日本フィル・第291回横浜定期演奏会

10月の日フィル横浜定期、横浜みなとみらいホールにラザレフを迎えます。この猛将にはさすがの台風も尻込みしたか、南の海上をコッソリと通り抜けた様子。そんな冗談も思い付くほどに圧倒的なマーラーが炸裂しました。

チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
     ~休憩~
マーラー/交響曲第9番
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 チェロ/横坂源
 コンサートマスター/木野雅之
 ソロ・チェロ/菊池知也

今回はラザレフのマーラーに尽きるでしょう。そもそも1年半ほど前に年間予定が発表された時、先ず驚かされたのが今回の選曲でした。エッ、ラザレフのマーラー? しかも9番!! と絶句したものです。
ロシアものが売りのマエストロが何故マーラーを、しかも初のマーラーに選りに選って9番を選ぶ理由って何、と誰もが思ったはず。しかしその答えはマエストロ自身によって見事に解き明かされたのでした。

今回はこのレポートが中心です。
演奏会に先立って奥田佳道氏によるプレトーク。その冒頭でも紹介がありましたが、実はロシア人指揮者はマーラーを得意にする人が多いのだとか。第9の日本初演もコンドラシン指揮モスクワ・フィルでしたね。私もこの公演をNHKが収録したテレビで視聴、初めて聴くマーラーの最後の交響曲に痺れたことを思い出します。
他にスヴェトラノフがN響と第7を演奏したことも例示されましたが、個人的にはバルシャイのマーラー、特に自身でオーケストレーションした第10番全曲を聴いたことも懐かしい思い出。

奥田氏は今回の第9についてもその豊富な知識を披露し、これまで常識的とされてきた「死」との関連にも疑問を投げかけます。ラザレフの第9は、もっとポジティヴに聴いた方が理解し易いのではないか、との暗示も。
そうした適切なガイドにも助けられ、頭から第9の概念を拭い去って本番に臨みます。そして衝撃的なマーラー。

何より第1楽章のテンポに唖然。単に速いだけでなく、パワーが漲る音塊のぶつかる様は壮絶としか言いようがありません。轟音に圧倒されながらも、濁りとは無縁の澄み切った音色。それこそ手に汗を握る内に最初の楽章が幕を下ろします。
ここでは特に最後に出現する室内楽風のカデンツァが出色。これまでマーラーは何故このパッセージを挿入したのか理解できませんでしたが、ラザレフはその疑問に答えを見出しているようでした。

即ち、この室内楽は楽章を追うごとに比重を増していく。ラザレフはフォルテとピアノの音量差を極端に付けることによって、室内楽的パッセージの意味を聴き手に意識させていきます。最終楽章は、あの慟哭のようなクライマックスがある一方で、半分以上は各楽器のソロを中心にした室内楽が中心。
これは決して「死」と関連付けるものではなく、第4楽章「ロンド」という、純粋に音楽的な楽曲形式を浮き立たせることに寄与して行きます。
ロンド主題は、暖かさを感じさせるメイン・テーマと、冷徹なサブ・テーマ。この組み合わせが3回取り上げられたあと、4回目でロンドは完全な室内楽と化し、点描の様に消えて行く。未だ未だ続くロンドが暗示されているように。

ここを聴いていて、私は直ぐにウェーベルンを思い浮かべました。ウェーベルンは楽器を極めて節約して使った作曲家で、マーラーから続くウイーンの音楽の後継者。しかしその音楽はマーラーとはあまりにも遠いと考えていましたが、ラザレフの第9を聴くと、実はマーラーの後には直ぐウェーベルンが控えているということに気付かされるのです。
音楽には本質があり、極めて行けばそのエッセンスだけで十分。マーラーの第9交響曲は終点=死ではなく、新たなスタート地点に立つもの。完全に前を向いた、前衛そのものじゃないでしょうか。

ここからは私感ですが、恐らくラザレフは日フィルの首席指揮者に就任した時からこの曲を演奏したかったのではないか。しかしマエストロの意向を完全に実現するには、オーケストラを徹底的に鍛える時間が必要。
プロコフィエフ、ラフマニノフ、そしてスクリャービンとロシア音楽を叩き台にオーケストラそのものを磨き上げてきたラザレフ。今こそ、自身のマーラー観を日本の聴き手に問う刻と判断したのでしょう。

そう、集大成でしょう。でもこれでお仕舞、という意味の総括ではなく、ここから次に進むための集大成。ラザレフの論法で言えば、マーラーを演奏するに当たって最初に最も難しい第9を取り上げる。このあとが続くのかは知りませんが、何番が来てもハードルは遥かに低くなるのは間違いありませんね。
先の先までを見据え、一回一回のコンサートを真摯に練り上げ、創り込んでいく。それが首席指揮者の役割であるということを身を以て示すラザレフ。改めて凄い人だ。

最後の楽章が終わっても、空間を漂うマエストロの両の手。そのあとも胸に手を当てて祈る様な巨匠。わざとらしい沈黙を要求する指揮者が多い中、これほど説得力に富んだ沈黙を体験したのは、恐らく今回が初めてだったと思います。

最後に、前半は若手チェリストの筆頭格である横坂が見事なテクニックでチャイコフスキーを聴かせてくれました。最近流行の原典版ではなく、以前から親しまれてきたフィッツェンハーゲン版。

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