2013菊花賞馬のプロフィール
今年最後となったクラシック馬の牝系紹介、今回は先日の菊花賞を5馬身差で圧勝したエピファネイアがテーマです。
菊花賞はここ2年オルフェーヴル、ゴールドシップと春のクラシック馬が勝っていますから、菊花賞馬としてプロフィールを紹介するのは2010年のビッグウィーク以来となりますね。
さてエピファネイアは父シンボリクリスエス、母シーザリオ、母の父スペシャルウィークという血統。3頭とも日本で走った馬でもあり、今回は私の出番じゃなさそうです。それでも記録と言う意味から復習しておきましょう。
シーザリオ(2002年 青毛)は角居勝彦厩舎、主にエピファネイアと同じ福永祐一が騎乗した馬で、日本では5戦4勝。唯一の敗戦は桜花賞2着で、その時だけは福永の騎乗ではなく、皮肉なことに福永騎乗のラインクラフトに僅かな差で敗れたもの。皆さんの記憶に新しい所でしょう。
2歳の年末に阪神の新馬戦でデビュー勝ち。明け3歳になってから寒竹賞(中山2000メートル)、フラワー・カップ(GⅢ、中山1800メートル)と連勝してクラシック路線に乗り、上記桜花賞の2着の後、再び福永を背に優駿牝馬(日本オークス)を制して頂点に立ちます。
シーザリオが特別だったのは、続いてアメリカに遠征し、ハリウッド・パーク競馬場でアメリカン・オークス(芝GⅠ)に挑戦し、見事に日本馬として初めてアメリカのGⅠを制したことでしょう。もちろん福永祐一も同道しての快挙でした。
この金メダルを最後に繁殖入りしたシーザリオ、以下にこれまでの繁殖成績を列記しておきましょう。
2007年 トゥエルフスナイト 鹿毛 牡 父キングカメハメハ 1戦1勝
2008年 ヴァイオラ 黒鹿毛 牝 父キングカメハメハ 未出走
2010年 エピファネイア
2011年 ロザリンド 鹿毛 牝 父シンボリクリスエス 未出走
以上、2009年の不受胎(ウォー・エンブレム War Emblem と交配した由)を経て、エピファネイアは3番仔、2頭目の勝馬となります。父は秋の天皇賞、その年の有馬記念を何れも2連覇した馬で、オークス馬の母と併せて少なくとも2400メートルのスタミナには全く問題が無かったと言えるでしょう。
ここで2代母キーロフ・プレミエール Kirov Premiere (1990年 鹿毛 父サドラーズ・ウェルズ Sadler’s Wells)に移りましょう。
キーロフ・プレミエールはアイルランドでジム・ボルジャー師が管理した馬で、アイルランドで8戦4勝。3歳時にはダウン・ロイヤル競馬場でアルスター・ハープ・ダービー(12ハロン強)に勝った実績もあります。
その後アメリカに移籍し、マーク・ヘニング厩舎でグレード・レースのラトガース・ハンデ(GⅢ、11ハロン)に優勝しています。ラトガース・ハンデは現在では施行されていませんが、メドウランズ競馬場で行われていたもの。アメリカでは4戦1勝の成績で、日本で繁殖に上がりました。
なお、ヘニング調教師は、ジャパン・カップにも参戦(5着)し、そのまま日本で種牡馬となったスター・オブ・コジーン Atar of Cozzene を管理した方と言えば、親しみを覚える方も多いでしょう。
少し長くなりますが、キーロフ・プレミエールの繁殖成績も生年順に紹介すると、
1996年 プロトン 鹿毛 牡 父サンデー・サイレンス Sunday Silence 20戦3勝 4歳時に小牧特別(中京1200メートル)、高尾特別(東京1400メートル)
1997年 ミレニアムダンサー 鹿毛 牡 父サンデー・サイレンス 34戦3勝 8歳時に広瀬川特別(福島2000メートル)、浦佐特別(新潟2000メートル)
1999年 ファルフ 鹿毛 せん 父サンデー・サイレンス 地方競馬で85戦17勝 園田、姫路など
2000年 キーロフオペラ 鹿毛 牡 父ペンタイア Pentire 1戦未勝利
2001年 ダークポテンシャル 鹿毛 牡 父ダンスインザダーク 9戦未勝利 地方競馬でも未勝利
2002年 シーザリオ
2003年 シルクプレアデス 鹿毛 牝 父アドマイヤベガ 4戦未勝利 地方競馬でも未勝利
2004年 クルックス 黒鹿毛 牝 父フサイチ・ペガサス Fusaichi Pegasus 6戦未勝利
2005年 キーロフスカヤ Kirovskaya 鹿毛 牝 父フレンチ・デピュティー French Deputy
