今年もチェンバーミュージック・ガーデン

毎年のロイヤル・アスコットに時期を合わせたように、赤坂のサントリーホールでは「チェンバー・ミュージック・ガーデン」と銘打った室内楽フェスティヴァルが行われます。メンバは年々豪華になっていくようですが、内容にはややバラつきがあるというのが正直な感想です。
ガーデンの中核になるのは毎年一つの団体によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏会。今年はウィーンのキュッヒル・クァルテットが6回に亘ってツィクルスを担当します。

日本ではすっかりお馴染みのキュッヒルさん、かつてはウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団を率いて我がプラッツ・レーベルにもベートーヴェン全集を録音していましたが、今回はその名も「キュッヒル・クァルテット」。メンバーの名前を見ると、キュッヒル御大とヴィオラのハインリヒ・コル以外は若いメンバーに変わっていました。
残念ながらキュッヒル氏のヴァイオリンは私のタイプじゃありませんので、今年のベートーヴェン・ツィクルスは全てパス。折角エクセルシオがコーチング・ファカルティーを務めているのですから、何でエクに全曲を任せないのかいと、文句の一つも言いたくなります。現在の実力ならエクの方が上でしょ。
おっと口が滑りましたね。ところで来年のツィクルスはミロが担当する由。これはまた事件になりそうですね、ガーデンでのベートーヴェン体験は来年まで取っておきましょう。

ということで一回も行かないのはまずいでしょう。今年は昨日のコンサート第2回とフィナーレを聴くことにしました。もちろん御贔屓パシフィカを聴くためです。昨日のプログラムはこれ。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番へ長調 作品18-1
シュラミット・ラン/燦・凶・礫・憶~弦楽四重奏曲第3番
     ~休憩~
メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲
 サントリーホール室内楽アカデミー選抜アンサンブル
 パシフィカ・クァルテット
 サントリーホール室内楽アカデミー選抜フェロー

パシフィカはランの新作までお預けで、最初はアカデミーのマスタークラスなどで研鑽を積んでいる若手によるアンサンブル。初々しくベートーヴェンの1番を弾いたのは、
ファーストが外園萌香、セカンド北見春菜、ヴィオラが飯野和英、チェロ鎌田茉莉子の諸氏。これからクァルテットとして活動して行くという訳ではなさそうですが、新鮮なクァルテットを披露してくれました。左からファースト→チェロ→ヴィオラ→セカンドと並ぶ配置も新鮮。
もちろん全員がスタートラインに立ったばかり。先ず技術的には高いレヴェルで、あとは楽譜に書いてないことをどう表現して行くか、四重奏で弾いていくなら、その方向性を見極めることが課題なんでしょう。なぁんて知ったようなことを言いましたが、ベートーヴェンは奥が深い、というのが細やかなる感想。

そして期待のパシフィカ。今回は私としては木曜日の鶴見が本命ですが、この日アジア初演されたランの委嘱作も楽しみ。果たしてどんな作品でしょうか。
プログラムには作曲家に付いての情報が極めて少ないのが残念。予備知識も無しで聴きに来た人には些か不親切と感じましたがどうでしょう。

ネットなどで事前に調べたところでは、1949年10月21日にテル・アヴィヴで生まれたイスラエル出身のアメリカ人女流作曲家。丑年ということになりますね。交響曲でビューリッツァ賞を受賞、女性作曲家としては二人目の栄誉だそうです。
アメリカではメジャーな作曲家で、例えば手元にあるダニエルズの「Orchestral Music」第4版(2005年)では交響曲の他にも10作品がリスト・アップされています。ヴァイオリン協奏曲、管弦楽のための協奏曲、17楽器のアンサンブル、伝説曲、幻想的3楽章、フルート協奏曲でもある「ヴォイシズ」など20分から30分を超す大曲が目立ちます。
Vessels of Courages and Hope という管弦楽作品、「勇気と希望の人」とでも訳すのでしょうか、13分ほどの曲はアカデミア・ミュージックのネット販売楽譜リストにも掲載されていました。出版は全てセオドア・プレッサーのようで、Vessels も室内楽作品もナクソスの音楽図書館で聴けるのが便利です。

