日本フィル・第660回東京定期演奏会

最初にお断りしておきますが、土曜日のコンサートに出掛ける予定の方は、このレポートは演奏会が終わってから読んでください。サプライズがありますので、読まれては種明かしになってしまいますので・・・。

     *****

個人的に5月最後の演奏会は日本フィル東京定期でした。昨日の初日にサントリーホールで行われた初日のレポートです。
5月はラザレフ首席の登場で、「ロシアの魂シリーズ」から≪Season Ⅱ スクリャービン≫の銘打たれたものの3回目。未だ3回目ながらスクリャービンはこれが最終回です。

基本的にラザレフは全作品を網羅するというタイプではなく、特に紹介したいものに絞って取り上げるマエストロ。スクリャービンでは最も有名な「法悦の詩」が残っていますが、これはシリーズには含まれません。第1と第2交響曲も選に落ちており、この辺りは御自身に聞かなければ判りませんが、ラザレフの一押しではないのでしょう。
ということでスクリャービン最終回は以下のプログラム、前回と同じくスクリャービンがメインにはなっていません。

リスト/交響詩「プロメテウス」
スクリャービン/交響曲第5番「プロメテウス」
     ~休憩~
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1、第2組曲
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ピアノ/若林顕
 合唱/晋友会合唱団(合唱指揮/清水敬一)
 コンサートマスター/藤原浜雄(ゲスト)
 フォアシュピーラー/斎藤政和
 ソロ・チェロ/菊地知也

大掛かりなマイクロフォン設定になっていましたから、恐らく後日CD化されものと思われます。もしそうなら、今回のスクリャービンは繰り返し聴いてみなければ真価を理解するまでには到達できないかも。内容的にもかなり難度の高い作品と聴きました。

コンサートマスター登場。あれ、読響の定期だっけ? と戸惑ったのは、この間まで読売の看板だった藤原氏が颯爽と姿を現したから。
日フィルのコンマス陣は、3月に江口氏の契約が切れてからは二人体制。その二人もあくまでも契約ですから、本人のスケジュールが優先されます。この春は二人とも多忙なようで、先月に続きゲスト・コンマスが起用されました。
ところがラザレフ御大、特に重要なパートは自分の息が掛かっていない新しい人とは絶対に組まない主義。実は日フィルの首席に就任する以前は読響にも度々客演していましたから、藤原コンマスとは旧知の間柄。“読響を降りてスケジュールが開いているなら、オレと一緒に組もう”と言ったかどうかは知りませんが、今回に限ってはラザレフの強い引きがあったのだと想像します。

さて5月定期、プログラムを一見しただけでは難しそうな内容に見えます。名曲オンリーの聴き手は恐らく引いてしまうかも。プロメテウスをテーマにした前半は何となく判りますが、どちらも滅多に演奏されない難物。
後半のラヴェルは聴いたことがあるけれど、何でダフクロなの? ラザレフのラヴェルってどうよ? と思うのが普通でしょ。半信半疑で鑑賞しましたが、さすがにラザレフ、圧巻の演奏に納得してしまいました。やっぱり面白い!!

書いた通りリストはレアな部類に属するでしょう。私も録音では何種類か聴いていますし、古いオイレンブルクのポケット・スコアは遥か以前に手に入れました。それでも愛聴するというほどの親近感はありません。今回もCD一つ二つに耳を慣らし、スコアにも目を通して出掛けましたが、こんなプロメテウスは初めて聴きましたね。
作品は4分の4で始まりますが(序奏に相当する部分)、いつものラザレフにしては遅めのテンポ、と思いきや実は二つ振りで、私がこれまで馴染んできたものの2倍の速度で開始するのでした。確かにスコアには二つ振り(アラ・プレーヴェ)が指示されています。

お蔭でやや退屈に聴こえるソナタ形式ばりの交響詩が、息をも吐かせない交響絵巻になってしまうのでした。第2主題に相当するチェロの歌謡風旋律も抒情性の欠片も見せず、一気に突き進む。疾風怒濤のリストが作曲者の意図かどうかは知りませんが、ここまで徹底ると見事と言うしかありません。
相変わらずながら、オケも良く付いていきます。しごかれれば、しごかれるほど何とか、という状態なのでしょう。

