フェスタ サマーミューザ2013

7月28日の日曜日から川崎のフェスタ・サマーミューザが始まっています。あの大震災で本拠地ミューザ川崎シンフォニーホールが長期間閉鎖されていましたが、今年4月に再起動。今年が復活初年度でもあります。
休館中の2年間もフェスタそのものは継続され、昭和音楽大学のホールなどで代替公演が行われてきました。今年はそうした施設での演奏会も継続されるということで、これまで以上にスペースが広がったフェストになっているのが特徴でしょう。

ミューザでの主な公演予定を纏めておくと、
7月28日 東京交響楽団によるオープニング スダーン指揮でグリーグ・プログラム
7月29日 新日本フィル アルミンク指揮でイタリア関連プログラム
7月30日 読売日響 小林研一郎指揮でチャイコフスキー・プログラム
7月31日 洗足学園音楽大学 秋山和慶指揮で旧き佳きアメリカ
8月1日 神奈川フィル 金聖響指揮でマーラー巨人
8月3日 N響 山下一史指揮で踊りの音楽
8月4日 東京都響 小泉和裕指揮でブラームス第4他
8月6日 東フィル エッティンガー指揮でヴェルディ&ワーグナー200年祭
8月7日 東京シティ・フィル 宮本文昭指揮でベートーヴェンのエロイカ
8月8日 日フィル インキネン指揮でベルリオーズ幻想
8月9日 ジャズ公演
8月10日 昭和音楽大学 ボブ佐久間指揮でポップス
8月11日 東京交響楽団によるフィナーレ 秋山和慶指揮で日本語によるモーツァルト歌劇アリア集

この他こどもフェスタが3回、オルガン・コンサートなども。

今年が9年目、最初の数年はホールの音響の良さ、オーケストラの個性の違いを楽しみたいことなどから私もせっせと通いました。セット券をゲットして公開されるリハーサルから出掛けたこともあります。
しかし最近は余り熱心に聴かなくなったのが実情です。別に震災の影響じゃありません。あくまで個人的な感想ですが、ややマンネリ化の感があること、プログラムに一貫性が無いこと、クラシック入門を意識した選曲が物足りないこと、などから食指が余り動かなくなりました。

それでも拙宅からミューザはドア・ツー・ドアで30分以内ですから、今年は3回ほど行くことにしています。その最初の回が昨日の新日フィル、以下のプログラムでした。

三善晃/ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「プルチネルラ」
     ~休憩~
メンデルスゾーン/交響曲第4番
 新日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮/クリスティアン・アルミンク
 ヴァイオリン/豊嶋泰嗣
 コンサートマスター/西江辰郎

毎年のことながら、プログラムはフェスタを通して総合プログラム一冊。当日のコンサートマスターなどの記載はないため、西江氏は私の貧弱な知識で紹介したもの。間違っていたらゴメンナサイ。

このコンサートを選んだのは、もちろん三善作品を聴きたいから、いや聴けるチャンスがあったから。初演された当時、N響定期などで複数回体験し、日本が産んだ最高のヴァイオリン協奏曲と感動した思い出があるからでした。
なお、アルミンクは2003年に新日フィルの音楽監督に就任し今年で10年。7・8月の定期が監督としての最後の置き土産になる、ということも聴いておこうと考えた理由の一つでもありました。

私は小澤時代に同オケの定期会員を10年ほど続けていましたが、現在は特別な機会を除いてはご無沙汰しています。従ってアルミンクを聴いたのも10年間で数えるほど。記憶を頼りに数えると、
ヤナーチェクのマクロプーロス事件、ツェムリンスキーのフィレンツェの悲劇、ロットの交響曲、シュミットの七つの封印の書、ブラームスの第1、ブラームス=シェーンベルクのピアノ四重奏曲、ミューザで聴いたベートーヴェンの第4など。

3時半からリハーサルが公開されていたそうですが、私はリハーサルはパス。本番だけを楽しみました。
それにしても「入り」は今一つ。平日の夜、首都圏とはいえ多摩川を渡った川崎と言うロケーションも影響しているのでしょうか。
プログラムには世界の夏の音楽祭を紹介する一文があり、川崎のフェスタを都会型に分類してロンドンのプロムスと比べていました。聴くまでも無く、川崎とロンドンでは音楽祭の雰囲気は全く異なります。雲泥の差などと失礼なことを言う積りはありませんが、この違いはどうしたら詰められるのでしょうか。一地方自治体の努力だけでは如何ともし難い重い問題だとも思いました。

今回のミューザ・ラスト・コンサートを聴いて思い当たりましたが、アルミンクの音楽は実に上品なアプローチなのですが、それ以上に出ない。だから聴いた当初は面白いと思っても、胸を打つ様な感動が無いのです。
このアプローチは、実は前任の音楽監督にも共通したもので、このオーケストラは何処か冷静に音楽に向かう指揮者を求めているのでしょう。私がこのオケを離れたのも、その物足りなさからでした。

最初の三善作品、初演当時は新しい世界を創造するという「熱さ」と冷徹な動機作法による「冷たさ」との微妙な融合に感銘を受けたのですが、この日は単なる過去の現代音楽としてしか響きません。いや、私の耳にはそう聴こえてしまうのでした。
ストラヴィンスキーも、メンデルスゾーンもアプローチは同じ。どちらも天下の名曲ですが、もっと作品の深層部に迫る表現が欲しい。

それでも同じ環境で様々なオーケストラを聴ける機会は楽しい試み。ここから新たなクラシック・ファンが育つことに期待しましょう。

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください