日本フィル・第658回定期演奏会

九州ツアーを終えて無事帰京した日フィル、13-14シーズンの後期が始まりました。7月までの5回はラザレフ(2回)、インキネン、山田和樹、広上淳一と毎回目の離せない定期が続きます。
先ずは首席ラザレフ御大の「ラザレフが刻むロシアの魂≪Season Ⅱ スクリャービン≫」の2回目。スクリャービン初期の佳曲に加えて次を見据えたショスタコーヴィチの大交響曲と言うラザレフ・パワー満開のプログラムでした。

スクリャービン/ピアノ協奏曲
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第7番「レニングラード」
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ピアノ/浜野与志男
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也

ラザレフのスクリャービン・シリーズ、初回は珍しい作曲者中期の第3交響曲でしたが、今回は若書きとも呼べるピアノ協奏曲。次回5月定期では後期のプロメテウスが予定されていて、全部で3回のシリーズとなります。
恐らくスクリャービンの交響作品で最も有名なのが「法悦の詩」でしょうが、何時でも何処でも聴けるような名作を選ばないのが如何にもラザレフらしいところ。事務局としては集客に頭を痛めるマエストロかも知れませんが、チョッと深入りし過ぎたクラシック・ファンには何とも頼もしい存在と言えるでしょう。

今回のピアノ協奏曲は、知る人ぞ知る、ショパンを髣髴される美しい作品としてコアなファンには人気があります。しかし熱心なコンサート・ゴアでない人にとっては何となく足を運ぶのが躊躇われる一品でしょうか。
特に前回の第3交響曲でスクリャービン初体験した会員にとっては、また難解な音が続くのではと懸念されたかもしれません。しかしここは騙されたと思って聴いて下さい。その美しメロディーに酔い痴れること間違いナシ。
個人的には、同じ日本フィルが小山実稚恵の音楽活動何周年かを記念した特別演奏会で接したことがあります。その時は広上淳一の棒、ラザレフ同様一捻りした選曲に拘る指揮者ですね。

今回のソロは、1989年東京生まれの浜野与志男。多分私は初めて聴くピアニストで、何の予備知識をも持ち合わせずピアニストの登場を待ちます。スラリとした若者、何となく異民族の血が入っているような印象。改めてプログラムを見ましたが、そのプロフィールには指摘は一切ありません。

そして音楽、何と瑞々しいことか。楽々弾いているように見えますが、音量も充分。何よりも自然な音楽の流れがスクリャービンの初期ロマンティシズムにピタリと嵌っていました。
第1楽章はソナタ形式ですが、例えば展開部の入り、そしてコーダの開始。こうした節目で浜野は、敢えて意識することなく呼吸を整える。そのことで聴き手には初体験でも作品の構造がスッと耳に入ってくるのでした。誰に教わったのでもない天性の音楽性でしょう。

帰宅してから改めてネットでググると、やはり浜野は父が日本人で、母はロシア人とのこと。音楽家の家系ではないそうですが、スクリャービンなどロシア音楽は血の成せる業というものがあるのかも知れません。音楽は正直なものです。

ラザレフは協奏曲に関してはソリストを全面的に立てる主義ですが、もちろん彼ならではの音楽作りも忘れません。その好例が第2楽章の冒頭でしょう。
ここは飛び切り美しい変奏主題が弱音器を付けた弦楽合奏で歌われますが、その絶妙なピアニシモ。ほとんど聴こえるか聴こえないかのギリギリまで音量を落とし、楽員を納得させずにはおかない完璧なバランスで音楽を紡ぐ。これ正に「ラザレフ・ピアニシモ」と呼びたいほどの特質で、私はこれが聴きたくてラザレフを追いかけているようなものです。
この第2楽章、そして第3楽章(ロンド・ソナタ形式で書かれている)の第2主題の美しさは、恐らく初めて聴いた人にも忘れ難き印象を残す筈です。土曜日の会員も是非お楽しみに。

