2014クラシック馬のプロフィール(1)

今年も英愛仏3か国のクラシック勝馬の血統、特に牝系を探る旅を続けましょう。第1回は5月の第一土曜日にニューマーケット競馬場で行われた2000ギニーを制したナイト・オブ・サンダー Night of Thunder です。
ナイト・オブ・サンダーは、父デュバウィ Dubawi 、母フォレスト・ストーム Forest Storm 、母の父ガリレオ Galileo という血統。

今回は牝系に入る前に、父デュバウィについても何点か回顧しておきます。デュバウィと言えば先ずピンと来るのが、マクトゥーム家の競馬軍団ゴドルフィンの所有馬であることでしょう。その父ドバイ・ミレニアム Dubai Millenium はゴドルフィンの名を世に知らしめた名馬で、たった1年の供用で死亡した種牡馬でもありましたね。
従ってデュバウィは、その父の血を引く唯一の世代と言うことになります。もちろんサイード・ビン・スロール厩舎に所属したデュバウィは競走馬としての期待も高く、順調に2000ギニーを迎え、11対8の1番人気に支持されていました。
しかし結果は5着敗退。そのあとアイルランド2000ギニーに勝ってクラシック馬のタイトルは獲得しましたが、血統的には問題ないと思われたダービーではスタミナ不足を露呈して3着。3着といっても勝馬からは8馬身も離される完敗でした。この敗戦でマイル路線に限定、ドーヴィルでジャック・ル・マロワ賞を制し、クイーン・エリザベスⅡ世ステークスは2着。BCに向けて調整中に故障、そのまま引退してダーラム・ホール(ゴドルフィンの種牡馬ステーション)で種牡馬となりました。

以上がデュバウィの大雑把な競走歴ですが、触れておきたいのは彼の癖。2000ギニーは得意のマイルにも拘わらず敗退した原因の一つに、最後の勝負所で大きく左に斜行したことが挙げられます。これは2歳時に勝ったナショナル・ステークスも同じでしたし、愛2000ギニーも勝つことは勝ちましたが、最後は逆に右に斜行していました。
ここで思い出したいのが、ナイト・オブ・サンダーが最後の段階で大きく左に寄れ、結果は勝ちましたが、広いコースをほぼ横切る様な走りを見せたことでしょう。どうやら最後に斜行する癖は、父から受け継いだもののようです。
もう一つ因縁話を追加すると、2000ギニーでデュバウィを破って優勝したフットステップスインザサンド Footstepsinthesand に騎乗していたはキーレン・ファロン騎手。今回はライヴァルだった相手の産駒に騎乗してコースを横切ったことになりますね。今年の3着馬はゴドルフィンのライヴァルたるクールモア/オブライエンの馬、フットステップスインザサンドのチームでもあります。

種牡馬としてのデュバウィは、いきなり初年度産駒に2010年の2000ギニー勝馬マクフィ Makfi を出します。ナイト・オブ・サンダーは2頭目の2000ギニー馬。
英国のクラシックは現在の所この2勝ですが、リサーチをイギリスやドイツにまで広げると、マクフィと同じ世代ではウォルサード Worthadd がイタリア2000ギニーとイタリア・ダービーを制し、2年目の産駒からはヴァルドパーク Waldpark がドイツ・ダービー馬となりました。また初年度産駒のフォックス・ハント Fox Hunt も、クラシックとは言えませんが4歳時にドイツ・セントレジャーに勝っています。
3年目の世代からもエレクトロレーヌ Electrelane がドイツ1000ギニーを制しましたが、第4世代はクラシックには無縁でした。そしてナイト・オブ・サンダーがデュバウィの5年目の産駒となります。

ここから漸く牝系に入りますが、サイアー・ラインとは違ってナイト・オブ・サンダーのファミリーには余り目立った馬が登場しません。退屈な馬の羅列になるかも知れませんが、暫くお付き合いください。

母フォレスト・ストーム(2006年 栗毛)はアイルランドのジム・ボルジャー師が管理した馬で、2歳から3歳まで6戦して1勝。2歳のデビュー戦(カラーの7ハロン heavy の馬場)に勝ちましたが、勝鞍はこの1勝のみでした。2戦目のリステッド戦は2着、2歳終戦はレパーズタウンのキラヴュラン・ステークス(GⅢ)での6着です。
3歳時は3戦して勝てず、最終戦はゴウラン・パークのGⅢ戦で、11頭立ての11着に終わって現役を終えます。走った距離は7ハロンから9ハロンまででした。
繁殖に上がったフォレスト・ストーム、その初産駒がナイト・オブ・サンダーとなります。