2007年 サヴァンナズ・チョイス Savannah’s Choice 牝 父リダウツ・チョイス Redoute’s Choice
2008年 ロットネスト 鹿毛 せん 父リダウツ・チョイス 9戦未勝利 地方競馬で2勝(大井と名古屋)
2010年 ヴィシュネヴァ Vishneva 鹿毛 牝 父チャージ・フォワード Charge Forward
以上、詳細は調べが付きませんでしたが、2004年以降は豪州に移っての繁殖成績のようです。また同母の娘はシーザリオが最初で、その後の娘たちからは現時点では特記すべき活躍馬は出ていないようです。
続いて3代母はクェルダ Querda (1975年 黒鹿毛 父ハビタット Habitat)。この馬もアイルランドで走り13戦1勝、2歳の時に1マイル弱のレースに勝っています。
クェルダは自身の競走成績より繁殖成績の方が勝っており、その産駒にはドーヴィル大賞典(GⅡ)2着のシアター・クリティック Theatre Critic 、2歳時に7ハロン戦で勝ったハルダイン Huldine 、アイルランドで1マイル戦に勝ち、アメリカでも一般ステークスに勝っているクインティリオン Quintillion など、そこそこに活躍した馬が多く見られます。
更に遡り、4代母プリンシピア Principia (1970年 鹿毛 父ル・ファビュルー Le Fabuleux)はフランスで1マイルから2000メートルに5戦3勝した馬で、何と言っても名馬チーフ・シンガー Chief Singer (1981年 黒鹿毛 牡 父バラード・ロック Ballad Rock)の母として知られています。
チーフ・シンガーは、母よりも父の遺伝子を濃く受け継いだ競走馬で、3歳時にセント・ジェームス・パレス・ステークス、ジュライ・カップ、サセックス・ステークスと6ハロンから1マイルのGⅠに3勝。タイムフォームは131の評価を与え、その年のベスト・スプリンターに選出しました。また当時競走馬の評価で権威のあったジルベイ・レーシングは、チーフ・シンガーをヨーロッパ・チャンピオンに指名したほどです。
プリンシピアには他に、スペインで活躍したエル・ムネコ El Muneco というせん馬もいます。
さてプリンシピアを生産したのは、ハンガリーで何世紀にもわたって富豪として知られたバシアニー家の末裔マルギット・バシアニー侯爵夫人。夫人は英国競馬界でも欠かせない存在だったバシアニー家の最後の重要人物で、戦後ハンガリー政府に財産を没収されたとはいえ、スイスの金融界に君臨した人。
先祖代々受け継いだ牝系はイギリス、フランス、ドイツで長年枝葉を広げており、生産拠点は英国(バリーキーン・スタッド)とドイツ(エルレンドルフ牧場)にありました。凱旋門賞馬サン・サン San San 、仏2000ギニーのカロ Caro 、仏セントレジャーのサモス Samos 、独ダービーのオルジーニ Orgini 等は皆、バシアニー夫人の勝負服で大レースを制したものでした。
その中の1頭、エプサム・オークスを制したピア Pia (1964年 黒鹿毛 父ダリウス Darius)が、エピファネイアの5代母に当たります。ピアはクラシックの他にラウザー・ステークス、パーク・ヒル・ステークスにも勝っており、ドイツの「P」ファミリーを代表する名牝。
更にその母ペセタ Peseta (1957年 黒鹿毛 父ネッカー Neckar)から出たGⅠクラスの馬たちを列挙すると、
モルニー賞に勝った姉妹セヴン・スプリングス Seven Springs とリーガル・ステイト Regal State 。セヴン・スプリングスの仔でサセックス・ステークスの覇者ディスタント・ヴュー Diatant View 、
一方リーガル・ステイトからはBCクラシックなどGⅠ4勝のプレザントリー・パーフェクト Pleasantly Perfect 、ジャン・ロマネ賞2連覇など同じくGⅠ4勝のエルーシヴ・ケイト Elusive Kate が続くという具合です。
ファミリー・ナンバーは16-a。ミス・アグネス Miss Agnes を基礎牝馬とする名門で、このファミリーから菊花賞馬が出たのは、1961年のアズマテンラン以来のことになりましょう。
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