読売日響・第528回定期演奏会
読響の7月定期はヒュー・ウルフ登場、プログラムはショスタコーヴィチ讃と呼べるようなもので、以下の3曲が並びます。
ムソルグスキー=ショスタコーヴィチ/歌劇「ホヴァンシチナ」~前奏曲「モスクワ河の夜明け」
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第2番
~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
指揮/ヒュー・ウルフ
ヴァイオリン/ジュリアン・ラクリン
コンサートマスター/日下紗矢子
コンサートマスターの日下は確か今シーズンから読響のコンマスの一人に就任したはずですが、定期演奏会を受持つのは今回が初めてだと思います。
メンバーが登場して、オヤッと思ったのは、弦の各パートの1番プルトがいつものメンバーとは異なること。ゲスト・プレイヤーがトップに座ることは各オーケストラでも珍しいことではありませんが、今回のようにほとんど全員が知らない顔(もちろん私にとって)というのは珍事に属することかと思います。
そう言えば、協奏曲でホルンを吹いた1番奏者もプログラム誌のメンバーとしては紹介されていない方。正規団員には申し訳ないけれど、いつもよりずっと巧く感じましたっけ。
指揮者のヒュー・ウルフは、読響では定期的に登場するアメリカの指揮者。今回は定期の他にベートーヴェン・プロ、アメリカ・プロも振っていました。私もベートーヴェンの第9を聴いた覚えがありますが、全集を録音している指揮者としては表現が余り深くなかったような印象を持っています。
一方でウルフのショスタコーヴィチは以前に第11番に接したことがあり、その時はオケを良く鳴らす手腕に感心。それは読響との初共演だったはずで、“繰り返し呼ばれる指揮者だろう”と予言したことが的中したようですね。
今回も、全体を通して印象に変りはありません。ショスタコーヴィチのパワフルなオケ・サウンドを楽しみたい聴き手を裏切ることはありません。
ただ、前回も感じたように演奏に深みが不足するのも事実。うん、凄かったねェ。でも、それで何が言いたかったの? という感想に落ち着いてしまいます。当方の身勝手? 欲が深すぎ?
前の日にヴァスケスという才能に接しただけに、ウルフにはチョッと不運だったかも。
冒頭の前奏曲は定番のリムスキー=コルサコフ版ではなく、ショスタコーヴィチがオーケストレーションし直したもの。音楽の流れは同じですが、出てくる響きはよりロシア的な暗さを感じさせるアレンジです。
2曲目の協奏曲は、有名な1番ではなく演奏機会の少ない2番の方。と言いながら、去年の今頃、横浜で三浦文彰のソロで聴いたばかり。三浦は確か暗譜で弾いていましたが、今回のラクリンは譜面を前に置いての演奏でした。
アンコールは、いつもヴァイオリン・ソロのアンコールはバッハの無伴奏ということになりますが、この日も2番のパルティータからサラバンド。
メインの5番は、かつては「革命」のタイトルで聴き手を集めてきた定番。実は革命でも何でもなく、ショスタコーヴィチの極めて個人的な痴情関係が隠されているということ、今回の解説では全く触れられていませんでしたが、それを知ってからは聴くのにやや辛い思いがします。
演奏が真面目であればあるほど、当方の耳は皮肉の苦笑を浮かべるのでした。不幸な将来を背負った名曲と言えるでしょうか。
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