始。直ぐにコンサートマスターがパガニーニ(無伴奏カプリスの第9番)をさらいます。
以下、何処かで聴いたような断片が鏤められ、サイレンが唸る。サイレンこそヴァレーズのトレードマークで、彼自身の「アルカナ」が出たような出ないような。オーボエがベートーヴェンの第7交響曲第1楽章のテーマを吹いたかな、と思う間もなく全オーケストラのユニゾンがAを怒涛のように盛り上げて幕。
エッ、ヴァレーズにこんな曲があったの? という印象でしたが、本来は音楽映画「カーネギー・ホール」のために書かれたもの。実際には使われずに埋没していたものを、例によって弟子の周文中が補筆完成したものだそうです。使われていれば、指揮したのはストコフスキーだったはず。ここにも山田の仕掛けた謎掛けがあったのです。

更に言えば、これを完成させた周文中の作品「花落知多少」を日本初演したのも日本フィル。無意識の繋がりがここにも隠されていました。

最後はストコフスキー版の展覧会の絵。私は初めて聴きましたが、編成は4管とラヴェルを更に上回るもの。プログラムにも書かれているように、ストコフスキーの出自はオルガニストですから、その編曲もオルガン風な厚みを感じさせるものです。
ラヴェルが管楽器、特に金管に重要な役割を与えているのに対し、ストコフスキーは弦と木管が主役。木管の音色変化は、オルガンのストップを連想させます。
この版では第3曲「チュイルリー」と第7曲「リモージュ」はカットされ、従って演奏時間も若干短くなります。それでも時々ラヴェルと同じ発想が出てくるのは、ムソルグスキーのピアノ原曲から編曲したというより、ラヴェル版組曲を基にストコフスキーがアレンジしたという印象でしょう。好き嫌いはハッキリ別れそうですが、新鮮であることは間違いありませんね。

終演後の拍手喝采もいつも以上。今や全国のオケから引っ張り蛸の山田和樹、ここ暫くは「下野ばっかり」状態が続いてきましたが、これからは「山田ばっかり」になるかもね。
オッと、二人ともブザンソンの覇者でしたっけ。

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