2曲目はメインのスクリャービン。合唱団が加わるので、いつものP席は晋友会のメンバーが陣取っていてチケットの販売はありません。この作品にはオルガンも加わりますので、下から見上げると天井にまで届くプロメテウスの炎のよう。
スクリャービンが頭の中で想定していた光ピアノ(clavier a luce)はラザレフの意向で使用せず。そもそもスクリャービンが意図していた楽器は当時は実在していなかったし、その後様々な試みがあったようですが、余り効果は上がっていないようですね。実際私も読響定期でそうした試みの一つを聴いたことがありますが、正直な所、感心したものではありませんでした。
その代わり、恰もピアノ協奏曲の様にスタインウェイが指揮者の左手に陣取ります。ただし蓋を取り払って、見通しはスッキリ。協奏曲の様にピアノの音量がオケと渡り合うほどには聴こえませんが、シンフォニーの一パートとしては充分に機能していたと思います。それにしても若林氏、余り演奏した経験は無いはず(初めてかも)ですが、鮮やかなピアニズムを披露してくれました。楽譜を置いていましたが、ほとんど頭に入っているような弾き方。

それにしてもスクリャービンのプロメテウスは難解です。人間の「意志」を意味するテーマとか、「火」を象徴する動機(トランペット)などに注目し、人間から見たプロメテウスという聴き方が正解なのかも。合唱は最後の最後で登場し、全体をクライマックスで締め括ります。
こうした作品になると一度だけ聴いただけでは全てを理解できないし、取り掛かりだけでも事前に解説して欲しいとも思いました。
(この辺りは演奏会の最後で種明かしとなります)

後半は遥かに馴染深いラヴェル。今回は第2組曲だけではなく余り取り上げられない第1組曲を取り上げ、そのまま休みを置かずに夜明けのシーンに流れ込む趣向。スクリャービンで登場した合唱がそのまま残って演奏に参加します。
ラヴェルが、バレエ全曲で使用した編成をそのまま採用したダフクロ組曲。やはり合唱の効果は抜群で、オケだけの組曲に比べて遥かに表現力が増し、色彩的にも豊かに響くことが実感できました。
特に第1組曲の第2曲「間奏曲」はア・カペラの合唱で始まりますから、その空気感は圧巻。またラザレフが合唱に要求する表現も尋常なものではなく、よくある全曲版演奏に比して真に合唱の存在感が大きい演奏でした。

テンポの速いこと、ラザレフ・レポートでは毎回のように書きますが、実際にそうなんだから仕方ありません。夜明けのシーンでも、ヴァイオリン・ソロのパッセージは朝靄の中で聴こえる鳥の声というより、ヴァイオリンの練習曲みたい。
そして全員の踊りのスリリングなこと、手に汗握る展開とはこのことで、声と楽器の一体感に痺れること暫し。

ここで気が付いたのはラザレフの意図。折角スクリャービンで合唱を使うのだから、ラヴェルもやろう。恐らくそういう理由からの選曲だったと思います。カーテンコールが暫くあり、マエストロは再び指揮台に上がってスコアを広げます。何と定期なのにアンコール。サプライズとしか言いようがありません。

これは二日目の方のためには書かない方が良いのかも知れませんが、でも書いちゃいましょう。藤原コンマスがフラジョレットを奏で、ラザレフが客席に向かって“さぁ、どうぞ”。合唱が歌い出したのは、そう、ボロディンの「だったん人の踊り」。
アンコール用にゆったりした部分をカットした短縮版でしたが、ラヴェルの最後を髣髴とさせるような大盛り上がり。何となくリムスキー=コルサコフのオーケストレーションとラヴェルには共通点が感じられるから不思議じゃありませんか。

そう思って改めてプログラムに目を通すと、解説のオヤマダアツシ氏がいみじくも指摘していました。『(ラヴェルの全員の踊りは)ボロディン作曲の「だったん人の踊り」と似ており、ラヴェルなりの隠れたオマージュなのではないかという説もある』と。どうかこの解説をご自身の耳で体験してみてください。
ということで、ラヴェルが終わったからといって席を立っちゃいけませんヨ。サプライズとサービスが用意されていますから。

今回はアンコールが終わってもまだ続きがあります。マエストロのアフター・トーク。主旨は次回から始まるショスタコーヴィチ・シリーズの紹介ですが、スクリャービンについても興味深いエピソードを語ってくれました。
それによると、スクリャービンは初演に際してプロメテウスを二度演奏したのだとか。一度演奏したあと休憩を置き、食事や飲み物などで考える時間を置き、2回目の演奏。またスクリャービンはスコアに、イタリア語でもロシア語でもなく、フランス語で表現記号を書いた唯一の作曲家なのだとか。
こうした話は音楽評論家の口からは絶対に聞けない内容で、ファン必聴のアフター・トークです。通訳の小賀明子氏、マエストロサロン以来久し振りに名通訳に接しましたが、御主人がロシア人のトランペット奏者ということで日本語より達者なほどのロシア語。マエストロ・ラザレフの片腕でもあります。

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