東京フィル・第828回定期演奏会

昨日はサントリーホールで東フィルの定期を堪能してきました。2012-13シーズンの最後を飾るサントリー定期。なお、同じプログラムは翌14日にも東京オペラシティホールでも繰り返されます。

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番
     ~休憩~
ラフマニノフ/交響曲第2番
 指揮/ミハイル・プレトニョフ
 ピアノ/小川典子
 コンサートマスター/荒井英治

私が指揮者プレトニョフに接するのは初めて。東フィルには2003年7月以来定期的に客演しているということですから、これまで聴かなかったのは私の怠慢でしょう。
今回は、その失地を回復するに十分な素晴らしい体験をさせて貰いました。

プレトニョフと言えばピアニストとして著名で、私も以前にベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートでソロを務めたラフマニノフ/パガニーニ狂詩曲を繰り返し見て聴いて楽しんだものです。
一切力むことなく、楽々と難しいパッセージをクリアーして行くテクニック。その姿勢は指揮者としても同じようで、汗一つ搔かずにオーケストラから最大限の力を惹き出して行く様は、この人天性の資質なのでしょう。

絶好調の東フィル、今回は荒井コンマスの隣に三浦コンマスも座って、いつも以上の気合が感じられます。
弦の配置はいわゆる対抗配置。プレトニョフは自らロシア・ナショナル管を設立しており、ロシア伝統の配置を順守しているものと思われました。

全体に低音を重視していることが聴き取れ、下手に並んだコントラバスの存在感ある響きは、失礼ながら同じオケかと耳を疑うほど。これに東フィル本来の明るい響きが加わって、これまで聴いたことの無いような深みのあるオーケストラに変身していました。
指揮者自身は音を出しませんが、タクトを取る人によって明らかにオーケストラの音は変わる。今回もそれを実感したコンサートです。これからもプレトニョフの東フィル客演を続けて欲しいもの、出来れば定期的に客演するポストに就任してもらいたいと思った次第。

今回の選曲は、プログラムの紹介によれば企画は楽団側で立て、具体的な選曲はマエストロに委ねたとか。定期のラフマニノフ・プログラムは、作品としては超有名曲を並べた陳腐なものながら、プレトニョフとしては勝負曲と言えましょう。
録音のことは不案内ですが、ロシア・ナショナル管とのDGデビューがラフマニノフの第2交響曲だった由。彼の指揮活動の原点に戻る意義深い公演として期待されます。
(個人的には同コンビがヴァージン・クラシックに録れたチャイコフスキー/悲愴他のCDを所持していますが、こちらの方が古かったような記憶があります)

前半のピアノ協奏曲は、得意にしている小川典子のソロ。彼女を聴くのは久しぶりですが、相変わらずパワフルで堂々たるラフマニノフを聴かせます。
恐らくプレトニョフのテンポなのでしょうが、特に第1楽章の歩みがゆったりしており、小川の一音一音を些かも揺るがせにしないテクニックによってスコアが目に浮かぶほど。彼女で聴くと、改めてピアノが鋼鉄の塊であることに気が付きます。

協奏曲では14型の弦合奏でしたが、オケの重低音が充実。第3楽章のメノ・モッソ、ピアノが3連音符で下降するラインを支える低弦+チューバの保持音がしっかりと聴き取れるのが印象的でした。

黒の衣裳で堂々とラフマニノフ最大の名曲を弾き終えた小川に、プレトニョフがヂェスチャーで“アンコールやらないの?”との合図。“いえいえ”と笑顔で答えた小川はアンコールなし。プレトニョフはその風貌からは想像出来ない、案外お茶目な側面があるのかも。生身の人間に接してみたいと思わせる瞬間でした。
そもそもこの選曲、このテンポでのアンコールは必要ないでしょう。それほどに満腹感一杯の前半でした。

さて後半は第2交響曲。この所ナマでも聴く機会の多い大曲で、私の「聴くレパートリー」としても完全に定着した傑作。初めて体験した時の退屈感はすっかり影を潜めてしまいました。
今回のプレトニョフは起伏を極めて大きく設定した解釈で、基本的には遅めのテンポながら、速い部分では一気に加速して行くダイナミックな演奏。その緩急自在なスタイルにフルトヴェングラー的なものを感じます。

上記DG盤(私は未聴)では第1楽章提示部の反復は省略しているそうですが、今回も繰り返しはカットされました。また有名な第1楽章最後の重い和音、プレトニョフはティンパニの一撃を加えます。

実は出掛ける前にネットでDG盤のレヴューを参照したのですが、評価は余り芳しくないもの。ラフマニノフにしてはアッサリし過ぎて情感に乏しいとの意見が目立ちます。
実際に聴いてみた感想は、これとは全く逆。例えば第1楽章の序奏部などは慎重過ぎるほど遅いテンポ、じっくりと練り上げたアーティキュレーションで開始し、登場する3つの重要な動機を聴き手に印象付けます。

第2楽章主部の中間部、クラリネットの導線に入ると(又してもメノ・モッソ!)急激に速度を落とし、情感豊かにビッグ・チューンが奏でられるという具合。
第3楽章も真に大きな旋律線、この楽章ではラフマニノフというよりマーラーに近いようなコッテリ感がホールに満たされます。それでいて執こくならないのがプレトニョフの世代性でしょうか。

終楽章の嵐にしても、練習番号59辺りから始まる管楽器の主題が、実は第2楽章中間部に金管で出るコラール風楽句(練習番号35の12小節)の変形であることも、プレトニョフの扱いから明瞭に見えてくるのでした。

演奏後のカーテンコールに応えるマエストロも、何やらコンマス二人とにこやかに会話。両者の親密な関係を窺わせていました。

それにしても録音に対する評価との違いは何なのでしょう。やはり音楽はナマで聴かなければ真価は判らないということでもありましょうし、プレトニョフ自身の進化と深化に因るのかもしれません。
ネット上の風評などで先入観を持つこと、これほど危険なものは無いのじゃないでしょうか。自らも含め、断定的なことを言うのは控えたいと思います。

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