そして次なるシリーズを予告するが如きショスタコーヴィチ。ラザレフのプログラムについてはオケ側では一切口出しできない由で、全てラザレフが“これをやる!”と宣言するのだとか。今回はレニングラードに決まりました。
これは予想通りのショスタコーヴィチ。その意味でサプライズはありませんが、最も安心して聴けるコンビでしょう。

レニングラード交響曲は以前、テミルカーノフが読響を指揮した演奏でその認識を覆された経験があります。以来この作品は私の中では大いに評価を挙げた大作。
テミルカーノフも大変な名演でしたが、惜しむらくは第3楽章に大きなカットがありました。その時はスコアを見ていなかったので確信がありませんでしたが、後にサンクト・ペテルブルグ・フィルとのライヴ録音でそのカットも確認することが出来ました。これがあの演奏で、唯一形式をボカしてしまった弱点だったと思います。
しかし流石にラザレフ、ショスタコーヴィチが楽譜に書き残した全ての音をほぼ完璧に音にして見せました。

特に私がショックを受けたのが第3楽章。そう、テミルカーノフが敢えて挟みを入れた楽章ですね。ここは形式的にも複雑で、基本的には三部形式かと思われます。
その主部、ここには大きく言って三つのパートに分かれ、最初は管楽器と2台のハープが奏でるコラール風楽節。次が弦楽器のみによって演奏されるバッハのシャコンヌを連想させるパッセージ。この交替が繰り返された後に続くのが、弦のピチカートに乗ってフルートが歌いだすワルツ風な第3フレーズ。この3種のパターンが交互に、時には組み合わされながら進むのが主部とその回想たる第3部でしょう(テミルカーノフはこの第3部を思い切り端折ってしまった)。
この間に挟まれるのが、所謂三部形式の中間部で、ホルンのシンコペーションに乗って弦が跳躍の大きい主題を勢いよく奏する。頂点ではシンバルの一撃も。

ここで挙げた主部の三つのパッセージ、ショスタコーヴィチが指定したテンポ設定では、第1がアダージョで♩=112、第2がラルゴで♩=92、第3は第1のテンポからそのまま流れ込むので♩=112となります。
私は多くの音盤でチェックしましたが、このテンポの差が余り明瞭でないものがほとんどで、この楽章に長さと退屈感をもたらしているのだと理解しています。ところがラザレフは違う。
112と92の違いを明瞭に振り分け、更に第3ではピチカートが導入される所から思い切りテンポを上げ(スコアには指定なし)、三つのパートを聴き手にもハッキリ判るように聴かせるのでした。フルート・ソロ、再現部ではヴィオラが奏するワルツは、1小節を一つで振る超快速!

更に秀逸だったのが中間部への入り。練習番号120、何度目かの第2テーマを例の「ラザレフ・ピアニシモ」で始め、付点音符から圧倒的なクレッシェンドを掛けて中間部に突入。そのスリルたるや、ラザレフの真骨頂でしょう。

こうした配慮は全楽章に満載。第1楽章の有名な「侵攻のテーマ」の扱いでも、練習番号31手前のホルンに出る sf を思い切り目立たせて単調になるのを防ぐ。
第4楽章は大雑把に言えば三つの部分に分けられましょうが、爆風吹き荒れる第1部に続きエグモント風リズムで開始される第2部、ヴィオラが頭を擡げて開始される第3部(練習番号192)と、作品の構造を手に取るように明らかにしていく指揮は、判っちゃいるけど改めて感嘆してしまうのでした。

カーテンコールは、マエストロ何時ものパフォーマンス。“凄いのはオレじゃないぞ、オケだぞ!”というジェスチャーに加え、今回は見事な小太鼓を披露した女性奏者(エキストラのメンバーだそうです)の手を引いて舞台奥から指揮台上にまで持ち上げ、その妙技を称賛していました。
3月はこのあと横浜でシューマンとブラームス、5月にはスクリャービンの最終回があり、次のシーズンからはショスタコーヴィチがテーマになります。相変わらず超名曲は回避しながらも、音楽的には傑作であるシンフォニーの数々、当然ながら1曲たりとも聴き逃すわけには行きませんナ。

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