東京フィル・第837回定期演奏会

東フィルの9月定期は、今シーズンの中でもかなり期待が高かった会だったはず。前年に続いてイタリアの老匠アルベルト・ゼッダを聴けるからでした。
当方も楽しみに出掛けたのですが、いきなりのアナウンス。チケットの半券を手にホールに向かうと案内板があり、“(ゼッダ氏は)体調不良により来日不可能になりました。”の文字が・・・。

事前にホームページで確認すればよかったのでしょうが、普通なら定期会員には「出演者変更のお知らせ」なる葉書が送られてくるもの。今回はそれが無かったということは、余程差し迫ってからの変更だったと思われます。
なるほどウェブ上では14日にアップされたようで、それからの郵送では遅かったのでしょう。代役は16日が直近だったのでしたから。

ということで一瞬帰ろうかと思ったほどの失望でしたが、変更になった指揮者は園田隆一郎。名前だけは聞いたことのある人ですが、接するのは初めて。ま、聴いてからにしようと気を取り直します。指揮者は変更になっても予定演目には変更が無い由、以下のもの。

ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」作品8~「四季」
     ~休憩~
R.シュトラウス/交響的幻想曲「イタリアより」作品16
 指揮/園田隆一郎
 ヴァイオリン/三浦文彰
 コンサートマスター/三浦章宏

ゼッダのお国物であるイタリアに照準を定めた選曲ながら、メインはドイツ人シュトラウスの作品。イタリアはイタリアでも、国内外から見たイタリアという点が聴きどころ。しかもシュトラウス作品はほとんど演奏される機会の無い珍品、その場の感情でパスするには余りにも勿体無いチャンスと言えるでしょう。

ということで若き三浦の登場を待ちます。その前に、あれ?と思ったのは、ソリストとオケの間の間隔。指揮者が立つスペースがほとんど無いことでした。
もしや、と気付いた通り、四季は指揮者無しのスタイルでの演奏でした。恐らくゼッダが来日していれば彼の棒で進められたのでしょうが、咄嗟の判断でソリストの弾き振り方式に変更されたのではないでしょうか。これはあくまでも憶測。

文彰くんが一人で登場、コンマスと握手を交わしますが、ご存知のように章宏コンマスはソリストの父君。そのことを知っている聴き手からは軽い笑い声も起きていました。そう、父子競演のヴィヴァルディですね。
期待半分、不安半分で始まった四季、最初の春は未だ早春の趣でしたが、続く夏は猛暑の表現の如し。最後の冬も厳冬で締め括り、期待を上回る快演だったと聴きました。
冒頭からソロが出ない春の第2楽章と冬の第1楽章では、ソリストが軽くテンポを指示しながらの開始。また秋の第2楽章はチェンバロにスタートを委ねての演奏。父子の呼吸もピタリで、現代楽器によるヴィヴァルディの暖かさとシンフォニックなスタイルも未だ未だ博物館行きではないと思います。

そもそもサントリ大ホールでの23人による室内楽(伴奏は高い順に6人→6人→4人→3人→2人の順)が音量的に厳しいのは止むを得ませんが(チェンバロは秋の第2楽章以外はほとんど聴こえず)、小生の席(1階前方中央)ではギリギリ許容範囲に収まった感じ。1階後方や2階席ではどこまで細かいニュアンスが伝わったのでしょうか。
盛大な拍手に応え、夏の第3楽章がアンコールされました。

そして後半。作品の前に園田隆一郎の印象から。
指揮者の資質に関しては、このコンサートだけでどうこう言うのは避けましょう。プログラム誌は既にゼッダを前提に作成されていましたので、今回はゲラ刷り1枚が配られたのみ。
それによると、藝大終了後にジェルメッティに師事した人。2006年にシエナでトスカを振ってデビューし、ペーザロではゼッダの薫陶も受けたそうな。既にロッシーニのオペラをいくつか指揮し、日本では日フィルの夏休みコンサートや藤原の椿姫を任されたばかり。オペラを中心にこれからの活躍が期待される若手と言うことになります。

登場した園田、写真で見るよりも恰幅の良い印象で、指揮棒を抱え込むような指揮振りにある人を思い出してしまいました。
若いファンはご存知ないでしょうが、私がクラシックを聴き始めた頃にN響の首席を務めていたウィルヘルム・シュヒター。時々ヴァイオリンに向かう横顔に、懐かしいシュヒターを思い浮かべてしまったメリーウイロウです。

恐らく今回の代役は直前のこと。オケも含めてシュトラウスのレア作品は初体験だったと思慮します。作品の魅力を新発見、とまではいかなかったのは当然のこと。それでも初体験を何とか克服したことに拍手を贈りましょう。

ところで「イタリアより」。私はLP次代からクラウスやケンぺの盤で何とか聴いてきましたが、どちらも解説が貧弱で、気になっていたことがありました。
それは2点あり、一つは第4楽章に登場するフニクリ・フニクラ。スコアにはナポリ民謡との書き込みがあるように、シュトラウス自身はてっきり民謡だと信じていたフシがあります。
しかし実際はデンツァ(1846-1922が作曲したヴェスヴィオ火山に登るケーブルカーのコマーシャル・ソング。当時でも著作権が問題にならなかったのか、というのが私の疑問でしたが、今回の解説(舩木篤也氏)で、デンツァから無断利用を訴えられたことを知りました。しかし肝心なのはその後で、この訴えはどのように解決されたのでしょう。恐らく詳しい顛末は記録として残っていないのでしょうが、そこのところ、もう少し知りたいと思うのが人情だと思います。

もう1点は、第1楽章に登場する首題の一つが、第4楽章にも再登場すること。冒頭楽章では練習記号Fの7小節目からクラリネットに歌われるもので、フィナーレでは練習記号Pの3小節目に登場。
何とも民謡風に耳に馴染むメロディーで、この循環形式風の扱いに関しては解説を読んだことがありません。今回は「第1楽章を思い起こさせる響きがところどころで聴かれる」とだけ指摘。具体的な点にまでは触れられていませんでした。個人的にはここも気になるのですね。

今回のナマ初体験、多少は引っ掛かる部分も残りましたが、シュトラウスのイタリア感にも触れられて新鮮な時間。

さすがに馴染の無い曲、代役の指揮者ということで終演後さっと席を立ってしまう会員も多かったようですが、最後のサプライズとしてアンコール。午後のコンサートでも演奏された(但し指揮者は別人だった由)ロッシーニの歌劇「チェネレントラ」序曲がサービスされました。
ロッシーニが始まった途端、シュトラウスでは怖い顔だった楽員の表情に笑顔が戻り、園田のタクトも水を得た魚の様。一寸したアクセントや、ダイナミックの表現に、如何にもオペラ畑を得意とする若手指揮者の才気が聴いて取れました。
失望で始まったコンサートでしたが、終わって見れば中々に楽しめた、というのが正直な感想です。

ホールを出て東の空を見上げると、十六夜の月に薄雲が掛かっています。望月から1日分だけ欠けた「いざよいの月」。何となくこの日のコンサートに通ずるような所もあって、これもまた趣、と感じた次第。

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1件の返信

  1. より:

    園田さんといえば一昨年のミューザサマーフェスで、中原まで日本フィルを聴きに行った時に初めてうかがいました。
    正直なところ河村さんのピアノ目当てだったのですが、モーツァルト(ハフナー交響曲)とか、とてもよかったですよ。
    明日のみなとみらいでの日本フィル定期、楽しみになさっていていいのでは(微笑)。

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