私もいくつかの室内楽をチェックしてからサントリーホールに向かいましたが、弦楽四重奏曲はこれが初体験です。いろいろ聴いたところでは、多くの作品で所々に口ずさめるようなフレーズが繰り返し登場。現代音楽としては比較的入り易い音楽と思われます。
案内によると今回の新作はミュージック・アコード、ヴィグモアホールとサントリーホールの3団体が共同委嘱したもので、サントリーでの演奏がアジア初演と書かれていました。世界初演ではないところから既に他で初演されていると思われますが、その辺りの情報もプログラムには掲載無し。
書かれた資料では、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された(2006~07年)「燦めきと破滅:1920年代ドイツの肖像」という企画展に影響されたとのこと。画家フェリックス・ヌスバウム(1904―1944)の芸術、同時代の人々への讃歌となる音楽を書く切っ掛けだったそうな。

全体は明確に分かれる4楽章から成り、第1楽章「起こったこと」、第2楽章「脅威」、第3楽章「もし僕がいなくなっても―僕の絵は死なせないで」(ヌスバウム)、第4楽章「礫・憶」。
これが一種の表題のように、作品のタイトルである glitter, doom, shards, memory に該当して行くのでしょう。

第1楽章は凡庸な日常が破砕されることへの暗喩。第2楽章は仮面の処刑人を思わせるスケルツォ。第3楽章が創作活動こそ苦闘であり、魂の救済につながるということの表現。フィナーレは礫片と記憶だけが残る死の静寂。
書かれた音楽は、こうした各楽章のテーマを的確に表現したものと聴きました。特に第2楽章の後半では4人の奏者が足で床を踏み鳴らす場面も出現、最後は3人のフラジォレットに合わせてセカンド(シッビ・バーンハートソン)が口笛を吹いて閉じる。ランの特徴の一つである、口ずさめるようなフレーズが印象的。
第3楽章もまるで何かが起こる様な暗示に満ちた音楽で、そのメッセージの強さに打たれます。この中間2楽章がこの作品の白眉と聴きました。

終楽章は弓が弦の上をスキップするように開始され、ヴィオラ(マスミ・バーロスタード)からファースト(シミン・ガナートラ)へとモノローグが受け渡されていくのも聴き所でしょう。全曲はフラジォレットが消えていくように閉じられます。

聴き終えて感じたことは、第3弦楽四重奏は作曲にとってもマスターワーク、円熟期の傑作と評価されるべきものになるだろうということ。演奏時間も測ったわけではありませんが、30分前後の大作でしょう。
2曲ある弦楽四重奏曲は聴いたこともありませんし、録音も無さそうですから、いずれはパシフィカによってラン弦楽四重奏全集がリリースされることを望みます。
カーターの全曲、恐らく世の中で技術的にも最も難しいクァルテットを完璧に演奏したパシフィカのこと、今回も作品の本質に深く食い入り、テクニックもまるでモーツァルトを弾くかの如く圧巻のパフォーマンスを披露してくれました。

休憩を挟んで後半は、パシフィカとアカデミーの選抜メンバーによるメンデルスゾーン。フェローはヴァイオリンが小形響と福崎雄也、ヴィオラ福井萌、チェロは中実穂の方々。
最初のベートーヴェンより経験が豊かなようで、パシフィカとのアイ・コンタクトも積極的。何より全員がメンデルスゾーンを楽しんでいる様子が窺われ、客席も豪華な弦のサウンドに酔うことが出来ました。

長い曲だし、八重奏作品はレアなこともあってアンコールは無し。全員がステージ前方で拍手に応えた所でお開きとなりました。

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