2代母クワイエット・ストーム Quiet Storm (2000年 鹿毛 父デザート・プリンス Desert Prince)は英国でジェフリー・ラグ師が調教した馬で、2歳から4歳まで走って14戦2勝2着3回3着3回。勝鞍は何れも3歳時のもので、リングフィールドで7ハロンのハンデ戦、ソールズベリーの10ハロン条件ステークスでした。リステッド戦での出走経験はありますが、G戦とは無縁です。
繁殖成績を列記すると、
2006年 フォレスト・ストーム
2007年 ミニュアーノ Minuano せん 父ドバイ・デスティネーション Dubai Destination 未出走?
2008年 ロマノ Romano 栗毛 せん 父ハーフド Haafd 3戦未勝利
2009年 ティー・カップ Tea Cup 牝 父デインヒル・ダンサー Danehill Dancer 8戦1勝 チェプトウ競馬場の未勝利戦(7ハロン)
2011年 ストーミング・ホーム Storming Home 鹿毛 せん 父バーデン・オブ・プルーフ Burden of Proof 未出走?

以上で記録が途絶えていますから、あるいは速くに死亡したのかも知れません。記録にある唯一の牝馬も、未だ繁殖成績が出てくる年齢ではありませんね。

3代母ハートフォード・キャッスル Hertford Castle (1991年 鹿毛 父リファレンス・ポイント Reference Point)は、ミル・リーフ Mill Reef で有名なポール・メロン氏が生産した馬ですが、競走成績は3戦未勝利と、これも競馬場では無名の存在でした。
その産駒も記録に残っているものは少なく、調べた限りでは勝馬は2頭しか見出せませんでした。1頭は2歳と3歳に25戦6勝したサファランド Safarando (1997年 鹿毛 牡 父タートル・アイランド Turtle Island)。2歳時に何と15戦もしたタフな馬で、3歳時に唯一回G戦(グリーナム・ステークス)に走って7頭立て6着でした。走った距離は6ハロンから1マイルまで。
もう1頭は35戦2勝のフーザート Whozart (2003年 鹿毛 せん 父モーツァルト Mozart)。3歳から6歳まで走り、6ハロンで2勝しています。父に似てスプリンターでした。

ここまで遡った限りでは、ナイト・オブ・サンダーは突然変異のクラシック馬のようにも見えますが、4代母になって漸く歴史に残っているクラシック馬が登場します。
それがアイルランド1000ギニーの覇者フォレスト・フラワー Forest Flower (1984年 栗毛 父グリーン・フォレスト Green Forest)です。フォレスト・フラワーはグラシック馬になっただけではなく、2歳時にはクィーン・メアリー(GⅢ)、チェリー・ヒントン(GⅢ)、ミル・リーフ(GⅡ)とG戦を撃破し、チャンピオン2歳牝馬に選ばれた名牝でもありました。
残念ながらフォレスト・フラワーの産駒には母に並ぶほどの馬は出ませんでしたが、日本に輸入されたエイシンダンカーク(父ミスター・プロスペクター Mr. Prospector)がステークスには勝てなかったものの勝馬になったことを付け加えておきましょう。

さて5代母リープ・ライヴリー Leap Lively (1978年)もフィリーズ・マイル(現在はGⅠですが、当時はGⅢ)に勝った馬で、オークス3着という実績を残した馬。
彼女の娘スクープ・ザ・ゴールド Scoop the Gold (1990年)からはホープフル・ステークス、ブルー・グラス・ステークスと二つのGⅠに勝ったハイ・イールド High Yield (1997年)が出ました。

更に一代遡ったカロクイック Qulloquick (1969年)が高齢で産んだ別の娘サリーナ・クーキー Salina Cookie (1993年)からは、孫にあたるウォリアーズ・リワード Warrior’s Reward が出現。この馬はアメリカの短距離GⅠ戦のカーター・ハンデを制しました。

以上がナイト・オブ・サンダーの血統表を6代遡ってリサーチした結果です。父デュバウィの産駒ということから総合しても、やはり1マイルを中心に活躍するタイプと見るのが順当でしょう。実際ダービーには目もくれず、愛2000ギニーからロイヤル・アスコットのマイルGⅠを目指すことが公表されました。
ファミリー・ナンバーは2-n。アレキサンダー・メア Alexander Mare を基礎とする牝系です。

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